[小説]青と黒のチーズイーター 6章 「サゲイト」は誰だ 3話 重くなんかない

3話 重くなんかない

 ダニエラは、金バッチをつけた男からIDを見せられた。
「組織犯罪係のスガ警部補です。遅れて申し訳ない。急がせて悪いが、すぐに来てください。検事補が待っています」
 返事をしないまま、じっとスガに見入る。
「わたしの顔に鑑賞してもらうほどの面白さはないと思いますが?」
「失礼。どこかで会った気がしたから。名前が違うし、人違いかもしれない」
「ときどき言われます。さして特徴のない顔ですから」
 本人が言うとおり目立たない顔立ちだった。濃い栗色の髪や、青みが入っているようなグレーの目の色といった特徴は、近くで見ないと気づかない。
 ミックスルーツの外見もミナミではめずらしくもないから、この警部補の言うとおり思い過ごしかもしれなかった。
「証拠品はそれで全部?」
 ルシアがとってきたバインダーファイルを見たスガが訊いてきた。
「これは彼女の私物。証拠品は別のところに保管してある。ふたりとも保護してもらったら、あなた方が欲しているものを渡す」
「……そうですか」
「ところで——」ダニエラは少し言いにくそうに訊いた。
「迎えはあんた一人だけで? モレリアが出した追手は、ここにいるだけとは限らないのに?」
「こちらの都合ですが、南方面分署は人員不足が常態化しています。通報が増える時間帯に、爆発事故が重なりました。人数を集めるのが難しくて」
 スガが複数の被疑者を制圧している制服警官を視線でさした。
 うつ伏せの後ろ手で床に並べた被疑者は五人。対処している警官は四人。負傷している警官がいるし、足りない手錠はタオルやコードで代用している。
「怪我をしている被疑者もいるとはいえ、カルテルの構成員です。新しい応援がくるまで押さえておくための人数はおいておきたい。協力を願えませんか?」
 いささか不安が残るが、ルシアを早く休ませたい。気がかりを感じながらも承知した。


「証人はおれが連れていく。あとを頼みたい」
「『任せてください』としか言われへんですよね」
 スガにむけて、クドーが意見を代表した。
 いやみではなかった。ほかに適切な割り振りがない。人数が足りなくても、気合いとムチャでやるしかないの毎度のパターン。
 伏臥の体勢から首だけ持ちあげたフレデリーコが余裕をきどった。かつての仲間にむけて、
「おもしろい絵面だよなあ、おまえら。チーズぐ——」
「強がるな」
 スガが最後まで言わせなかった。茶々を入れたフレデリーコに、即座に応酬した。
「自分のいまの格好をみろ。往生際の悪い」
「てめぇ——痛っ!」
「うるさいんだよ、おまえは」
 いきりたったところを柾木がいなす。いさめる体裁をつくろい、顔を床で殴った。
「悪いな。力があまった」
 床から聞こえた鈍い音は聞こえなかったことにして、クドーは警護していたふたりに視線をやった。
 スガと出て行こうとしているダニエラとルシアを、このまま見送っていいんだろうか……。
 記憶のすみの何かが引っ掛かっている。


