わたあめみたいな人になりたい
わたあめって美味しいですよね。甘くてふわふわで、口に含むとすぐに溶けてなくなっていく感覚は他で味わうことが難しいです。
しかもわたあめのいいところは作る過程も楽しいところです。割り箸を片手にぐるぐると回して、機械から出てくる雲を集めていく。怪我のリスクも少ないし、こどもと楽しく作ることができます。
じゃあなぜ私がそんなわたあめみたいな人になりたいのか。
それは、わたあめが「芯を持っていて、それでいてそれ以外が柔軟だから」です。
それはまさに私の理想とする人物像です。
芯のない人間は信用に足りません。一貫性がなければ発言もあやふやになるし、行動もついてきません。信用がない人には友人もできませんし、職場でいい人間関係を作ることは難しいでしょう。
でも、かといって芯がありすぎるのも問題です。あまりにも芯が強すぎると周りからの意見を跳ね返してしまうからです。私達は多くの人と関わって生きています。ひとりひとり考えがあって、それは正解だとか不正解だとか決めることはできません(その状況における最善手はありますが)。あえて結論づけるとしたら全部正解です。
それに、色んな人の意見を吸収することはとても大事です。どうしても自分だけで得られる情報には限界がありますし、思いつくことにも限度があります。それに、一人の意見は視野が狭いため穴が生まれやすいです。
だからこそ、周りの人の意見をたくさん聞いて、それらを自分の中でしっかりと受け止められるだけの柔軟性が必要です。
ここでいう柔軟性は、全部の意見を自分の中に取り入れなければいけない、すべての意見を採用しなければいけないということではありません。色んな人の意見を聞いて、それを自分の中でしっかりと噛み砕いて解釈し、その考えを元に自分をアップデートさせていくということです。
もし自分の中でこれは違うなという意見さえも受け止めるのは違うという考え方もあるかもしれませんが、私はそうは思いません。
自分の中では不正解の意見だとしても、そういう考えの人もいるんだなと知れることに意味があるのです。そしてそれは自分には合わないことだと理解することができたという成長があります。
だからこそできるだけ多くの物事を受け止められるだけの柔軟性がほしいのです。
芯の周りにふわふわなわたをまとったわたあめ。私はそんな人になりたいのです。でもわたあめもずーっと放っておいたら傷んでしまいます。暑くて辛い環境に置いておいたら溶けてなくなってしまいます。もしかしたら芯が腐ってしまうかもしれません。だからこそ、優しく丁寧に保管して、時には1から新しく作り直してあげてくださいね。