[小説]青と黒のチーズイーター 2章 隠れ家はルーフトップ 2話 大事な記録はレンガ本

2話 大事な記録はレンガ本

 国内第二の都市にありながら、ミナミは大戦後の復興整備から取り残された地区だった。
 もともと商業が盛んだったエリアだったこともある。一面の焼き野原にされながらも、すぐにバラック小屋が立ち並び、飲食店と零細工場と住居が一緒くたになった中層ビルにかわっていくのに時間はかからなかった。
 もとから住んでいた人間に加え、食い扶持や新天地を求める者が、国の内外をとわず集まってくる。
 問題は、そうして集ってくる人間の数に対して、土地が狭すぎたこと。
 ビルが次々建てられても充分ではない。フロア面積をめぐって権利関係が入り交じり、そこに不法占拠が横行した。
 建設にあたっては有効な﹅﹅﹅空間利用を優先させ、ニーズに応じた改築﹅﹅で、違法すれすれ、ときにそのものな建築物が少なくない。重い腰をあげた行政が区画整理にのりだした頃には、すっかり手がつけられない状態になっていた。
 道路に展開した屋台の数々は、地域従民の公益性や観光資源に。後追いで道路使用許可がだされるようになり、さらに街を活性化させた。
 大戦から四十年近くのときが流れても、渾然一体なままの立体迷路の街は、さまざまな〝者〟と〝物〟を内包し、カオスな活気が最高潮になる宵の時間をむかえる。


 警護を受け入れたルシアに、クドーたちは部屋に通してもらう。
 家に入るなり、リウが切り出した。
「家の中を見てまわっても?」
「どうぞ——っていっても、あたしの家じゃないんだけど」
 外からの出入りが可能な箇所の確認をリウにまかせる。クドーは、居間にしているらしい部屋で、ルシアと落ち着いた。
 革にひび割れがはいった、古く小さいソファーに浅く腰をかけて屋内をみまわす。
 内部は2Kといったところ。玄関を入ってすぐが、居間のスペースになっていた。
 調度品は、小型のブラウン管テレビに扇風機、カセットデッキやレコードプレイヤー程度のもの。ドアのないキッチンスペースに、水屋みずや(食器棚兼食料庫)が置いてあった。結構ここで調理しているのかもしれない。
 そこそこ広いはずなのに狭く感じるのは、壁を埋めている整理棚のせいだった。棚いっぱいに小さな段ボールや、二次利用の箱が、みっちり並んでいる。
 隅にあるデスクを中心にして吊り下がるコードの類や、箱からのぞく部品らしきものからして、修理業者の部屋らしかった。ミナミではよくある業種のひとつだ。
 このごちゃごちゃしたビジュアルが、最上階のデメリットに拍車をかけた。
 とにかく暑かった。
 クドーが期待したクーラーはあるのだが、
「クーラー、壊れてるんですか?」
「あたしが来たときからオブジェになってる。ひとのウチのだし、ひととき借りてるだけで修理するのもなんだかなって」
「そうやんなあ……」
 低気圧が近づいているのか、全開にした窓から強い風が通り抜けていく。
 風があっても涼しくならないのは、ヒートアイランドの熱気と湿気をたっぷり含んでいるからだ。銭湯の中で扇風機をまわしているみたいだった。
 だからか。ルシアが座ったのは革ソファーではなく、塗装がはげたキッチンチェアだった。木製なら、自分の体温でヒップが蒸しあがることはない。
 ルシアのルームウェアも、キャミソールにショートパンツとずいぶんシンプルだ。
 それだけに、左手首にあるブレスレッドが目についた。
「そのバングル、手作りですか?」
 フォレストグリーンの石をポイントに、小さな琥珀色の石をならべたブレスレッドをさした。
「雑なつくりだから、わかっちゃった?」
 ルシアがおどけて答える。
「石のツヤが微妙にいろいろやから、どっちかなって。細かい作業できる人はええなあ。自分で好きなように作れて」
「仕事用のアクセも自分でつくって、安くあげてるんだ」バングルをむけて、
「これは材料費をケチった結果なんだけど、画一的になんなくて、かえってよかったみたい」
 白い歯をのぞかせて笑ったのも束の間、すぐに思い詰めたような表情でクドーを見てきた。


