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人は自分の中にある尺度でしか人を測れない

皆さん、嫌いな食べ物ってありますか?私は生モノがあまり得意ではありません。また魚介類も好みではないですね。生モノはなんだか独特な柔らかさや風味があるから得意ではありません。魚介類は磯の香りとか魚の香りがどうしても好みではないです。そのため好き好んでこれらを食べることはありません。

嫌いな食べ物がこうなわけですから、私にとって寿司や刺身は苦手なものに分類されるわけです。生モノであり魚ですからね。

寿司や刺身が嫌いだと、嫌いな食べ物談義のときに必ずと言っていいほどこう言われます。

「えー!寿司嫌いなの?人生損してるよ!!」と。

まぁこれは、日本でこの手の話が出たときに必ず出る謳い文句ですし、言われ慣れているため特に嫌悪感を覚えることではありません。やっぱり言うよねーくらいな感覚です。

でも同時にこう思うのです。

「いやいや、そんなんで俺の人生損するわけないやろ!寿司以外にも美味しい食べ物はあるし、今の食生活に満足してるわい!」と。

別に相手が悪意を持ってそうやって言っているわけではないのはわかっています。でも何となくそれは違わないか?とも思うのです。

あまりにもあなたの中の世界で、基準で物事を語っていないか?と。

日本人なら寿司が好きなのは当たり前で、喜んで食べるであろうという固定観念ではないかと。

私達は自分の中に取り入れたことや、自分の身に起きた経験から考えたことによって考え方が出来上がります。

当然、人はみな違う経験をしていますし、取り入れた考え方も違いますから全く同じ考え方をする人はいないのです。

もちろん似た考え方をする人はいますし、ある程度同じ時間を共有していたら相手の考え方をちょっと理解できるようにはなるかもしれません。

でも、完全に理解することはできません。なぜなら私達は他人だから。他人である以上完全に相手を理解することはできません。

だから、私達から紡がれる言葉は必ずその人の癖が出ます。見方にもどこか偏見が混じります。だって見えている世界が違うから。

あなたの世界ではそれが正しいことだとしても私の世界では間違いかもしれないし、私の世界で正しいことがあなたの世界では間違いかもしれない。そういうものなのです。

だからこそ私達は、相手に自分の世界を押し付けないように注意しないといけません。それが喩え善意で言っていたとしても、あなたにとって当たり前だとしても、その人にとっては正しいことでも当たり前のことでもないかもしれないから。

毎回相手の気持ちを理解することはできないから、できる限り相手の気持ちを想像して、柔らかな言葉をかけられるようになるといいなと思うのです。

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