[小説]青と黒のチーズイーター 終章 そうだ、ご飯にいこう

終章 そうだ、ご飯にいこう

 夜も更けた夜夜中よるよかなでも、夜が明けきらない朝まだきでも、分署内には署員がいて、街を警ら警官が巡回している。
 いまの時刻を警ら課のシフトでいうと、生活リズムが世間と真逆になる、モーニングシフ早朝勤務ト。事件や事故が少なく静かなことから、このシフトを希望する者もいるが、クドーには無理な勤務だった。
 穏やかなのはいいけれど、やることがないと勤務時間が長く感じられてしまう。
 なにより、
「夜中にまわったって、しゃべる相手がおらへんやんなあ」
「警らの目的が、すり替わってないか?」
「井戸端ネットワーク、バカにできんで? 無線なみに一気に広まるし、その逆利用もできる。参加しといてムダにはならへんで?」
「…………」
 警らをともにしてきたリウが、無言で肯定した。
 引っ張ってこられる被疑者も来訪者もいない静かなフロアをすすむ。警ら課のスペースに入ると、かさ高い同僚が声をかけてきた。
「なんだよ、水臭いな。ハートマーク付きの『迎えに来てね』コールを待ってたのに」
 柾木がまだいた。
 デスクに腰をあずけ、寿司湯呑みみたいな自前のカップを手にしている。中身はきっと、芋の煎じ汁と酷評されている休憩室のコーヒー。報告書はすでにおわっているようだった。
「その台詞、リウに言うて欲しかったん?」
「ツッコミできないほど疲れたか」
「うん」
 クドーは、手近なイスに座り込んだ。もう動きたくない。
「お疲れ様でした。今度は呼んでくださいね。そしたら次、ぼくたちも頼りやすくなりますから」
「ありがと。けど柾木はともかく、なんでスガヌマまでまだおるん?」
 顔だけむけて後輩に訊いた。こちらは自販機のみかん百%ジュースを手にしている。
「なんでおれは『ともかく』ですまされてんだ?」
「ランチおごらせる下心で残ってたんやろ? スガヌマは寝不足なんやから、早よ帰さなあかんやん」
「それが報告書に手間取っちゃって、ついさっき終わったところです。ぼく、銃を使いましたから」
 記述に手を抜くと、パク巡査部長が突っ返してくる。
「あたしらは、こっからさらに遅なるんか……」
 リリエンタールに借りたシャツをのそのそ脱いだ。
 シャツ一枚脱いだだけなのに肩が軽くなった。洗濯機で洗える服ばかり着ているので、クリーニングに出すのを忘れないようにしないと。
「現実を嘆くヒマで、さっさと書いちまえ。どうせ逃げられないんだから」
 すでに書き始めているリウを指した。
 クドーは、しぶしぶあきらめ、ごそごそと用紙をとりだす。その間に、書きおわってから次のシフトに入るまでの時間がどれだけあるか考えた。
「帰るのめんどくなるなあ。このまま泊まったら職住近接……やのうて職住一緒か」
 書き出しながら自虐的に笑った。
「おんなじこと言ってたのがいたぞ」
「リリエンタール副署長とか?」
 フロア隅の副分署長室に姿は見えないが、灯りがついたままになっている。
「署内にシャワー室があるだけやのうて、安うてメニュー豊富な食事が屋台でとれるよって、ミナミ分署は便利どすなぁ——って」
 訛りまでまねて、リリエンタールの台詞を再現した。
「寝袋買いに行ってたりして」
 冗談半分で言ったのに、リウが同意した。
「棲みついてヌシになりそうだな」
 クドーはしばし無言になった。
 一拍おいて冷静になる。猛烈な勢いで報告書を仕上げにかかった。
「やっぱ家に帰りたい。健全な社会人生活おくりたい」
「そんなもん、ミナミ分署に配属になった時点であきらめたぞ。ナイトシフト班なのに、なんでモーニングシフト班の時間に仕事してんだ?」