 雑談も長くは続かない。ルシアは、心配している人のことを話題にかえた。
「警護にきたのは、ダニー……ダニエラ折場に言われたから?」
「はい。こういう言い方なんですけど、<モレリア・カルテル>のやり口を熟知されてるからこそでしょう」
「まあね。構成員じゃない人間をエサに利用するぐらい、なんとも思わない連中なんだけど、警護を頼んでくれて嬉しい反面、悔しくもあるんだよなあ。ダニーの足をひっぱってるみたいで」
 ルシアは口にしたあとで、しまったと思う。
 どうして会ったばかりの警官なんかに、内心を吐露してしまったのか。しかし、
「嬉しい、でええやないですか。パートナーやからこそ、どんなことがあっても一緒におりたいと思うもんでしょ? せやからこれは高城さんのためだけやのうて、ダニエラさん自身のためにやってるんやないかなと」
「パートナーって聞いて、変に思わないの? 『パートナー』の意味わかってる?」
「うちの副署長とおんなじこと訊きはるなあ」と笑みかけて、我に返った。
「高城さんは『配偶者』とおんなじ意味で言わはったんやとばっかし……あたし、早合点してました⁉︎」
「ううん、違わない。むしろ誤解してたのは、あたしだったみたい」
「……ああ」くもった表情になる。
「あかん対応されたことあるからですよね。現職警官あたしとしては、これからもっと良うしたいとこです」
 ルシアは思い返す。女同士でも男同士でも、同性といる関係を知るや下卑た笑いを浮かべられたり、〝正しいこと〟を押し付けられたりすることが多かった。
 奉職者である警官も然り。慣習にとらわれてるやつばかりで、女の警官も例外ではないと思っていた。
 ミナミに来てからは、そんな人間に会うことが減った。
 異民族が寄り合い、溶け合っているミナミでは、隣の人間は自分と違っていて当たり前の意識が強いらしい。
 警護にきた警官も、自分とダニエラの関係をネガティブにはとらえていなかった。その点では気が楽になる。
 ただ、これだけではまだ安心できなかった。
「あたしがカルテルの構成員と付き合ってことにも、何も言わない?」
「カルテルの構成員やから付き合い始めたんやのうて、折場さんやからお付き合いしはったんでしょ? あたしは折場さんのこと、カルテルの人間やいう以外のこと何も知らへんし、知っとっても口出しできるもんでもないし」
「そうなの?」
 身構えていたぶん、拍子抜けする。
「や、警官やってると、社長でもゲスなやつ見たし、忍び込んだ部屋で倒れてる住人見つけて手当てしてるうちに捕まった空き巣もおったし。どない呼ばれてるかで、その人の全部がわかるもんでもないですやん」
 真っ当な答えをさらりと返され、思わず吹き出した。
「ルシアでいいよ。クドーさん……だったよね? あんた警官のくせにエラそうなとこないから、敬語とかもなしでいいや」
「ならあたしも、クドーでもマリアでも好きなほうで呼んで。ところで、先に頼んでおきたいやけど——」
 そうだった。身の上話でおわらない事態で警官が来ているのだった。
 せっかくほぐれた気分を戻すのは残念だったが。


