シャニマス 今だからする「モノラル・ダイアローグス」の話
今までシーズとコメティックに向き合うことを避けていた。
今回の物議を醸したシーズとコメティックのライブを受けて、ようやく彼女らを知ろうと決意し、コミュを読み進めている。
もうすでにオタクの間で5億回ほど語られているであろう標題のイベントを、ようやく読んだ。
今回のライブという到達点のことは知っていて、かつ、どのようなやりとりがこのイベントの後に彼女たちの間にあるのかをまだ知らない今だからこそ、自分の中で整理できることが、書けることがあると思ったので、記録しておく。
誰に向けてか分からない但し書きをしておくと、イベントの内容なぞ皆すでに承知しているものとして書いているので、注意です。
緋田美琴の、他人と「対話」するということの知らなさ、に、吐き気がした。
それは彼女への嫌悪感でもなんでもなく、ただこれを「意図的に物語として描く」ことに対して。それを描くということは、それゆえに生まれるひずみを、そのひずみに呑まれる誰かを、描くということだから。アイドル育成ゲームだぞ。
ただ、この美琴のあり方に非常に納得もしている。「才能」をここまで磨き上げるには、それこそ「人生を振り返ったときにレッスン室の景色しか思い出せない」くらいに、練習、ただそれのみに打ち込むしか道はない。一度見たらもう完璧に踊れるみたいな、「ファンタジーな才能」でもない限り(芹沢あさひはこれに近い。よってあさひさんの持つ天才的な才能は、ややリアルラインが低いように感じる)。
そうだよなあ。ただぽつん、と、「磨き上げられた才能を持ったアイドル」がいるわけではない。そこに至るまでの理由と、努力と、犠牲になった色々なものがあって然るべきで、ゲームをプレイしているとそのことをつい忘れてしまう。
緋田美琴ほどの境地に到達する過程では、他者との「対話」は切り捨てられるもののひとつだった。練習をして、技を磨いて、舞台でそれを見せる。そこには必要のないものだった、否、必要性を吟味する段階にも至らなかった。彼女はこれまで、そうして生きてこられてしまった。
マネージャーやプロデューサーは仕事のパートナーとして、一定以上に踏み込んだやり取りを行う必要がない。知り合いの業界人も同じ。
親しくしているダンサーや友人に近い仲間たちも、人との接し方についてよくわかっている、つまり「対話」ができる人間である。
そう、彼らはみな「大人」だから。
時には集まってバーで飲み交わしながら、一見、友人としての彼女らとのやりとりは問題なく進行しているようだが、それは彼女らのコミュニケーション能力があってこそ成り立っているということが浮き彫りになっていた。
美琴は「自分がやってきたやり方」「自分が信じてきた生き方」以外を知らないので、自分の知らない他人の考え──大抵はとてもストイックとは言えないようなもの──を提示されたとき、決まって「何を言っているんだろう」という反応をする。
周りは大人なのでそういう反応を「真面目だなあ」で済ませる。その場の会話はそれで成立する。
だが、美琴の他者へ向けた「対話」は、まるで成立していないことがわかる。他人には他人の考え方、やり方、生き方…があることが、わからない。それについて他人がどう考えているのか、想像がつかない。ゆえに踏み込まない。
この人がにちかさんとユニットを組んでいるのか…と思うとあまりにもグロテスクでしんどかった。一方で、美琴さんがこういう人間になったことの納得感が増していった。現実だなあ…。
ルカさんについて。
研究生のころから美琴と一緒にいて、「わかろうとしなくてもお互いのことがわかっていた」。ルカの高い技術力もあり、美琴もユニットのパートナーとして認めていた。ともに練習したりステージの構想を練るにあたってなんの支障もなかった。けれどその結果、ルカは単独で売れ、美琴は「歌って踊れる『だけ』」というレッテルを貼られることになる。
ルカにとって今回「対話のつもりの叫び」となるのは、あくまでにちかに対してである。
だが、美琴とも対話ができていたかというと、そんなことはない。と思っている。実際、美琴は対話という行為を知らないまま283プロに入ったわけだし、ルカとのユニットは成功しなかった。