「アカデミーを出るとき、配属希望を南方面分署にしたら校長に反対されました。こういうことだったんですね……」
 スガヌマがしみじみしたが、
「いや、おまえの場合、パパが手を回してミナミ分署以外に行かせようとしたんじゃないのか?」
「警官を志願した時点で、父とは縁を切ってます! いまさら口を出してくるわけありません!」
「それが親ってもんだろうさ。口ではどう言ってても心配なんだよ。おれもスガヌマ最初に見たとき、一週間もたないと思ってたから」
 柾木は、スガヌマの家の事情——納税と寄付で市に貢献している、菅沼父とスガヌマ・ミズホ菅沼瑞穂の関係を多少なりとも知っている。それでもあえてストレートに言った。変に気を回さないほうが、スガヌマも不満を出しやすくなる。
「まあ、それはぼくも……って、それとは別に、指導期間の最初のころ投げやりだったのは、教えても無駄だと思ってたんですね?」
 思わぬ火の粉が飛んできた元指導警官があわてた。
「いまはちゃんと勤め上げてるんだから、すごいじゃないか。な?」
 なにやら揉め出したコンビを放置して、クドーはペンを進めた。いったん書き始めると速い。書きながら相方に訊いた。
「リウがミナミ分署に配属されたの、柾木とおんなじ理由なんかな。暴力事案に強いっていう。それか、配属希望がそのまま通っただけやろか」
 同期だったアカデミーで、ミナミ分署希望だと聞いていた。
「ん……」
 本人、どうでもいいことのようだ。
 質問をずらして訊いてみる。
「ミナミを選んだんは、縁がある人がおったから?」
 リウのペンが止まった。
「……かいつまんでは話しにくい」
 ごまかさずに答えてくれたのは嬉しいが、時間をかけても答えは聞けない気がした。
 クドーが気になるのは、劉立誠リウ・リーチョンの存在だった。
 劉といってもリウ・フェンリィェン(劉風蓮)の親類ではない。ミナミでは有数の中国料理店のオーナーと、どこで接点ができたのか。ひとのプライベートに首を突っ込むものではないと、わかっているものの……。
 もっともリウの場合、説明そのものを面倒がっているのか、私的領域を聞かれたくないのか、つかめないのだが。
「疲れたから、帰りはリウの車で送ってほしい。かまへん?」
「ん」
「せやけど自転車おいて帰ると、次の出勤のとき、めんどうやなあ」
「迎えにいく」
 こういうわがままは、すんなり聞いてくれるのに。
「リリエンタール副署長が病院にきてたの、帰宅ついでやなかったんやな」
「ん」
 肯定の「ん」だ。
「なんでリリィが来てたの知ってるん?」
 リウのペンが再び止まった。
 スガに会ったあとのリリエンタールは、まだ別の用があるとかで、すぐに病院を出ていった。その短い滞在時間のなかで会っていたのは……
「リリィって誰だ?」
「質問に違う質問ぶつけて、ごまかしてへん?」
「…………」
 答えないということは、立誠が関係しているせいなのか。
 遠目に見かけただけとか、適当を言ってやり過ごそうとしない。このクソ真面目に信頼をよせてしまうのは、相方の贔屓目ひいきめだ。
 黙したまま報告書にもどったリウの手元に、つい視線が吸い寄せられた。
 右手親指にまかれた包帯が、蛍光灯の明かりを反射して少しまぶしい。
 頑なに認めないが、親指の骨は手錠から脱出するために自分で折ったのだ。拷問からバディを守ろうとして。
 クドーは、自分で自分の指を折ってでも、バディをたすける気概があるだろうかと自問する。
 近寄れない一線があり、リウを遠くに感じることがある。それでもなお得難いバディだと思うのは、ここ一番のときには必ずたすけてくれるからだ。
「なぜ柾木さんは、頼りないぼくとコンビを組んだままでいるんですか?」
