天日干し経営
発売日に書店で購入した。
内容について語るには畏れ多いほどにお世話になった恩人なので、出会った頃の話を。
最初に接点を持ったのは、転職して半年、25歳の時だったと思う。当時担当していたお客様のことで、若いキャリアアドバイザーの私は会社にいけなくなるほど酷く傷つき、仕事を続ける自信を失っていた。その時に、突然にメールが届いた。
君は悪くないし、お客様を悪く思う必要もない。これからも自信を持って仕事をしてほしいという趣旨の、シンプルなメールだった。
でも、社長が私個人に気持ちを伝えてくれたことが伝わった。現場の端くれの私に。
その後、異動し人事の採用担当になったので、それまでよりは接点はあったけれども、私は目立つ存在でもなかったから、なぜ自分がデキる先輩の産休入りの交代要員として、社長秘書に呼ばれたのか全然わからなかった。
正直今でもわからない。
経営資料は、経営企画のマネージャーに
プレゼン資料は、広報部のマネージャーに
海外の要人とのコンタクトは、グローバル関連のマネージャーに
手土産は、本体の大御所の社長秘書に
社内のネタや美味しいランチは、まわりの役員秘書に
全部教えてもらい、やってもらっていた。
社長秘書に向いているスキルなんて全く持っていなかったし、2年もやったけどスキルは全く向上していない。ごめんなさい。
でも幸い、私は自分の存在を消すことが苦手ではなかった。そして彼に興味があった。だからこそ、今日この人がいかにこの人の職務を全うできるか、それだけを考えて過ごしていた。
主張することも、謝ることも、頼むことも、迷惑をかけることも、そして美味しいカレーを買いに猛ダッシュすることも、彼の職務全うのためなら全然苦ではなかった。
今からもう15年前のこと。
当時は必死であまり実感もなかったけれど、彼の言動、頭の中を覗き見し続けた2年間だった。幸せで、贅沢な時間だった。
この2年のおかげで、自分の強み弱みを知ったし、
それが今の自分の仕事にも、大きな影響を与えている。
彼はいつも、部下としてでもなく、秘書としてでもなく、1人の人として極めてシンプルに接してくれた。
数年後、等々力陸上競技場に餅まきに来ていたチェアマンは、サポーターに、その時と同じトーンで「おー!!!」と笑顔で握手を求めてきた。
いつもいつでも、何も変わらない。これって、凄すぎるとおもう。
村井さん、長女が中学の部活でバドミントンに明け暮れています。サッカーに続き、いつも近くにいてくれることに、感謝しています。