[小説]青と黒のチーズイーター 5章 パトロール巡査のファイトバック 2話 もう無理
2話 もう無理
フレデリーコの仕事に新たなものが加わった。
ダニエラが持ち出した内部資料回収のほかに、<モレリア・カルテル>のボス、エンリケ・デルガド=ドゥアルテや幹部らと警官とのやりとりを録ったという、カセットテープの確認だった。
これには合流したラミロも加わり、百本近くありそうなテープを一本、一本調べている。
小さな目印に目を凝らす作業は、遅々として進まなかった。
フレデリーコは苛立つ。
録られた間抜けな警官など切り捨てて、永遠に口を閉じさせればいいのだ。ネズミはまた新しく飼えばいい。金に目がくらむやつはいくらでもいる。
なのにボスは、それでよしとしなかった。回収したテープを利用する先を考えているのかもしれないが、合点がいかない。
「もういい、やめろ!」
唐突な大声に、ルシアは反射的に首をすくめた。無意識に防御の姿勢をとっていた。
作業を眺めるだけだったフレデリーコが、ラミロの手をはたき、カセットテープを叩き落とした。
「こんなことに時間をかけてられるか! マルティン、まとめて全部燃やせ!」
「待て待て、待ってや! キッチンで燃やすにしても、ここの小さい流しで焚き火したら、火事になるかもしれんやろ! トンカチで潰して、テープ絡ませたらたらすむやんか」
口を挟んだのはクドーだった。警官として無視できない台詞だったのだと思う。
ミナミに住んでいる人たちは、火事をいちばんに恐れていた。道幅が狭く入り組んでいるから、入って来ることができる消防車両が限られるのだそうだ。こんな風の強い夜に出火させたら、一気に広がってしまう。
「おれにアドバイスしようって度胸は誉めてやろう」
クドーに近づくなり、平手を食らわせた。
「これがおれの答えだ。指図するな」
打った手を戻しざま、ついでのように手の甲で、反対の頬を打ちつけた。
皮膚が裂かれるような冷たい音に、ルシアの手は冷たくなった。
こういう場面のフレデリーコには見覚えがある。舞台のバックヤードで、ときに客がいる前で、感情のまま店の人間に暴力をふるっていた。
口出ししたら、また殴られるかもしれない。そのあとに優しい声で何度も謝り、こちらの気を許させる。そうしておいてまた、逆上すれば手を上げてくるのだ。
ルシアは膝を折ったりしない。
ダンサー仲間には、言われるがままにならない強気を見せていた。けれどそれは、フレデリーコに屈したままでいたくない空元気にすぎない。ルシアだって怖かった。
その恐怖をおさえて、声をあげる。
何より、モレリアから抜け出したダニエラがそばにいた。彼女が見ているまえで、自分も闘えるところを見せたかった。
「フレデリーコ! あんた、ほんとに変わらない。気に食わないってだけで、自分よりずっと弱い人間に手をあげてた。そんなとこ見せられて、愛想をつかさない女はいない。あんたは強い男のつもりでいるけど、強いって意味を全然わかってない!」
これにはダニエラが止めに入るより先に、ラミロが怒鳴った。
「ちょっと目をかけられていた程度で、でかい口を叩くな、黙ってろ!」
実際、ラミロは止めにはいっていた。
怒りの沸点が低く、状況を見失いやすいのがフレデリーコの欠点だ。自分がカバーするしかない。兄にかわって室内の変化を見落とすまいとした。
やはりというか、チビ警官の相棒に気がかりをおぼえた。
感情がみえにくいタトゥー警官の双眸から、さらに温度が消えた気がする。配管につないで自由を奪っているが……
どうにも不穏な流れを感じる。
しかし、そんな第六感的なことは信じないフレデリーコだし、たとえ古参のナバーロが言ったところで聞き入れない。
フレデリーコのリアクションは、予期した通りになっていく。
「わかっちゃいないのはおまえだよ、ルシア。おれがやっているのは必要なことで、最適な手段を選んでやってるんだ。口で言ってわからないやつのためにな。こうやって!」
ルシアに手を振りおろすより早く、
「最適じゃなくて、他の手段を知らないだけでしょうが!」
ダニエラは、暴力の矛先を自分に転じさせようとした。
「口実をこじつけて、加虐趣味を満たしてるだけだ!」
「おお、悪いな。ほったらかしにしたから折場は退屈したんだな」
胸ぐらをつかみ、狡猾に笑む。
「用意周到なダニエラ折場カルヴァーリョだ。ネズミになるのに、貢物がカセットテープと自分の頭の中の情報だけってことはないよなあ。ほかに何を用意した?」
