正論は正しいことであるが、正論=正解であるとは限らない
皆さん、唐突ですが問題です。
1+1の計算の答えってなんだと思います?
そうです。正解は2です。
これは間違いなく正しいし、正解です。これに対して不満を持つ人は殆どいないと思います。
でも日常生活だとこんなにうまく行かないのです。
例えば、あなたが学生の時、保護者や先生から勉強しろって言われた経験ありませんでしたか?その時あなたはこれに対してどう思いましたか?
もちろん、「確かに今は学生だし勉強するべきだよな。これから勉強する気だったといえど今勉強してなかったんだからそう言われても仕方ないよな」っと素直に言うことを聞けていたらどんなに良かったことでしょうか。
でも現実はそんなに素直に受け止められないですよね。「今ゲームがめっちゃいいところだったのに!」「YouTubeで面白い動画見てたのに!」「いまやろうとしてたのに!」とイライラした人がほとんどだったんじゃないでしょうか。
もちろん保護者の人や先生の「勉強をしなさい」という指摘は至極真っ当です。学生の本分は勉強することですから。それを学生だったときの私達も理解しているのです。
でもそれを素直に受け止めることができない。
このことからなんとなく正論は正しいことだけど正解ではないんじゃないかなと思っていただけたのではないでしょうか。
じゃあなぜ正論は正しいけど正解になりえないことがあるのでしょうか。
あくまで個人的に見出した回答ですが、正論は相手の意見を考えないで一方通行で物事を考えた意見であるから正解にならないことがあるんだと思います。
正論は事実を元にして話しているので、感情を抜きにして考えたらもちろんそれが正解です。
しかし人は感情を持っていて、感情を抜きにして物事を考えることはとても難しいです。勉強をしなければいけないのはわかっていても、今やってるゲームが楽しいし勉強をするのはめんどくさい。事実を理解しているかどうかと感情を制御できるかは全くの別問題です。
多くの人は感情に行動が大きく左右されていると思います。だから感情に反することを言われると反発したくなってしまうのではないのでしょうか。
正論は感情を抜きにした言葉ですから、人に対して投げかけるにはあまりにも強すぎるのです。
人に対する言葉の正解は、相手との関係が悪くならないことがある程度の前提なのではないかと思います。もちろんそれが全てにおいて通用するものではないと思いますが、相手の感情を傷つけない配慮はとても重要です。
相手が傷つかない言葉選びや雰囲気を作りながら自分の伝えたいことを伝える。これが人との会話での正解であり、正論が正解にならない理由なのではないのでしょうか。