北野天満宮 瑞饋祭、2024年は菅蓋(かんがい)を担当
瑞饋祭の「神幸祭」では、御神体は御神輿ではなく、鳳輦(ほうれん)と呼ばれる車の付いた籠(御神輿と同じぐらい立派な造形)に移されて巡行とする体裁。三基の鳳輦があって、第一鳳輦は菅原道真、第二は葱華輦(そうかれん)と呼ばれており、息子である中将殿、第三鳳輦が夫人である吉祥女となっている。
御神体の「御霊」は人の目に触れないような配慮がなされていることが多く、僕が見聞きする「神幸祭」では御霊を御神輿に移して市中を巡行し、御旅所で数日間休んでいただき、還幸祭にて再び神社に戻られる。というのが一連の流れで、小さい祭りだと神幸祭を1日のみで行なって、御旅所の工程を省かれるところも多いと思う。
菅蓋(かんがい)とは
さて、今年は菅蓋(かんがい)を担当。(ふりかえると2016年からいろんな役を担当している…)
錦蓋(きんがい)と菅蓋(かんがい)はどちらも同じ役割を指しているようだけれど、錦蓋の方が主であるかと思われ設えが良い。どちらも傘と四方を布で円筒状に覆うことによって、神域を作られており、鳳輦と同じように、中に御霊が入られることも想定されたものらしい。
… ぐぐっと妄想を広げてみると、御神輿のようにしっかり作られた鳳輦が主な移動スペースだとすると、錦蓋・菅蓋は傘と布で作られた小回りの効く移動スペースのように思える。神社から御神輿への移動もそんな道具を使われることもあるので、巡行中に鳳輦からちょっと外の空気を吸いにいったり、市中の様子を間近で感じ取られるような際に使われたのだろうかと思いは深まる。
… 大河ドラマの「光る君へ」でも、身分が高いといろんなベールで覆われる姿が見て取れるー
上記によると、菅蓋として今も使われているらしく、その傘の頭に「鳳凰」を模ったものが付けられているようなんだけれど、瑞饋祭では、錦蓋の頭上に向けて、鳳凰を飾りがついた長い棒状のものを後ろから支えるようなスタイル。(そんな天皇陛下の写真をどこかで見たんだけれど、何だったか…)
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時代を紐解くともともと北野祭として御神輿渡御があったが、「応仁の乱」が原因で御神輿が途絶えた。そして、2027年(令和9年)「菅公御神忌千百二十五年半萬燈祭」に併せて、当時の北野祭を復興する。
北野祭保存会 北野祭復興に向けて (動画まとめ)
先日の直会で聞いたところだと、9月に例祭として北野祭を行われているが、復興となると、それに合わせる… 日中は同じようにずいき巡行を行い、夜に御神輿渡御とか… いろいろ調整中とのこと!
(以下、2018年のまとめ)