 クドーは、ルシアの瞳を見つめてお願いする。
「ダニエラさんのカセットテープ、あたしらに預けてもらいたいんです」
「それって……ダニーの証言の証拠になるっていうテープ?」
「知ってるんやね。テープ以外にも、証拠品になるもんはすべて。<モレリア・カルテル>に奪い返されんようにするために」
「……持ち出した情報やテープのことは聞くには聞いたけど、どこに隠したのかまでは……」
 考え込むそぶりのあとのルシアの応えは、歯切れの悪いものだった。
「ここには何も持ち込んでへん?」
「あたしの私物を少し持ってきただけで、ダニーは手ぶらだった。別のところか、信頼できる人に預かってもらってるんだと思ってたけど」
 視線を合わせようとしないルシアに、
「うん。ちゃんと安全なとこに保管してるんやったら、そんでええから」
 クドーは、あっさり引き下がった。このまま粘っても、ルシアとの信頼関係をなくすだけだ。
 かわってローテブルにおいてあった、使い込まれたバインダーファイルを指した。
「さっきから、あたしの好奇心で気になってるんやけど、そのバインダー見てもかまへん?」
 実のところは、証拠品のひとつである可能性を視野に入れて。
「いいけど、つまんないよ? 契約書や領収書に収支の記録、あと振り付けのメモとかだから。ダンサーなの」
 空振りだったか。そんなことは、おくびにも出さずクドーは応える。
「背ぇ高いし、脚長いし、プロポーションええもんなあ。けど、ダンスの資料は別にまとめたりせえへんの?」
「整理が下手なんだよね。すぐ失くすから一つにまとめるようにしてるの。時系列で綴じてたら日記みたいになってさ。領収書でも感慨深くなったりするよ」
 差し出されたバインダーをクドーは両手で受け取った。
「けっこうなボリュームやな。鈍器になりそう」
「ダニーもおんなじこと言ってた。厚みと重さがレンガみたいだって」ルシアが笑う。
「振り付けメモなんかも、思いつくたびに書きつづってたら、どんどん増えちゃって」
 用紙の大きさに統一感はなかった。ビニールポケットにまとめたものもあって、これがさらなるボリュームアップの要因になっている。
 このバインダーファイルは、ルシアが積み重ねてきたものの記録だ。クドーは丁寧にめくった。
 最初のほうは振り付けアイデアのメモが多かった。
 意外だったのは、びっしり書き込まれた箇条書きや、動きのカウントといった具合に、振り付け資料でも文字や数字表記が多いこと。
「振り付けって複雑なんやな」
「他の人は知らないけど、あたしにはこの書き留め方が一番あってるみたい。羅列した数字や言葉でも、イメージした振りは思い出せる。ま、研究したところで店の客は、あたしのダンスじゃなくて、裸を見てるだけだけどね。そこそこ稼げてるけど、酔っ払いとスケベの相手だけで終わりたくないの」
 ルシアが立っているステージの見当はついていた。それでもクドーは確信をもって訊いた。
「ちゃんと見てくれてる人も、おるんやない?」
「いる」ルシアが強くうなずく。
「ダニーだけは褒めてくれた。ダンスのことはよく知らないけど、動きが鋭くて格好いいって」
「カッコええんは想像できるな」
 タンクトップでむき出しになっているルシアの肩を見た。
「きれいな筋肉がついてるんも、日頃からレッスンしてるからやろ? 昔の収支までおいてあるんも、しんどかったことを乗り切ってきた証明になるからやんな。ずっと頑張ってきたんやな」
「なんで……」
「や、プライベートなとこまで読みとってごめん。ちょっと見ただけやけど、小さい額の記録をちゃんととってあったから、経済的に大変なときでも生き残ってきた自信や励みにしてるんかなぁって」
「親しい仲間に何人か見せたことあったけど、そこを理解してくれたのって、マリアが初めて。ご褒美にビールあげよっか? 冷蔵庫にシンハービールタイビールがあるよ」
「誘惑せんとって」
 笑いつつ、気持ちはバインダーファイルに残っていた。
 最初のほうしか見ていない。残りを確かめる口実を雑談の中から探そうとした。
「ビールの代わりに水、お願いしてええ?」
「お茶ぐらい出すって言いたいとこだけど、冷やしたのはないんだよね。わかった。水もってくる」
「一緒に、塩と砂糖も少しもらえますか」
 ルシアが文字どおりイスから飛び上がった。
「びっくりした! いつのまに戻ってたのよ⁉︎」
「話の腰を折ったら悪いと思って、待っていました」
「ゴメン。うちの相方、死んでるみたいに気配が消えてることあるから」
 実のところ、クドーも気づいていなかった。
「まあ、いいわ。えっと、塩と砂糖だっけ? なんで?」
「脱水予防になります。水は常温のほうが望ましいです」
「いいね、覚えとく。ステージの役に立ちそう」
 冷たいほうが美味しいのに、とは言わなかった。
「ストイックやねんなあ」
「ヌードダンサーのくせに意外でしょ? バカにしてるやつらを見返してやる魂胆があるの」
 したたかな笑みを見せ、バインダーファイルをテレビ台の下においた。
 キッチンのほうに行くルシアに、リウが手伝いについていく。途中、顔だけ振り向けてアイコンタクトを送ってきた。
 バインダーファイルを目で追っていたクドーに気づいてのことだ。
 もう一度確かめるチャンスだった。
 ルシアから預けてもらえるかは別として、証拠品なら把握しておきたい。これの有無でダニエラ折場の、ひいてはルシアのこれからが決まる。確実な証拠品であるほど、保護は厚くなるはず——。
 気が進まないので、本部からの命令を納得できるように解釈した。すまじきものは宮仕え、か……。


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