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木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)、「蚕ノ社」や「木嶋神社」と呼ばれる京都太秦にあるお宮さん。

前回は「まえがき」 でしたが、今回はその続きとなります。

木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、京都府京都市右京区太秦森ヶ東町にある神社で、「蚕ノ社」や「木嶋神社」と呼ばれる京都太秦の地域の氏神様です。(「森ヶ東町」というのは境内の原生林が広がる一帯を「元糺の森」と差し、その森の東側付近の町名)

その昔、平地が広がるこの一帯に、こんもりと巨樹が生い茂る森がまるで島のようであったことから、『この島』と呼ばれた。」っと、木嶋神社の宮司さんが何らかのメディア(NHK京都放送局だったかな)で話されており、なるほど納得と思っていた。漢字はその用途のほとんどが当て字と考えられるので納得しています。(→機会があれば宮司さんに確認しておきます♪)

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木嶋神社は「蚕ノ社(かいこのやしろ)」とも呼ばれており、最寄りの交通機関である嵐電の駅名は「蚕ノ社駅」となっている。実際には境内本殿の東隣に養蚕神社(蚕ノ社)が祀られています。社殿は明治以後のもので、本殿と養蚕神社は神明造の建築様式となっています。同じ境内にある「三柱鳥居」は、パワースポットとしても知られているようなので、後ほど整理していきます。ちなみに「木嶋坐天照御霊神社(蚕の社)境内」という表記にて京都市指定・登録文化財に登録されている。

まず、木嶋神社の由緒書「木嶋坐天照御魂神社」の箇所には、次のような内容が記されています。

延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱を祀っている。
・大国魂神(おおくにたまのかみ)
・穂々出見命(ほほでみのみこと)
・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
・瓊々杵尊(ににぎのみこと)
創建年月は不詳であるが「続日本記」大宝元年(701年:飛鳥・古墳時代)4月3日の条に、神社名が記載さえていることから、それ以前に祭祀されたと思われる古社である。天之御中主神を主として奉り、広隆寺創建とともに勧請されたものと伝えられる。学問の神であり、祓いの神でもある。

「延喜式内社(式内社)」とは、927年(平安時代)にまとめられた全国の神社一覧です。その後、平安時代後期(1081年)に「二十二社」という新たな制度も生まれていますが木嶋神社は含まれていません。現在は社格という制度は廃止されいるのですが、明治維新から戦後までの「近代社格制度(旧社格)」という制度を名残りとして使われることがあるようです。

木嶋神社は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を主神として、全五柱(はしら:神様を数えるときの数詞)が祀られている。学問の神であり、祓いの神、祈雨の神とも云われているようなので、軽く調べてみる。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
この世界が生まれる際、高天原(たかまがはら)から最初に現れた天津神(あまつかみ)であり三柱の神(造化の三神)の一柱。その名からは宇宙そのものであるとされており、兎に角凄い!

大国魂神(おおくにたまのかみ)
国土の神霊の意とされており、国津神(くにつかみ)の神の一柱。国または国土そのものを神格化したもの。瓊々杵尊(ににぎのみこと)が、天照大神の神勅を受けて日本の国土を治めるために高天原から天降った際に、国土を献上した。(天津神と国津神の関係は神話の中...)

瓊々杵尊(ににぎのみこと)
邇邇藝命とも表記。「穂々出見命」の父にあたり、神武天皇の曽祖父(ひいじいちゃん)♪  稲穂の神、穀物の神として信仰されている。

穂々出見命(ほほでみのみこと)
火遠理命(ほおりのみこと)とも称し、多くの別名がある神のようで、火中にて生まれたとされる。「鵜茅葺不合命」の父であり、神武天皇の祖父にあたるそうです♪  同じく、農業の神として信仰されている。

鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
「穂々出見命」と海神の娘である豊玉姫との間に授かった子。神武天皇のお父さまです! 当然、農業の神として信仰...。

...つまり、木嶋神社の祭神はすべて日本神話に出てくる伝説の神々が祀られている。(京都でも最古の社ともなると容易に想像を超えます...)


太秦地域は今も農地が多く残っており、京都の歴史においても農業が盛んである地域ということから、これらの神が祀られているのは関係がありそうですわー♪

そして、木嶋神社の主神が「天之御中主神」がであることから、学問であろうが、祓えであろうが、何でも解決してしまいそうです。後述する「元糺の池」だけでなく神社の南側にも池があった歴史や、農業に関わる神もおられることから祈雨の神ということにも繋がっているのでしょうね。いつの世も人の解釈次第のように思いますが...

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1780年(江戸時代)に刊行された「都名所図会」に木嶋社(このしまのやしろ)として図絵を「国際日本文化研究センター」のデータベースにて閲覧できる。非常に興味深い鳥瞰図となっている。達筆の解説書もあるけど、僕はほぼ読解不可です!


西陣縮縮緬仲間

本殿前の石垣に埋め込まれた石柱に『西陣縮縮緬仲間』と刻んであります。ちなみに、下記の写真からもわかる通りその石柱の前に磐座(いわくら)とも言える大きな岩がありますが、同じ大きさの石がちょうど本殿の左右に一体ずつあることから狛犬や仁王のような守護神の依り代ではないかと妄想が膨らみます♪(さざれ石とは違うかもね)

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また、社務所の近くに『かいこのやしろ』と刻まれた石柱もあります。これは手水舎の役割もあるようです。参拝者でも知っている人は少ないと思います。その側に『東西南北』と刻まれた円形の石版があります。

(方角を記す石版で記憶にあるのは神泉苑の恵方社ですが、おそらく関係ないよね♪)

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木嶋神社の末社

境内の西南側にひっそりと末社が祀られている。元糺の池の下流を渡る橋の前に左右に神使狐(お稲荷さん)の石像が社を守るように設けてある。橋を渡ると小さな区画にいくつか社があり、その一つ『白清社』は木嶋神社から南へ1kmほど行った場所にある『天塚古墳』に紐づく。(改めて後述予定)

お稲荷さんと言えば、伏見稲荷大社となるが、松尾大社と同じく秦氏の栄華が象徴されている。

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追記:2018年9月 台風21号にて被災
元糺の森、社殿、拝殿、末社などに被害が及んだ。

追記:2020年10月
鍛治宏介さん(京都先端科学大学教授)によるセミナーがあったみたい。知らなかったが、参考文献リストが公開されているのでリンク貼っとく♪
http://www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/documents/shiryosyokai2010y.pdf

追記:2021年11月
鳥居が新調されました!2018年の台風被災で少し痛んでいたのを記憶しておりました。良いタイミングを見計らってということでしょうかね。
(三条通りが一之鳥居だとすると、こちらは二之鳥居になりますかねー)

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<続き:年中行事


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まえがき
木嶋神社(木嶋坐天照御魂神社)
 ・木嶋神社の年中行事
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 ・三柱鳥居
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広隆寺(蜂岡寺)
・天塚古墳(白塚)

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