[小説]青と黒のチーズイーター 1章 その差三十四センチ(公称) 2話 ブリーフィングルームで朝食を
2話 ブリーフィングルームで朝食を
この国の副都心には、ふたつの大きな繁華街がある。
ひとつは、ビジネス街がひろがる北区。
百貨店やラグジュアリーホテル、高級クラブや料亭といった、ホワイトカラーや高所得層をターゲットにした繁華街で「キタ」の名称で知られている。
対してのもうひとつが、商人で栄えた南区。
こちらはエンターテイメントが根ざしたローカル色の強い繁華街「ミナミ」があり、同時に食道楽のエリアでもあった。繁華街としては、市内最大規模になる。
このミナミを管区内にもつのが、南区方面分署——通称、ミナミ分署だった。
事件、事故、迷惑行為から各種トラブル……案件数に反比例して、建物も設備も古いまま。この分署の予算のなさを容赦なく視覚化していた。
息切れするようなクーラーの可動音に、ロッカーのドアを乱暴に閉める音をかさねる。
私服から、ミッドナイトブルーの制服へ。
着替えおえたクドーは、あわただしくロッカーを施錠した。ブリーフィング開始時刻まで、あと少ししかなかった。
慌てるはめになった原因は、二日連続で三時間延長の勤務をこなしたこと。
ジグソーパズルのように隙間なく並んだコンクリート建築物とアスファルトが、暑さと湿度をたくわえる。そこにミナミ名物の屋台からでる熱気が加わった労働環境である。
路上がサウナと化す季節すらものともせず、観光客は押し寄せてくる。三万人を超える地区住民にまじり、みな元気に食べて呑む。そして、そろって面倒ごとを頻発させた。
小暑のうちから続く熱帯夜に、人員不足が拍車をかける忙しさと延長勤務で、疲労のミルフィーユができあがる。
そうして、クドーは寝過ごした。
午後四時からのナイトシフトに入っているから、いつもは夕食どきで混みはじめる前の屋台で〝朝食〟を仕入れている。さすがに今日はそんな余裕がなかった。
起き抜けの身体にムチを入れてアパートを飛び出すと、実用一点張りのミニサイクルを飛ばした。
最短ルートかつ自転車最高速度が出せる道は把握している。その土地鑑と根性で、ギリギリ時間内にブリーフィングルームへと駆け込む成果を手にした。
さして広くない部屋に集まった制服警官は、東アジア系を中心とした多民族の構成になっている。戦後の移民が商業の街に集まった結果で、南区での民族構成のヒナ型になるのは、自然な成り行きだった。
ブリーフィングルームにはいったクドーは、男女とわず同じデザインの制服のなかから、すぐにバディを見つけた。
廊下側後方のすみっこ、本人曰く、いちばん落ち着く席に着いているリウに手をあげて、挨拶のかわりにする。
リウの周囲は、すでにうまっている。あいていた前方の席に潜り込んだ。
遅刻をまぬがれて安堵すると、室内の不快さを自覚してしまう。
待機している制服警官のひといきれはもちろん、制服の上下が、黒と見まがうミッドナイトブルー。見ているだけで暑苦しい。
現在の色になる前は、スカイブルーのシャツとダークネイビーのズボンだったそうだ。懐古趣味はないが、制服の色だけは昔のままのほうがよかったなと思う。
「機嫌が悪いのは、朝メシを食いっぱぐれたせいだな」
後ろから丸太のような腕がのびてきた。手にあるキルコリトースト(韓国式トースト)が小さくに見える。
「ひとくちでも食っとくか? クドーにおしえてもらった屋台のやつだ」
「ええの⁉︎」
喜色満面で振り返ったクドーに、頬ヒゲをきれいに整えた巨躯の同僚、柾木アートがうなずいた。
オランダ系の血が入っているが、身長を除いた外見には、ほとんどあらわれていない。
南区はとりわけ、多くの民族が集まってモザイクをなし、るつぼになっているエリアだった。他民族と溶け合った結果、名前と外見が一致しない人間も多い。
「チビの大食いをすきっ腹にさせとくと、凶暴になるからな」
「なんとでも言うて」
すでに開き直っている。ありがたく受け取った。
「この屋台、買った客みんなに『ありがとうっせよ』とか言ってるように聞こえたんだが、店主の訛りグセなのか?」
「『ありがとう、ト オセヨ』やと思う。『また来てください』って意味。ちょこちょこ母国語をはさんでくるんや」
「ふうん。クドーは片言ぐらいはいけるのか?」
「チョグンマン——ちょっとだけ、な。ワンフレーズが精一杯。ところで……」
トーストを飲み込んだクドーが、柾木のとなりに目をやった。
「あんたの相方、よう寝てるな」
柾木のバディ、スガヌマ・ミズホ(菅沼瑞穂)が机に突っ伏していた。
