口の立つやつが勝つってことでいいのか
タイトルと表紙が素敵すぎる。どれを読んでも間違いがない「ケアをひらく」シリーズで”食べることと出すこと”を出されている頭木弘樹さんの本。昨年の春に発売したころから図書館で予約していて、ようやくまわってきた。
最初から最後まで、頷くことばかりだった。私がいつも感じている「言葉」に頼りすぎることへの疑問が、ゆったりとした文体で語られる。警鐘を鳴らすとか、懸念を発するというトーンではない。「そう思うんだけど、どうでしょうか皆さん?」みたいな感じ。頭木さんの本は、深い根を張った木が必要十分には水を貯え、地上では細い枝と柔らかい葉っぱがゆらゆらとゆれるような感覚を抱かせる。これが太い幹とか濃い厚い葉っぱでもなく、細い枝と柔らかい葉っぱなのだ。十分にエネルギーをもって生きていた20歳に発症した病気で長く闘病生活を続けているから、絶望からちょっとした悲しさまで、数えきれないくらい経験をされているのだろうか。相手に期待しすぎず適度に期待するという雰囲気を抱かせる。私はこのスタンスがたまらなく好きで、読むと心地よいなぁと思う。
途中で引用されたレイモンド・カーヴァ―の「ささやかだけれど、役にたつこと」は、私にとっても大切にしている作品でもある。
このエッセイでは、相手の事情は想像しても言葉で説明してもらってもわからないこともあるのだから、「許せない」と思うことの背景にある相手の事情にもう少し思いを寄せてみては、という事例として取り上げられていたので、私の好きな部分(許せないことをされた憎い相手から、温かいロールパンとコーヒーを差し出されるシーン)について述べられていたわけではなかったのだけれど、頭木さんの文体そのものが、「ささやかだけれど、役にたつこと」という作品が漂わせるものに似ているなと感じられた。
それとは別に、カート・ヴォネガットに関する部分がとてもよかった。
Decencyをネットで翻訳したら「品位、礼儀正しさ、良識」と出てきた。頭木さんの文章や私が共感する感覚は「親切」ではちょっとないような気がする。ヴォネガットが言っている通り、「人に対して寛容で相手を尊重すること」なのであって、「良識をもって関わる」くらいじゃないかな。親切って、ちょっと押しつけがましくなっちゃう感じがあってあまり好きな言葉ではない。真の良識があれば相手のためを思って介入することもあると思うし。しかし、このDecencyが大切というのがとても共感できて、読み終えて俄然カート・ヴォネガットを読んでみようと思った。読みたい本が増える。わくわくする感覚。