立派な御神輿です_

木嶋神社の年中行事。(リサーチが済んでいない。更新:2024年9月)

秋の例祭・神幸祭!御神輿わっしょい!
今年度(2024)より、神輿委員(御神輿渡御の運営をサポートする役)として参加することになりました。木嶋神社奉賛会の組織の一つだろうか、関係はちゃんと確認できていないけれど…


前回「木嶋神社(木嶋坐天照御魂神社)」の概要でしたが、今回はその続きとなります。

木嶋神社はその歴史や云われはボリュームたっぷりなことから全国から参拝される方が多いと聞きますが、地元の氏子にとってみれば、旧社格郷社ということもあってか、そんな大層な話でもなく身近な存在のように感じます。ちなみに、七五三、結婚式、地鎮祭なども執り行われているようです。



一 月

文化財防火運動

文化庁主催による全国一斉に開催される「文化財防火運動」の期間中、付近住民(森ヶ東町、森ヶ西町、森ヶ前町)らと協力し、地元の太秦消防分団や、右京消防署員らと放水作業を含めた消防訓練を行っており、当日は重要文化財に見立てた箱を持ち運んだり、バケツリレーや境内の放水設備、消防分団による小型ポンプによる放水訓練、消防車を用いた放水訓練が行われています。

追記:2020年は消防車による放水は実施されていません。


七 月

足つけ神事/御手洗祭(みたらいまつり)

夏期土用の丑の日に、三柱鳥居が建っている元糺の池に手足を付けることで、無病息災祈願として賑わいます。(屋台も出店されます)

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元糺の池の鳥居
(台風の影響と老朽化だろう、写真の鳥居は2021年12月に撤収されている)


十 月

■例祭 神幸祭

第二日曜日に、御神輿による渡御が行われます。氏子150名を超える担ぎ手(輿丁)がご奉仕されています。

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木嶋神社(蚕ノ社)神幸祭 渡御ルート

神社からみて西側、太秦の中心部を巡るルートには、広隆寺の境内も含まれています。神仏習合の慣習が残っているとみて良いと思います。広隆寺境内の上宮王院太子殿の正面に神輿を座して、住職による読経はとても珍しいのですが、御神輿(大神輿)は文政8年(1825年:江戸時代)頃、広隆寺によって作られたようで、木嶋神社の御神輿が広隆寺に戻るのは一種の里帰りのような意味合いらしいです。また渡御の中、輿丁(よちょう:担ぎ手)が休憩をとる際は「馬」と呼ばれる台座に載せるのですが、木嶋神社と広隆寺だけ直接地面に接することが許されているようです。なるほど!

渡御前日、拝殿に二基の神輿が出され神幸祭を待ちます。大神輿(本神輿とも)と呼ばれる神輿は近年だと2000年に渡御されたと聞きますが、例年はもう一基の小ぶりな神輿にて渡御されています。また、木嶋神社境内には屋台も出店され宵宮の賑わいとなるのですが、西院にある春日神社と日程が重なるようになって以来、屋台の多くは春日神社に移っていると聞きます。

氏子町内には鉾町があり剣鉾が建てられます。渡御当日は五基の剣鉾をそれぞれ車に載せ、担当町内の役員の方と共に神輿の前を先導します。(昔は長い柄を用いて鉾差しをされていたと聞きます)

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鉾町の一つ旧中町と呼ばれる区画にある2つの町が隔年で鉾建てに奉仕していたが、その一つの町が2017年を最後にその役をおりることになった。(詳しくはこちら

十一 月

■新嘗祭

稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願します。


<2018年台風21号にて被災>
森の木々の被害は大きく、巨樹が生い茂り鬱蒼と覆い隠されていた森というよりずいぶんと風通しがよくなっている。また、社殿に巨木が倒木したため2018年の神幸祭は居祭(渡御行わない)となり、新嘗祭は中止となった。2019年は御手洗祭、神幸祭とも実施される。
本殿手前の社殿(お賽銭箱よりも本殿側)の損傷が残っており、修繕に伴う寄付金の案内板も設置されている。詳しくは神社へ♪
2019年にほとんどの修復は済みましたが、森は少しずつ回復しております。


<続き:養蚕神社(蚕の社)


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まえがき
木嶋神社(木嶋坐天照御魂神社)
 ・木嶋神社の年中行事
 ・養蚕神社(蚕ノ社)
 ・元糺の池
 ・三柱鳥居
大酒神社(大避神社)
広隆寺(蜂岡寺)
・天塚古墳(白塚)

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