[小説]青と黒のチーズイーター 5章 パトロール巡査のファイトバック 3話 なら壊してしまえ

3話 なら壊してしまえ

 ダニエラが止める間もなかった。
「そういうとこがゲスだっていうのよ!」
 ルシアの怒りには厭悪がまじっている。フレデリーコがやろうとしている行為を想像してしまったらしかった。
「ゲスな行為を見たくないなら、とっとと話せ。左右あわせて十本、たっぷり時間をかけられるぞ?」
「ダニー、もういいよね⁉︎ 自分たちのせいで、ほかの人が酷い目にあうなんて厭だ!」
 まずい。
「『もう』?」
 他人の失敗に卑しく食いつくフレデリーコが口角をつりあげた。これを狙ってルシアを攻めたか。
「やっぱり、まだあるんだな。折場、吐けよ」
 ダニエラは答えに葛藤する。
 これまでなら、警官の命など気にかけたことがなかった。職業的に当然のことだと思っていた。なのに、言葉にするのが苦しかった。
「……警官なら、こうなる覚悟も——」
「警官関係ない! 助けようとしてくれたマリアを見殺しにしたくない! 今度はあたしがた助けたい!」
「こっちを無視してんじゃねえ! 一本目をいくぜ⁉︎」
 マルティンが持ってきたシェフナイフ牛刀を受けとったフレデリーコの声がはずむ。


 リウは、状況が動くきっかけをうかがっていた。
 しかし、好転の兆しがないまま時間が過ぎ、限界が先におとずれた。
 シェフナイフが手下の手からフレデリーコへと渡される。クドーにやろうとしていることは想像に容易かった。
 フレデリーコがやるのは目的をもった拷問ではない。素人の拷問遊びでは、命の危険しかない。
 手首の皮膚が手錠で破れるのもかまわず、配管を引っ張った。蹴りを入れた。古い建物のくせに、びくともしない。
 耳触りな金属音がラミロの注意をひいた。が、クドーを押さえつける役を放り出そうとせず、こちらを気にしながらも動かずにいる。フレデリーコの命令は絶対らしい。
 そのクドーは、押さえておく必要がないほどになっていた。意識を失ってはいないが、身体が不安定にゆらぎ、危機に反応できていない。
 とっておきの作業に集中したいのか。フレデリーコがハンドガンをベルトに戻した。
 シェフナイフを右手に、クドーに近づく。
 ダニエラが助けに入ろうとしたが、すぐさまマルティンに牽制された。援護できる人間がいない。クドー自身で逃げるしかない。
 目を覚まさせようと、リウは大音声を叩きつけた。
「クドー、起きろ! 動けっ! マリア‼︎」


 低いけれど明瞭なリウの声は、雑踏警備の最中に聞いても、いつもシャープに耳に入ってくる。
 それがいまは、水の中で聞いているようだった。
 めずらしいなとクドーは思う。こんな聞こえ方も、めったに聞くことのない、切迫したリウの声も。
 視界にはいる光景をぼんやりと眺める。
 照明を反射している金属は……ナイフだ。結構、大きい。
 片手が床に縫い付けられていた。これは、すぐに殺すつもりはなくて……と安心してはいられなかった。
 きっと、殺されるより恐ろしく、エグい展開が待っている。
 早く逃げないと……
 そう考えていながら、どこか他人事だった。
 散漫なままの意識が、身体に指令を出せずにいる。


 木の枝が折れるような、妙な音——
 フレデリーコは、屋内で聞こえるはずのない音を聞いた気がした。
 無視できない気がして、そちらに振りむく。速攻で反応しなかったミスをさとった。
 すぐ目前にリウがいた。
 こいつが音の元凶か? しかし、ありえなかった。手錠でつないでいたはずだ。
 どうやって抜け出したのか。うろたえながらも咄嗟にナイフをを突き出す。その動きが逆作用となった。
 突き出したシェフナイフが、腕ごと簡単にはね上げられた。
 次の刹那、左から頭蓋をゆする衝撃がきた。
 鈍器で殴られたかのような平手打ち﹅﹅﹅﹅だった。
 手からナイフがこぼれ落ちる。どうにか踏みとどまったところで、再度の衝撃。耳元で風船を割られたような音がした。
 右をむいていたはずの顔が、ねじ切られる勢いで、反対側へと急転換させられる。
 往復で、頬を張られたのだ。
 凶猛な勢いに、顔から宙に浮き上がった感覚があった。
 床に倒れ込む。張られた耳に激烈な痛みがはしり、喉から悲鳴がほとばしった。


 リウは、シンプルに判断した。
 手錠を外すことはことは不可能だ。なら、壊す箇所を変えればいい。
 バジリオが監視役を忘れ、シェフナイフを手にしたフレデリーコに注意をそがれた。
 好機。手錠でつながれている右手の親指を握った。
 躊躇いはない。握った左手に力をいれる。
 右親指の骨を折った。
 苛烈な痛みが全身を突き上げる。身体は声に変換しようとするが、意志の力で抑えこむ。
 そうしてスチール製の輪の中から右手を抜き出した。バディが直面している脅威の排除にうつる。
 バジリオをすり抜け、フレデリーコへ。素手での対処が可能になる間合いに迫る。
 フレデリーコが気づいた。
 ナイフがのびてくる。
 リウは、左手を内から左上へと振り上げた。ナイフを握った手元をつかむ。
 同時に、折れた右親指をカバーして、手刀側を中心にした張り手をフレデリーコの頬に入れた。
 落ちたシェフナイフを蹴り飛ばした。
 間髪を入れず、本命の左を出す。
 衝撃で傾いたフレデリーコの身体を迎えるように、利き腕——左の平手を、フレデリーコの右耳に容赦なく叩きつけた。
 床に倒れ込んだフレデリーコが、鼓膜を破られた耳をおさえ、喚き声をあげてのたうつ。
 その頭を耳をおさえている右手ごと踏みつけた。
 頭を床に縫いつけ、フレデリーコがベルトに挟んでいたハンドガンを抜き取る。取り戻した銃でフレデリーコの胴体に照準、配下に命じた。
「武器をすべて捨てろ。こいつの血飛沫が見たくなかったら指示に従え」
 生きている人間を紙の標的と変わりなく撃つ目は、室内のどこを見るでもなく、視線の先をさとらせない。
 淡々とした声と表情が、本当にやりかねない説得力をもたせた。
 古株のナバーロが銃を床においてすべらせた。続いてラミロが銃を蹴飛ばした。それを見たマルティンもならう。バジリオが、ラミロにうながされて捨てた。
 ルシアが、すぐさま行動をおこした。
 ダニエラを拘束していたベルトをとく。それからクドーに肩を貸して、部屋のすみへと避難させた。
 リウはさらに警戒の姿勢を厳しくする。
「ジャケットを脱いで背中側を見せろ。ズボンのポケットを全部裏返して、すそを膝下までめくりあげろ」
 バジリオが噛みついた。
「調子にのるんじゃねえ、ヌードダンスでもさせてえのか!」
「逆らうな」ナバーロがとりなす。
「素っ裸になれって言わないだけ、まだ警官の面を被ってる。いまのうちに従っとけ」
 バジリオが愚痴った。
「どっちの味方なんだよ」


 人質にとられているフレデリーコの安全が第一だ。ぶつくさ言いつつ従った手下に、ラミロは一息ついた。
 銃を捨てさせ、なおかつボディチェックに念を入れてくるやつだ。生半可な反撃では、射殺の機会を与えるだけになる。
 ただし、このままではすまさない。
 フレデリーコを床に這わされたままで終わらせるつもりはなかった。


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