ルカは「美琴と一緒にやりたい」と心から思っていたのに、美琴は自分がルカをどう思っているのか、ルカはどうして自分に対してそう思うのか、自分の心とルカの心、どちらにも向き合う方法を知らなかったからだ。
美琴は対話を知らないままでいる以上、「アイドル」として成功はしないだろう。どれだけ高い技術を持っていて、どれだけ崇高な理想を描いていて、どれだけストイックに練習を続けて、どれだけその姿が「完璧なアイドル」に見えたとしても。「幸せ」にはなれない。
「完璧なパフォーマンス」を舞台上で見せることはできる。だがそこにファンとの、パフォーマンスを受け取る側との対話はない。
ファンに「感謝をするのは当たり前」だけれど、それは対話ではない。自分の考え、ただそれがあるだけに過ぎない。
これまで対話を知らないまま生きてこられてしまった美琴に投じられたのが、同じく対話が「できない」、七草にちかという存在である。
にちか自身も対話という行為から逃げているし、にちかという人間と相対するにはこちら側も対話の姿勢をもつ必要がある。そういう二つの意味で対話が「できない」。
美琴はにちかと対話ができないと、本当の意味で「幸せ」にはなれない。美琴のパートナーは、にちかでなければいけないのだ。
モノラル・ダイアローグスは、これまで「美琴さんに迷惑をかけないように」とくらいついてきたにちかさんが、「美琴さんの隣はやっぱり自分じゃなくて斑鳩ルカの方がいいのではないか」と思うようになってしまう、という着地を見せる。
「対話」を試みた結果、美琴さんは「にちかがパートナーでいいのかどうかを見極めるために、一緒に練習をする」という、シーズとしてではなく、緋田美琴という人間として一歩進むことになる。
もともとこの「対話」においてそれぞれ、にちかは美琴に自分の考えを伝えること、美琴はにちかとの関係に問題があることに気づくこと、が目的として設定されていた。
だが真の着地点はそこではない。
前述の目的を果たしたうえで、にちかは、「美琴には自分でないといけない」ことに、美琴は、「自分にはにちかでないといけない」ことに、気が付かないといけない。そんなのは途方もないことだ。
何せ、これまで美琴さんの背中を追い続けてきたにちかさんの視線が、まったくの逆方向を向いてしまう結果となったのだから。
カウンセラーの告げた「まだ答えは出そうにない」とは本当にそのとおりで、シーズとしての出発点、ゼロの位置にすら、まだまだ到達しそうにないのだ。一体どうなってしまうんだ…。
とは言いながらもこのあとの顛末を多少なりとも知っているので言えることだが、ルカにとっての「幸せ」も、結果として美琴とユニットを組むことではなかったのだろう。
否、それはおそらく本当に後付けの結果論で、あの頃のルカにとっての幸せは間違いなく美琴とユニットを組むことだっただろう。
だがそれは一度奪われてしまった今、もっと正確に言うなら、「美琴を奪い返すこと」が、ルカの幸せではない。
奪い返したところで二人そろって売れることができただろうか。ルカだけ売れることが、二人にとってのほんとうの幸せだろうか。
ここでいう「ほんとうの幸せ」は、美琴とにちかが目指すべき「幸せ」と全くの同義だといえる。
にちかとルカは悉く同じ境遇に立たされている。
ルカが本当の意味で救われるのは、「美琴とにちか、シーズだからこそ、二人がユニットだからこそアイドルとして成功することができ、美琴にとって本当の幸せを得ることができた。今度は自分自身が幸せになる番で、美琴と一緒にユニットを組むことが、そうではなかった」ということに気づくこと。そのうえで、にちかを認めること。
そんなこと普通はとてもできない。自分だったら無理かもしれない。
だけどシャニマスの子たちはあくまでフィクションなので、どの着地点に到達すべきかが明確だから、そこに着地させることも、着地させないこともできる。
私たちはそれを享受し、彼女たちがどのような運命をたどるのか、見守ることしかできない。
この先のストーリーが楽しみです。
おわり