腕を枕にして、ぴくりとも動かない。ちょっと、つついてみた。
「6F15、10ー4!(南方面分署フットパトロール15地区担当、了解)」
イスを蹴立てて唐突に起立したスガヌマが、直立不動で応える。すぐに我にかえった。
「……あれ? あ!」
周囲からあつまった生温かい視線を受けつつ、身を縮めてイスにもどった。
「夢ん中でまで働かんでいい」と柾木。醜態を見せた後輩バディを叱りはしなかった。
「ちょっかいかけて、ごめん。起こしてしもた」
「いえいえ! すぐ起きるつもりでしたから。きのう疲れすぎたのか寝付けなくて。少しだけ休むつもりだったんですけど」
照れ笑いしつつ、はずしていたメガネをかけた。
サラサラの調髪に、ボストンメガネが似合いすぎる好青年の外見そのまま、ひとがいい。警らに出ると、高齢女性に人気があった。
柾木が、トーストを入れた紙パックを相棒に差し出した。
「スガヌマもつまんでみろ。結構いける」
「いただきます! 起きたときは眠すぎて、何も食べられなくて——」
「ブリーフィングルームは休憩所じゃないぞ!」
トーストをとろうとしたスガヌマの手がとまった。
ユニフォームマニュアルそのままに髪を整えた、松井田分署長がはいってきた。
小柄なクドーには見えないが、リウによると、頭頂部が楽しい髪型になっているそうだ。
「松井田……署長、なんでくるんや?」
「敬称をオマケみたいにつけるなよ」
「そういう柾木かて、普段から呼び捨てにしてるやん」
「本人がそばにいたら一応つけてるぞ? あと、名目上はここのトップなんだから、たまにはくるだろ」
ほかの班員も、ポカンとしているか、面倒そうな面持ちになっている。いつも分署長室にこもっているのだから、まあ当然の反応だった。
なんかあるんかな? クドーは相方に、視線でたずねた。
すぐ気づいたリウが目を合わせてくる。顔を小さく横にふった。
松井田が、黒のセルフレーム眼鏡ごしに、この場の責任者をねめつけた。
「飲食禁止を徹底させろと言ったはずだぞ、パク巡査部長」
「……申し訳ありません」
うしろについてきていたパクが謝罪する。
未遂のスガヌマが、つられて謝った。「すいません……」
ブリーフィングを仕切るパクは、飲食については黙認していた。
口を動かしていても、耳が伝達事項を聞いていればいいというスタンス。勤務時間延長や、ときにダブルシフトを言い渡す側の融通ともいえた。
「巡査部長がそんなだから部下が緩むんだ。そこのきみ、なぜサポーターで隠していない?」
松井田の小言がリウに飛び火した。左前腕のタトゥーに眉をしかめている。
これにはクドーが猛然と抗議した。
こういうときのリウは、観察者のような視線を返すだけで、相手が理不尽でも黙ったままでいる。だからクドーはよけいに反論したくなる。
「リウのタトゥーは、大きさも箇所も規定の範囲内です! それでもパトロールに出たら、署長の指示に従って、サポーターで隠してる。なにが問題なんですか⁉︎」
「警官らしい身だしなみをしろといっている。タトゥーや頬ヒゲが許可されるようになったとはいえ、ふさわしい姿がある。街をまわる警ら課の諸君が、この分署のイメージを決めるんだ。署内にいるときから心がけを見せてみろ」
「規則から外れたんは、タトゥーや髭が一般的に許容されるようになったからやし、雇用する側の事情も含んでのことでしょ⁉︎ ある意味、松井田分署長のほうが規定に外れてるといえますよ? それでも『ふさわしい姿』いうんを求めはるんは、市長からの評価がようなるからですか?」
「松井田分署長の」とまで言うのは抑えた。
この街は自治体警察だ。市長や市議会議員が、警察の運営に関わっていた。
声にしなかったクドーの言葉は、松井田も読みとったようだ。
くわえて、言い渡した注意の三倍の分量で帰ってきた不服申し立てに、こめかみに青筋をうきあがらせる。その背後で、パクが頭をかかえた。
「遅れてすんませんなぁ。話の途中で失礼しますえ」
唐突に入ってきた、まったりした声色が、緊迫した空気を間延びさせた。
「ブリーフィングの時間がなくなってしまうよって、すぐ始めさせてもらいます」
ライトグレーのスカートスーツが松井田の隣に立つ。高い鼻梁のくっきりした顔立ちの女性が、室内に視線をめぐらせた。
「副分署長に着任した、リリエンタール帆南警部です」
室内がざわつく。ながらく空いたままになっていたポストにいきなりだった。
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