 移動をうながすスガ警部補にダニエラが頼んだ。
「クドー巡査とリウ巡査に、ひとこと挨拶していきたい。いい?」
「手短に」
 ふたりがやりとりしている間に、ルシアは放り出されていたバインダーファイルの埃をはらった。乱暴に扱われて表紙が傷んだが、中身は無事だ。
 フロシキ・リュックに入れようとすると、
「そのバインダーは?」
 スガが目にとめた。
「あたしの荷物。これは絶対持っていきたい。思い出とダンサーの貯金みたいなものだから」
 気安くさわらせないかわりに、バインダーファイルの中をバラバラとめくって見せてやった。
「『思い出』がわたしがイメージするものと、ずいぶん違いますね」
 言葉はていねいだが、その目に刑事特有の猜疑心がともっている。
「懐かしむだけのものじゃないからね。少額の収支や領収書は、お金がなくても乗り切ってきた自信になる。役に立つかどうかわからない振り付けメモでも、試行錯誤を重ねた矜持に。刑事さんの基準で、あたしの拠り所を判断しないで」
 見せろとばかりに差し出されれたスガの手には気づかないふりをした。さっさとフロシキ・リュックに入れてしまう。
 いちおう訊いただけにすぎなかったのか。スガも話を戻した。
「車は少し離れた場所にあります。離れないようについてきてください」
 ダニエラと一緒に屋上部屋から出ると、ルシアは空を見上げた。
 頭上には満天の星……といかないのが都心部の空だ。地上の人工照明は足元を明るくしてくれるけれど、空の星は消してしまう。今夜は曇天の重苦しいグレーの空がひろがるばかりだった。
 スガに続いて階段室にはいる。
 狭い階段をダニエラと並んで下りていると、
「いまさらだけど、巻き込んでごめん」
 ダニエラが謝ってきた。
「こんなに大変なことになるなんて——」
「これ、いいでしょ?」
 メイド・イン・クドーのリュックをアピールするように背中をみせた。
「運びやすいようにマリアがつくってくれたの」
「さっきから言ってる『マリア』は、あの小さい警官?」
 わかりやすく話をそらしたことが、ダニエラへの答えだった。
 それからスガを意識して声をおとした。
「部屋を出るとき、ダニーがバインダーファイルを持とうとしてくれたけど断ったでしょ。別に遠慮とかじゃないの。
 あたしの荷物なんだから、あたしが持ちたい。一緒にいくって決めたのもあたし。だから重いなんて思ってないよ」
 さらに囁くように言った。
「あたしに最後まで持たせてほしい。護られてるだけじゃイヤなの」
 かなう可能性がわずかでも、望むほうへ、前へ。
 ポジティブのかたまりのように見せてはいても、悩み事や恐れはいつもあった。それらをポジティブになることで押し潰してきた。
 迎えが来て、これで安全になったわけではないし、大変なことは、これからも起こりうる。だから能動的でいたかった。
「また別のピンチがきても負けないために、あたしも闘えるって経験をさせて……っていうのは、カッコつけすぎなんだけど」
 ルシアは自分のセリフに照れながら笑う。


 ハグしたいと思った。
 ダニエラは、健気で勇烈なルシアに感じたままに応えたかったが、スガがいる。保守的な人間が多い警官の前でも気にしないが、いまの立場で悶着はおこしたくなかった。
「ルシアのことは信じてる。けど、つらくなったら言って。半分ずつ持って歩こう」
 言葉だけで伝えるその間も、前をいくスガが振り返ってくることはなかった。しかし、話し込んで遅れがちになる歩調でも、スガだけが先に行くわけでもない。
 何気にふたりで話す時間をくれた——と厚意的に思うことはできなかった。
 スガはダニエラと会ったことがないと言っていた。ダニエラも顔をはっきり覚えているわけではないし、名前も違う。
 しかしどうにも、どこかの記憶に重なるような気がしてしょうがなかった。誰かと見間違えているのでもないと思う。
 この引っかかりが、スガへの消しきれない不審となっていた。
 部屋を出る前、挨拶にかこつけて、記憶に残っている名前をクドーに訊いてみた。首をひねられただけで収穫はなかったことからして、やはり勘違いなのか……。
 二階まで下りてきたところで、もう一度スガに訊いた。
 クドーたちから離れれば、しばらくは孤立無縁といっていい状態になる。その前に、この警部補は大丈夫だという安心がほしい。
「スガさん、だっけ。あんた、モレリアのボスには会ってるよね? その時にあたしと顔を合わせているんじゃないかな。あたしはボスの側にいただけで、話に入ることはなかったから、記憶に残らなかった、とか」
 ビルを出ようとしていたスガの足がとまる。ゆっくり振り返った
「確かに捜査で会っている可能性はありますね。事情を聞かせてもらうために、そちらには何度か出入りしてますから」
 薄暗い屋内、通りから入る街灯の明かりが逆光になって、スガの表情はよくわからない。
 ダイエラは思わずルシアの手を握りしめた。
 ルシアの手が温かく感じる。ということは、それだけ自分の手が冷たくなっていることでもある。
「ダニー? 気分悪いの?」
「高城さんを心配して疲れたのでは?」
 ビルから出て、街灯の明かりをうけたスガが心配気な顔をみせた。
「向こうに着きましたら薬もありますから、いま少し辛抱してください。急ぎましょう」
 確かに。ルシアの無事が気になってしょうがなかった。神経質になりすぎているだけかもしれない。


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