 スガヌマが機嫌を損ねたままでいた。めずらしく引きずっている。
「そりゃ、おれの足りてないとこをカバーしてくれるからだ」
「足りてない?」
「足りてへん?」
 スガヌマとクドーの問いが重なった。
「クドーはリウに訊けよ。たぶん、おれと同じことを答えるはずだ」
 書き終えて、デスクまわりを片付けているリウに振り向く。ひたと見つめた。
 警ら中の声かけや聞き取りは丸投げされているが、それ以外でカバーしていることが思いつかなかった。パトロールカーの運転も普段は任されているが、小径での緊急走行といった場面になると交代することがあるし……。
 しばしの間をおいてから、リウが応えた。
「車を停められる店でいいなら」
「……なに言うてんのん?」
 話がどこにぶっ飛んだのか、クドーにはみえない。
「空腹だから帰る途中で寄り道したい——じゃなかった?」
「うん……まあ、お腹はすいてる」
 阿吽の呼吸のバディではあるが、たまにポイントが大胆にズレることがある。
 報告書をセキュリティポストに入れにいったタイミングで、柾木の話を聞いていなかったのだと、好意的に解釈しておいた。
「じゃあ、みんなで食べに行きましょうよ! ここのところ忙しすぎて、ストレス発散したい気分なんです」
 話が脇道にそれたまま、スガヌマが提案した。
「おまえ、寝不足でハイになってるだけじゃないのか? 食うより寝たほうがよくないか?」
「ええ、もう疲れすぎて眠れる気がしません!」
「殴ってでも眠らせたほうがいいのか、バディとして悩むよ」
「だってスガ警部補のことを考えると……アカデミーから感じたんですが、愚痴はまだしも、弱音はみせられない空気が強いですよね。そんなのがなかったら、こんな結果にならなかったかもって——」
「おし、できたっ! ご飯にいこ!」
 クドーは、それ以上を言わせなかった。出来上がった報告書を手に、イスを蹴立てて立ち上がった。
 スガヌマに考えさせない。バテているときに考えると、ネガティブな答えばかり出てきてしまう。いま必要なのは、カラダとアタマのリセットだ。
「皆んなでご飯食べたら元気になれる!」
 スガの悩みを忘れるわけではない。まずは補給を第一にした。
「おまえはとにかくメシだよな。リウはどうするんだ?」
「いく」
「柾木は帰ってええで。足はリウの車で足りるから」
「そんな冷たいこと言うと、泣くぞ?」
「スガヌマ」と、柾木を放ったらかしてクドー。
「はい?」
「やっぱ、これだけ言うときたい。仲間内やったら弱み見せてええんやで?」
「……そうですよね……いいんですよね?」
「うん。つらい仕事のあとほどアホな話で盛りあがるけど、それだけですまへん時もあるやん。さっきスガヌマが、頼ってもろたら自分も頼りやすなるて言うたの、そっくりそのまま返しとく」
 ミナミで生まれ育ったクドーが、勤務先までミナミにしたのは、ひとりになれないミナミが好きだからだ。
 ほかの地域や国からきた人間が多いミナミでは、近くの他人と迷惑をかけあっていくことが、生きていくための手段になっていた。できないことを他人にも持ってもらい、できることを預かる。慣れていないと図々しく感じるほどのコンタクトがある。
 ひとりにさせてくれないことは、独りにさせないことでもあった。
「信頼いうんは、相手信じて頼ることやん。仕事でも、気の置けんもん同士で寄りかかって立ってるのも悪ないやろ?」
 スガヌマに話す体裁でアピールする。
 ——たすけるだけでなく、あたしにも寄りかかってほしい。
 報告書をセキュリティポストに入れると、リウへとふりむいた。
「待たしてごめん。じゃ、行こか」
 さて、どれだけ伝わっただろうか。

