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久しぶりにテキーラとメスカルを飲む機会があったので、自分の知りうる話をしておいた。
オーセンティックバーの1つである「El tesoro(エルテソロ)」を訪れた。
僕がいただいたのは計4種。Cascahuin(カスカウィン)のレポサドとアニェホ、グアダラハラ市とテキーラ村との間にあるエル・アレナル自治区にて、テキーラ造りに関わっている日本人として知る人ぞ知る景田哲夫さんのテキーラ。そして、メキシコ南部・オアハカ州にて作られる Pierde Almas(ピエルデ・アルマス)と呼ばれるメスカル。ドバダンと呼ばれるスタンダードなメスカルと、ペチューガと呼ばれる蒸留過程の中で七面鳥の胸肉を容器内に吊るして香り付けをされたメスカルをいただいた。(冒頭写真はピエルデ・アルマス♪)
今回、一緒にお酒を楽しんだ方が、ウイスキーマエストロを取得されている方だったので、いろいろ話が膨らんだんだけど、僕が話したテキーラにまつわることがうる覚えということもあって、若干不安になったので古い資料(CRT)を見返すついでに、日本の歴史と比べながら膨らませて書き残してみる。(私見もたっぷりなので、間違いなどあればご連絡ください♪)
テキーラとメスカル
ざっくり言うと、メスカルという蒸留酒の区分の中にテキーラがある。どちらも原産地呼称制度にて管理されている。テキーラには2つのカテゴリーと5つのクラスがある。カテゴリーはテキーラ(アガベ使用が51%以上)と100%アガベテキーラ。クラスはブランコ、ゴールド、レポサド、アニェホ、エクストラ・アニェホで、熟成度はレポサド(2ヶ月)、アニェホ(1年以上)、エクストラ・アニェホ(3年以上)。アガベの栽培は株分けから収穫まで7年間ほど必要とし、言わば時間を嗜むお酒と言える。
日本はアジアの中でもっともテキーラを輸入している国、比較的高価な100%アガベテキーラの需要が高まっている。もしも初めてテキーラを飲むなら100%アガベテキーラをお薦めしておきます。
収穫したアガベの芯(ピニャ)の状態/部位などが味にも影響すると言われており、日本酒で言うところの精米歩合みたいなものかな。
メキシコは古代文明の聖地
オルメカ(紀元前1250年頃-紀元前後)、テオティワカン(紀元前後-7世紀頃)、マヤ(紀元前3世紀-16世紀)など。途方も無く昔から人類が文化を築き上げた土地。アメリカ大陸が他の文化圏に比べて地理的に距離があったこともあって、独自の発展があったとされる。
テキーラ(メスカル含め)の原料はアガベ(リュウゼツラン)と呼ばれる植物で、アガベを発酵された飲み物(プルケ)は儀式などで使われていた。
当時の日本は縄文時代から弥生時代。中国は始皇帝として有名な秦などが紀元前ごろ。
時代は一気に進んでスペイン大航海時代
アメリカ大陸が公に知られるのは、コロンブスの発見とも言われているが、北欧の海を制していたヴァイキングの方が早いんじゃない?って若干妄想が膨らんでいる。
1428年頃から1521年まで北米のメキシコ中央部に栄えたアステカ文明を滅ぼしたのは、スペイン人のエルナン・コルテス。そして、スペイン文化が急激に入ってくる。
ハリスコ州のテキーラ村(1530年)
メキシコに移住したスペイン人はスペインから輸入したワインや蒸留酒を飲んでいたとされる。大航海時代であれば、長期保存にも適した蒸留酒ラムをよく耳にするが、ラムの原料である「サトウキビ」や、ワインの原料である「ぶどう」が生育するには土壌が合わなかったのだろう。
1530年にメキシコ中部ハリスコ州にテキーラ村が拓かれたとされるので、その土壌にあった原料であるアガベを用いた蒸留酒であるテキーラの開発が始まったとされる。
日本は室町・戦国時代。 応仁の乱(1467年)など国内での争いが絶えない中、1549年には、同じくスペイン人であるフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えていることから、スペインの影響力が大きいことは容易に想像できる。
17世紀に入ると、テキーラの産地であるハリスコ州
、及び州都であるグアダラハラ市は経済的に発展していく。
1609年、鎖国が始まる少し前、スペインのフィリピン諸島総督ロドリゴ・デ・ビベロの一団の船がメキシコへの帰路の途中、千葉県御宿沖で遭難し、317人が救助され、ビベロは徳川秀忠と徳川家康と謁見している。
1614年、伊達政宗の命を受けヨーロッパに向かった支倉常長の遣欧使節団の船は太平洋横断ルートのため、メキシコ(当時はスペイン)を訪れている。
クエルボが創業(1795年)
テキーラメーカーであるクエルボの創始者、ホセ・アントニオ・クエルボは、スペイン王フェルナンド6世からハリスコ州の土地を入手するなど、メキシコ国内でもテキーラ製造が本格化していく。
1776年はアメリカ独立宣言、1789年はフランス革命など世界は激動の時代に突入していく。
メキシコ独立革命(1810年 – 1821年)
スペインによる征服から300年経ったころ、メキシコ独立革命(1810年 – 1821年)が起こり、当然ながらスペインからのワインの輸入が途絶え、メキシコ国内の富裕層はますますテキーラを求めるキッカケとなる。
日本は江戸時代後期、1853年ペリーが浦賀に来航する少し前。
メキシコ革命(1910年 – 1917年)
当時の独裁政権からの民主革命となった。当時、テキーラを飲むことは国民の誇りとなり、メキシコの象徴ともなっていく。
日本は明治時代から大正時代へ。1914年は第一次世界大戦に参戦する。
スペイン風邪(1918年 – 1919年)
パンデミックとして広まった「スペイン風邪」の猛威に対して、テキーラを推奨されたような話も耳にするが、身体を温めること=「酒は百薬の長」という諺も含めて時代の中での最良の手段であったとは容易に想像できる。
原産地呼称制度(テキーラは1974年、メスカルは1994年)
テキーラは同じ原料(アガベ)でつくるメスカルに区分される蒸留酒となっている。少しややこしいが1994年にCRTという機関が設立し、テキーラの生産管理が徹底され業界の底上げが進む。
個人的に原産地呼称はグローバル展開する産業の中での手法の1つだと理解している。ちなみに、テキーラがメキシコの象徴となっていったメキシコ革命当時(1910年 – 1917年)はメスカルとの区別はなかったのだろうと妄想しています♪
1980年、京都市とグアダラハラ市(ハリスコ州の州都)が姉妹都市盟約を締結する。僕がテキーラと深く関わるようになったのは2010年の姉妹都市30周年記念事業から。
テキーラの80%は国外へ輸出
テキーラ(メスカル含まず)の80%は国外へ輸出されており、メキシコの主要産業の1つとなっている。その輸出先のほとんど(8割)はアメリカで、日本は世界で第5位(2019年、2018年は第6位)。アジア内では日本が第1位のテキーラ輸出先となっており、ブランドシェアでは「クエルボ」が圧倒的首位。(テキーラジャーナル)
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音楽や映画産業によるテキーラの認知、テキーラカクテルの代名詞「マルガリータ」、テキーラのチェイサー「サングリータ」などの話題には触れなかったのでココでは割愛しておきます♪