素知らぬ顔の裏で、ダニエラは牙を鳴らした。
感情的に動くかと思ば、抑えるべき肝心のポイントは見落さなかったりする。跡目争いに加わるだけのものはもっていった。
「いまのうちに差し出すなら、おまえとルシアの今後の無事を考えてやるぞ?」
甘言にはのらない。しかし、ほかに情報などないと言ったところで、フレデリーコは納得しない。
答えに窮するダニエラに、推定味方の警官が代わって出た。
「答えられへん難題ふっかけて、いたぶる建前にしてるんやろ?」
クドーは痛む頬で口をひらいた。
「だいたい、テープ以外の土産とか、ほんまにあるん? カセットテープの情報にしたって、他人から教えられて、やっと気づいたんやろ? ちゃんと把握できてなかっ——」
頬が先ほどより鋭い音で鳴った。
かかりよった。激昂そのままな平手打ちに、クドーは手応えを感じた。
ルシアたちから気を逸らせるための思いつきだったが、真実をついたかもしれない。にしても、これは結構きいた。気絶はまぬがれたものの、頭がクラクラする。
「このまま静かにさせてやるよ。『舌は禍いの根』だからな」
「図星だったんだな」
リウの声が割ってはいる。殴られる耐久力に不安をおぼえたところで、引き継いでくれた。
喜んでばかりはいられないが、やっぱり思う。
うちの相方、最高。
「図星だったんだな」
その一声で、フレデリーコの頬がひきつった。
ルシアはこの顔をステージ裏で、店の奥で、何度となく見てきた。逆らってくる人間すべてが気に入らないのだ。話に割り込んだリウのほうへと振り向いた。
「ネズミを追いかけているおまえも、ネズミに頼っていたんだ。情報収集能力がないんだな」
歯に衣着せぬ物言いに、フレデリーコが額に青筋をうきあがらせた。
「どいつも、こいつも……!」
「誰にすがってテープの情報をおしえてもらった?」
「黙りやがれ! 質問できる立場にあるのは、おれだけだ!」
ベルトに挟んでいたハンドガンを抜く。リウではなく、ルシアの前にきた。ダニエラの顔色がかわる。
やっぱりかとルシアは思う。
「折場を痛めつけたところで口を割らねえのはわかってる。こいつは頑固なとこがあるからな。ということでおまえだ、ルシア」
どこを突かれるといちばん痛いか、フレデリーコは確実に嗅ぎわける。ルシアを痛めつけて、ダニエラから情報を聞き出すのだと。しかし、
「ラミロ! そのチビをおさえつけろ」
「え、警官をか……?」
ここで矛先がクドーにいくとは思わなかった。
兄のやり方に口を挟まないラミロが、さすがに反対した。
「いや、お巡りに手を出すのはまずいぜ。テープを始末したんだ。あとは折場をボスのところに——」
「必要ない! ここで、おれが全部カタをつける。さっさとやれ!」
「わ、わかった」
部屋の中央にクドーを引っ張ってくる。ひざまずかせた背後から、襟首をおさえた。
「おまえが信頼してる折場のせいで、たまたま警護についた、こいつが死ぬかもな。それとも相手が『市民の奉仕者』なら、心を痛めることもないか?」
面と向かって言ったのはルシアに対してだった。銃口をクドーに向ける。
「そうそう遊んでばかりいられないからな。さっさと答えを聞かせてもらおうか」
壁際の配管から、金属がふれあう硬質な音が忙しなくなった。手錠に動き阻まれているリウを愉快そうに一瞥する。
「静かにしてろよ、お巡りさん」
そうして、またルシアたちに向き直った。
「さあ、おれに有用な情報なら、なんでも誰からでも受け付けるぞ! なんかないのか?」
「ルシアもダニエラさんも、なんも言わんでええ! 自分らのことだけ——!」
「べらべら、うるせえ!」
グリップ底をハンマーがわりにしてクドーを殴りつけた。
ラミロが背後からおさえているから、逃げようがない。まともに受けたクドーが意識を手放しかけた。
「タフでなけりゃ、お巡りさんになれないよな? どこまでもつか試してみようや。おい、チビの手錠をはずせ」
「なにをする気だ……?」
たぶんラミロはわかっている。わかっていながら訊いたラミロに命令した。
「チビの手を広げて床に押さえつけろ。マルティン! ナイフかハサミを探して持ってこい!」
ルシアの胸の内に、耐え難い本能的な不快感がせりあがった。
逆らえばフレデリーコは手を上げてくる。殴られるのは怖い。痛いだけでなく、気持ちまで壊れそうになる。
けれど、抑えていられなくなった。
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