     *

 ルシアは、ひとりだった。
 撃たれた治療——弾は防弾ベストが防いでくれたものの打撲を負った——を受けたあと、狭いビジネスホテルの一室に閉じ込められ、落ち着かないまま夜を明かした。
 ダニエラとは病院で別れたまま、会えていない。
<モレリア・カルテル>の内部情報を提示し、裁判で証言するといっても、ダニエラ個人の罪が消えてなくなるわけではない。取引で懲罰がどれだけ軽くなるかに望みをかけていた。
 フレデリーコとラミロは逮捕され、ボスのエンリケ・デルガド=ドゥアルテは行方不明﹅﹅﹅﹅になったという。
 遺留品や血痕といった痕跡がまったくなく、出先のバーで忽然と姿が消えたものだから、お付きの手下たちは軽くパニックになったらしい。
 実質壊滅状態になったが、残った忠実な構成員が、その原因をもたらしたダニエラたちに報復してこないとも限らない。そうして再び、ルシアは警護の警官とすごしていた。
 ドア付近にたたずんでいるスーツ男に目をやる。視線に気づいてルシアの方をみたものの、ルシアが口を開くより早く視線をもどした。そのまま会話をさけるように、窓の外を眺めたままでいる。
 あたしと話すより、オフィスビルの壁を見てる方がいいって?
 ルシアは六度目のため息をついた。
 この警官、退屈だ。これが本来の警護だとしても。
 別に楽しいおしゃべりを期待したわけではない。部屋の中はクーラーがきいていて快適でも、ふれるものが窓越しの画一的な風景だけでは腐ってしまう。
 近代的デザインのビルが並んだ街なみは、ミナミとは比べようもなくきれいだ。けれど、不快なはずの人いきれにエネルギーを感じさせるようなバイタリティーはない。
 あの混沌が懐かしくなるほど、いつの間にかミナミになじんでいた。
 マリアはもう起きてるかな……。
 1日の中で太陽が一番高くなる時間になっていた。ナイトシフトだと言っていたから、暑さのピークを迎える頃に仕事に出るのだろう。夜営業のステージに立つのは体力的にも大変だったが、彼女もなかなかどうして、タフなお巡りさんだった。
 警護なら、またクドー・マリアに付いてほしかった。互いの信頼関係ができているから、警護もやりやすいはずなのに、管区が違うからと一蹴されていた。あのクドーが、よくこんな融通のきかない組織に勤めていられるものだ。
 そして、クドーが助けてくれたのは警護だけではなかった。逃げる途中で落として、あきらめていたバングルも拾ってくれていた。
 そのまま貰ってもらおうと思ったが、落としたショックのせいでか形が歪んでいる。新しく作って渡すことにした。
 ルシアは、この機会にダニーにもと考える。
 もう、人を殴ることはないのだから、たとえ指輪でもジャマにはならないはず。
 ついでにクドーの、背の高い相棒にもあげようかと思いついた。土俗的で力強いデザインのタトゥーにあったバングルを……と思ったものの、くじけつつある。
 リウがアクセサリーをつけているビジュアルが、まったく、欠片も思いうかばない。イメージできないから、どんなデザインを贈ればいいか、ルシアには見当がつかなかった。
 バングルをプレゼントしても、ペーパーウェイトととして使われてしまいそうだ。けどまあ、そこは本人の好きに使ってもらってもいいかと思いなおす。
 警護の警官が、買い物に出かけさせてくれるかがハードルだった。隠れていたルーフトップの家に置いてきたバッグは回収できたが。デザインによっては足りない材料が出てくる。
 とりあえず手近な紙に、デザインのラフスケッチを描き始めた。
 書きながら思考をまとめるのは、いつもの習慣。あげる人をイメージしながら描く。
 今日描いたものも何枚かはバインダーファイルに残すつもりでいる。あげる相手がいる、幸せの記録になる。
 支えてくれた人がいて、支えたい人がいる。
 みんなと離れているが、独りでいる気がしなかった。
 次のステップが見えてくると、お腹がすいてきた。昨日はろくに食事もとっていなかったしと、出したばかりのペンとメモを片付けて立ち上がる。
 テイクアウトではなく、外に出て食べられるよう、警護役と折衝するつもりでいた。
 昼日中ぐらい大丈夫なはずとたかを括っているのではない。護られているルシア自身も用心を忘れず、警護役と息をあわせて動く。こうすれば安全性はぐっと高くなると考えていた。
 何事もなければ、そんな用心が必要な重要人物じゃなかったと笑い話にすればいいのだ。
「ね、提案があるんだけど——」
 ルシアは警護役に話しかけながら、ふたりをへだてる距離を小さくした。
 ミナミの屋台が遠くなったのは残念だけど、まずはご飯だ。

                             了



                               


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