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庭に埋めたものは掘り起こさなければならない

なかなか重めの本で新年の読者はじめ。
小児科のドクターが本好きで本の貸し借りをしているのだけど、最近そこに事務さんが加わった。マウンテンバイクで通勤するお洒落で可愛いママさんで、明るくて人当たりも良いチャーミングな人。その彼女から、表紙のフォントからして重い重すぎる、しかもケアをひらくシリーズの本が紹介され、度肝を抜かれた。聞けば無類の本好きで、以前書店勤務だったと。職場がたくさんあると、色んな人に出会える。

 おそらく言語性IQが飛び抜けて高いので幼少期は気づかれなかったが、自閉スペクトラム症の症状はとても重めの著者の、過去を振り返りながら自分を深掘りしていく当事者本。ここまでに自閉スペクトラム症の心的世界がありありと描かれるのは貴重。自閉スペクトラム症は、教科書や臨床現場では「人の気持ちがわからない」とか解釈されやすく、特にアスペルガー症候群やギフテッド2Eの自閉スペクトラム症といった、知的機能が高い部類の人はこの課題を指摘されることが多い。しかし、著者の言語能力の高さでこの教科書表現が見落としがちな本質的な特徴が少しだけわかる気がする。(いや、わからないのだと思う、圧倒的にわからないということを認めて、わかろうと関わりたいと思う)
 加えて彼女を苦しめたのが、思春期という多感な時期に急性骨髄性白血病に罹患したことにより、自分のこころとからだを掴みきれないまま、重い摂食障害とともに生きていること。家庭環境はおそらく悪くない。でも、親と分かり合えない感覚に苦しみ続ける。何度となく、生々しい「死にたい」が吐き出される。

ちなみに冒頭は、自殺未遂で措置入院となった一日が詳細に記載されている。この部分の描写は、私自身が大学院の実習で通った精神科急性期の閉鎖病棟と非常に似ていて、あの時期の身体の重みがずんと甦った。

ああ、わたしたちはここでこの世に半分しかいない存在として扱われているのだなと思う

庭に埋めたものは掘り起こさなければならない,齋藤美衣

身体拘束とか、措置入院とか、精神科医は非情だとか、心を殺しているとか思えるかもしれないけれど、私はあの時の実習を通してそんな気持ちは全く抱かなくなった。
違うと思うのです、患者さんだけじゃないんです。あの空間の中では、誰もが、朝ロッカーで「こころ」を一度しまってそこにいなければ耐えられないのかと思うんです。私もあの1年、あの空間の中では、この世に半分しかいない存在として扱われていました。1人では閉鎖病棟の出入りさえできないから、ドクターが忙しそうな時は毎回知らない清掃の方に自分が何者か名乗ってから、頼んで中に入れてもらいました。1年間通っても、休憩する椅子すらあてがわれず、昼休みは立って過ごすか、トイレに座って時間を潰しました。カンファレンスに1年間出ていても、指導担当のドクター以外からは話しかけられることすらありませんでした。指導担当のドクターはほとんど笑わず、休憩中も患者さんや患者さんの家族を軽く話題にすることすらありませんでした。
あの空間の中では、そんな、「こころ」を持って人間らしく振る舞うという、ふつうのことがうまくできないほどに、患者さんや家族の苦しみが雪崩れ込む場面(医療保護入院や措置入院の最初の面談)に居合わせ続けるのです。私はあの空間にいたドクター達の人となりは誰1人、本当に何も知りません。だって彼らはそんなものをそこに持ち合わせていないから。でも、あの空間での、彼らの医師としての佇まいは、ありありと覚えています。忘れられない。患者さんでも、医者や看護師でもない、あの場にいた人格を持たない存在として、これは伝えておきたくここに記します。

話は逸れたが、とにかくずしんとくる作品だった。貸してくれてありがとう。

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