花柄の獅子_愛宕さん_

作家活動って生き方のひとつであって、人を拒絶して作り続ける人や、作ることで社会に貢献する人などいろいろ。

#先日の余談

< 注:この記事の内容は執筆時点のものです。脱稿:10%ぐらい(1011W)>

1995年、美術大学を卒業しました。その後10年間ほど、作家活動という生き方をしておりました。

ずいぶんと昔の話ですが、備忘録として振り返りたいと思います。

そもそも、なんで美術大学なんて行くの?

覚えていることを振り返ると、幼稚園の頃、僕がライオンの絵を描いていたんです。ライオンは四本足で歩いていて、しっぽは先が少し毛が長い感じ、雄ライオンはその最大の特徴である立派な鬣をフサフサさせておくと、王者のような佇まい、そこに「顔」が人のように目鼻口を鬣の中に描き込むと、かわいいライオンのキャラクターが出来上がる。

とまでは何とか描けていたんですが、何だか腑に落ちない。そこで周りを見渡すと、すぐ近くにいた男の子もライオンの絵を描いていたんです。ライオンの口を前方にググッと延ばして、その上に鼻を付けて、鼻の下から口にかけて割れ目をスッと入れてるんです。衝撃です、僕の幼稚園での最大の衝撃が起こりました。

ところで、『今日の芸術』(岡本太郎著)に出会ったのは僕が四十歳を過ぎてからです。初版は1999年なので読まれた方もおられると思いますが、この僕の生い立ちを否定し、同時に肯定するような悩ましくもじんわり染み込む書籍です。初版から20年弱、すでに岡本太郎氏も他界されており、芸術は爆発だ!というフレーズが通じるのは僕よりも年が上の人の方が多いですね。

僕が幼稚園のころに目覚めた能力は絵描きではなく、モノマネだったのかと胸が締められる思いになります。当時、うまく絵が掛けることだけでなく、手先が器用であったことから、見たことや思っていることを紙に描いたり、粘土やダンボール紙などの工作として再現する度に「上手だね」と褒められて小学校を卒業するまで過ごしていたんだと思います。さらに、ほとんどの教科を無難にこなして、全体的にも評価が良かったせいもあって調子に乗って、こましゃくれた子供だったと思います。

中学生になってから、視界が広がった記憶がうっすらあります。できないことと、おもしろくないことが増えていったようです。子供扱いされないこと、責任を持った言動を意識し始めるのでしょうか。複雑な年頃、いわゆる思春期を過ごしていました。褒められることへの疑心を抱き始め、あらゆることに興味がなくなり、力を注ぐことは無くなって行きました。雰囲気で過ごすような生活が続き、気がつくと、特に目的もないまま高校3年生になっていました。

(つづく)


<言葉> #作家  #アート

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