武装防衛は現実的か?
最近、憲法9条は非現実的であり、自衛隊を合憲化すべきという主張が「当たり前」のように流布している。しかし、これらの議論に、一つも現実的なものがないことに驚いている。
まず、これらの議論が前提としている「公理」を検証してみよう。以下の4つである。
軍事力で国家を守ることができる
国家が守られれば国民を守ることができる
自衛隊は必要最小限の防衛力を持っていない
非武装中立は非現実的である
軍事力で国家を守ることができるか?
歴史上、軍事力で国家を守ることができた国はいくつあるのだろう。ローマは軍事的侵攻で滅びたのか?万里の長城は漢民族の国を守ることができただろうか?答えはいずれも「否」である。現在の世界を見ても、軍事力でなんとか国家を守ることができるのは米国だけであろう。少なくとも、軍事力があれば国家を守ることができるというのは仮説にすぎない。外交や、文化交流と比べて、軍事力が国家を守ることにおいて有効かつ効率的であるという証明はない。
ひるがえって、日本の場合を考えよう。過去、外国からの侵略があったのは元寇(1274年、1281年)の時のみ、侵略の危険があったのは明治維新直前のみである。元寇の時、日本は北条氏を中心に武力で防衛しようとしたが、軍事的・外交的にあまりうまくいっていない。台風や、元の侵略に抵抗した、高麗人(1270年に元への降伏を拒否、1273年済州島で全滅した三別抄により、元の日本侵攻が遅れたとされる。北条政権は三別抄からの援軍要請の意味を理解できなかった)・ベトナム人(1284年、1288年元軍の侵攻を撃退、これにより元は3回目の日本侵攻を諦めたとされる)・ビルマ人(1287年王国滅亡)・ジャワ人(1293年元軍撃退)などの必死の戦いのおかげで、元が侵略をあきらめただけのことである。アイヌも、北方でモンゴルと2度戦っている(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E4%BE%B5%E6%94%BB?wprov=sfti1
)。
明治維新の時、長州(1864年馬関戦争)・薩摩(1863年薩英戦争)の軍事的敗北を教訓に、結局、日本は不平等条約を結んだとはいえ「外交」で危機を乗り越えた。逆に、日本が歴史上最強の軍事力を持った秀吉の時代と15年戦争の時、日本は朝鮮侵略からはじめて国を滅ぼす危険を招いた。
すなわち、日本という国名を持統天皇が使いはじめた7世紀末以来、日本は軍事力で日本を守り得たことは無く、逆に軍事力で国を滅ぼす危険を招いている。
国家が守られれば国民を守ることができるか?
15年戦争敗戦後、日本の国体なるものは守られたが、日本人のほとんどの命・財産_生活は破壊された。中国や朝鮮やサハリンに多くの一般人が取り残され、沖縄では住民が旧日本軍に殺された。この一事をもってしても、国家が守られれば国民が守られるというのは、事実ではないことが分かる。あるいは、阪神淡路大震災の被災者あるいは島原雲仙岳・三宅島雄山・洞爺湖有珠山の火山噴火の被災者達の生活は、自衛隊で防衛できはしない。
2024年1月1日の能登半島地震では、自民党政府はろくに住民を支援しようとすらしなかった。
誰のための、何のための防衛かを考え直さなければならない。国家を守るという「国家主義」的発想を止め、「民を守る」という民主主義的発想に転換しなければならない。その場合の防衛とは、地震や原発事故あるいは環境破壊を含む概念でなければならない。民を守るためという観点からは、海賊行為を防ぐ程度のものはともかく、一般的な「軍事力」は非常にコストが高く効果の薄い「防衛力」ということになる。
自衛隊は必要最小限の防衛力を持っていないか?
日本の軍事力は、必要最小限という規模を大幅に越えている。日中戦争開戦時並の兵員(1999年度で23万6821人)と、世界第2位の軍事費(「ミリタリーバランス1999・2000」による。防衛白書によると2000年度で4兆9358億円、日本の予算の5.8%)と、世界ナンバーワンの早期警戒機群(P3C100機は、早期警戒機としては世界一の配備戦力で、中国海軍が全力を挙げて海を渡ろうとしても、早期警戒機の対艦ミサイルだけで全て撃沈されると言われている)と、世界第2位の海軍力(護衛艦55隻の戦闘力は英国海軍を上回る)を持つに至っている。
また、核ミサイルになり得るH1ロケットと、原爆の材料になり得る大量のプルトニウムを所有している。
非武装中立は非現実的であるか?
東アジアよりよほど政治情勢の不安定な中米のコスタリカで非武装中立が現実に行われているのを見ても、「非武装中立は非現実的である」というのは「いわゆる一つの仮説」にすぎない。
日本の場合、今までに述べたように、歴史上日本に侵攻しようとした国は希であり、その一つモンゴルは今や侵略などする国力は全くなくかつ友好国で、もう一つの米国も今や友好国であり、いずれにせよ米国が日本を侵略しようとすれば、防衛力など無意味になる。
偽右翼の諸君の主張する「北朝鮮」の脅威なるものはまったくのでっち上げとしか思えない。サッカーの国際大会にチームを派遣する国力も無い国が、経済発展に邁進する中国が戦争を望まい状態で、韓国・日本・米国を相手に戦争を始めることができると考えるのは「軍事的無知」あるいは「為にする議論」のどちらかであり、恐らく後者である。旧ソ連と中国が背後で支援していた朝鮮戦争の時とは、全く状況が異なるのである。
日本が軍事的に日本を防衛し得たことは無く、かつ軍事的に強大な力を持ったときには朝鮮を侵略したことを考えれば、「非武装中立」は「現実的な仮説」の一つの候補であり、決して非現実的なものではない。例えば、オーストリアやスイスを考えてみよう。永世中立のこれらの国が「軍事力」によって国を防衛していると考えることのできるような軍事力を持っているだろうか?否である。
では、どうすればよいか?
ここまでで、特に日本の場合、軍事力による防衛はあまり現実的ではない、百歩譲っても世界第2位などという軍事力は必要ないことがお分かり頂けたかと思う。では、どうすればよいか?
まず、石橋湛山方式である。東アジアに平等・互恵の貿易圏を作り、韓国・朝鮮・中国・ロシア・モンゴル・東南アジア諸国などとの文化交流を深め、日本の歴史上ほとんどがそうであったように、多民族・多文化国家日本を再建し、すべての問題を外交で解決する枠組みを整えるのである。そのような日本を、どこの国が侵略したいと思うだろうか? 唯一可能性があるとすれば、それは米国である。
次に、サンダーバード方式である。現在の自衛隊は、少なくとも半減してよい。替わりに、昔テレビの人形劇であったような国際救助隊(サンダーバード)のような組織で災害救助に活躍してもらおう。
さらに、バブル崩壊銀行方式である。人々の生活が自然災害などで破綻したときは、損失補填を行う制度を作る。軽空母を作るなどという愚行よりよほど安上がりで喜ばれる。
最後に、阿倍仲麻呂方式である。阿倍仲麻呂を大臣として抜擢した唐のように、古来日本は渡来人を受け入れて多民族・多文化国家を営んできた。例えば、日本海海戦の東郷元帥が中国系であるように...あるいは源氏や平氏が朝鮮系であるように...あるいは阿部貞任がアイヌ系であるように... 日本が単一民族・単一文化などというのは、明治以後に作り出された虚像である。本来の日本に戻そうではないか。
坂東平氏子孫 2001年1月14日記…2024年4月10日に少し最新情報を書き足した。
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