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【コーチング】浄化しないといけなくなった

今日は白金高輪にある「斎庭(ゆにわ)白金」にお茶を飲みに行った。

斎庭白金

もう6年くらい前になるかも知れない。料理人ちこさんの著書を読んで、大阪の「御食事ゆにわ」に行ってみたいと思っていたところ

白金にカフェがあることを知り、行ったことがある。

その時は申し訳ないのだが、独特の雰囲気のカフェだったので

なんかの宗教団体が経営している店なのかしら?と思い、再度足を踏み入れる気にならなかったが、

最近になって、大阪の学習塾の先生と生徒さんたちが経営している店なのだと知った。

それで今日再び訪れてみた。以前はケーキとお茶しかなかったような気がするが、今は食事も出来るようになっていた。

薬膳カレー

この店のお隣には、白金氷川神社がある。清々しい神社だと思う。

このnoteを初めた頃から
人のストレスの塊みたいなものを体に受けていたようだ。

具体的に言うと、モヤモヤする。

私自身にモヤモヤする原因がないのに、やたらとモヤモヤするので不思議だった。

これが私のモヤモヤではなく、人々の魂のストレスのモヤモヤだと気づいたのは、昨夜だった。

ストレスの塊というのは、
人が究極の本音で生きられないというエンティティだ。

人の究極の本音というのは、イコール魂の願いということ。

魂の願いどおりに生きていない人は、知らないうちにエンティティを発生させている。

私はヒーラーになるつもりはないし、あまり意識していなかったが、

このところ、ダイレクトにエンティティを受けていたのかも知れない。

なんだかこのところ調子がよろしくなかった。

しかし、私が受けたのだから

誰かのエンティティが、一時期的に少し浄化されて、軽くなっているような気もする。

私は、他人様のエンティティを浄化するような真似は出来ないが、いまダイレクトに受け取ったエンティティだけは浄化しないといけないと思い、

清々しい白金氷川神社にお参りしてきた。

無駄なお願いだと思うが、

どうかエンティティを発生させる前に、いえ、既にエンティティを発生させているあなたも、一刻も早く自身の魂の意思を知り、スピリットで生きて欲しい。

神を祀るという意味。

祀るという真実の意味は、
目に見える物質界と
目に見えない幽界から成る
神のエネルギーを積み重ねるという
意味だということを

天児屋根命(アメノコヤネノミコト)が

倭人天族に下ろして、神社をつくらせたという。その頃の神社は、鹿島、香取、春日と出雲くらいしかなかった。

この世界は、目に見えるものだけではなくて、人の目に見えないものがある。

それをスピリチュアルと簡単に言わないで欲しい。

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