[小説]青と黒のチーズイーター 1章 その差三十四センチ(公称) 5話 その言葉の意味は「愛してる」
5話 その言葉の意味は「愛してる」
スガ警部補に続いて、クドーも気になったことを訊いた。
こちらを射すくめるような眼差しのダニエラ折場カルヴァーリョの顔写真をさし、
「情報提供者の折場ですけど、ミナミでの滞在は長いんですか?」
「特にそういう話はあがってませんけど?」
リリエンタールに話の先をうながされる。
「や、どうやって折場は、隠れ場所を見つけたんかなと」
「というと?」
「折場が隠れ場所に選んだあたり、居住用と事業用の賃貸物件が入り混じってて、気軽に部屋を探すとはいかへんとこなんです。
地番がわからへんいうことは、まだ長いことは住んでない。今回のために新しく見つけたんやと思いますけど、それがたまたま見つかったんか、紹介で知ったんか、ほかの方法なんか。いまは関係ないことでしょうけど」
「興味深いところを突くな、クドー巡査は」
スガが興味をしめした。
「折場に協力者がいるかもしれないと? 副署長はどう思われますか?」
「ミナミで活動しとったんです。ツテがあったかもしれまへんな」
「…………」
当たり障りのないことを言ったリリエンタールに、スガが考え込む様子をみせる。
クドーは物足りない返答に、リリエンタールもこんなものかと聞き流しそうになった。
ふと、別の考えがうかぶ。答えをはぐらかせた?
「なんしか、いまは留意しとくだけにしときまひょ」
時計を見たリリエンタールが指示を出す。
「高城ルシアさんはダニエラ折場の証言を裏付けるカセットテープを預かっているそうです。こちらも回収してきてください」
「そのことを松井田署長は?」とスガ。
「ついさっき入ったばかりの報告ですよって」
松井田の耳には入っていない——。
部下三人は考える。
松井田が現場に丸投げするのは毎度のことで、今回もリリエンタールに最初から投げているのか。
あるいは、リリエンタールは故意に松井田をとばして情報のやりとりをしている可能性もある。
三人の表情を読んだリリエンタールが声を落とした。
「折場が近親者の保護を求めてきたんは、内通者がおる背景があります。せやから情報は、ここにおる人員でのみ共有します。たとえ相手が上司や同僚であっても口外せんとってください」
クドーは内心で悶える。退屈だと思っていた仕事のハードルが一気に上がった。
松井田にも情報をシャットアウトするということは、内通者が警官かもしれないということではないか。
スガが話をすすめた。
「テープの信憑性は?」
「保護を確実にするために釣ってるだけかもしれへん。けど、確かめへんわけにはいきません……っていうより、こっちが本音なんやけど、くまなく捜査したいう痕跡を本部が欲しがってるんですわ。成果が上がらんかったときの保険ですな」
リリエンタールがデスクに腰をあずけた。
「今のうちに聞いときたいんやけど——」目線の高さをクドーに近くして訊く。
「クドー巡査にとって松井田分署長は、どんなおひとですか?」
「松井田ですか? えっと……」
時間を気にしていたのに唐突な話をもってきた。いきなりの方向転換についていけず、いつものクセが出る。敬称が抜け落ちた。
そこを気にとめるふうもないリリエンタールが、視線で答えをうながしてくる。
「松井田さんと一緒に働いてきて、これまでの印象は?」
さしものクドーもストレートには言いかねた。
「えっと……上司として? 人間として?」
「どちらでも、なんでも。思てること聞かしてください」
「署長としては……まあ、ほかもこんなもんなんかなあという」
「オフレコは守りますよって、ナマの声が聞きとおすなあ。わたしとしては、これから松井田さんと組んで仕事できることを望んでます。知っといたほうが円滑にすすみますよって」
クドーは言葉を選びながら答えた。
「あくまで感想ですけど……あたし——わたしにとっては、現場におらんほうが効率的になって助かる上司かなあ……とか?」
「リウ巡査は?」
「…………」
「ノーコメントは堪忍してや。上におるもんとしては、みなの意見を聞く貴重な機会ですよって」
「上司としては、仕事の指示を受けた記憶がありませんので、返答に困っています。人間としては、関心が向かない方です」
スガが背中をむけて肩をふるわせた。笑い声がもれてくる。
クドーは、大きな瞳をさらに大きくして、のけぞった。
「あんたは……あたしでさえオブラートにつつんだのに」
普段の言葉数は少ないながら、時に、どストレートな発言をするやつだと知ってはいたが。
「なんとのうわかりました」と言いつつ笑っているリリエンタールに、
「こういうことを他者の耳がないとこで聞きたい理由は?」
聞きたいのはナマの声だけではない気がする。クドーは答えを期待せずに尋ねた。
ここで松井田を持ちだしたリリエンタールに、スガも注目する。単純に分署長と部下の意思疎通の参考にしたいだけではないだろうと。
「オフィスのコーヒースペースにこそ、その職場のほんまの声が出てくるもんでっしゃろ?」
「ええ、まあ……」
「耳が痛い意見は、上にいくほど聞こえんようになる。せやからいうて聞かんままでおったら、機能的に動けん組織になってしまう。そういうのは避けたい思いましてな」
微妙にはぐらかされている気がして、少しモヤモヤ。スガが小さく肩をすくめてみせたのを見て、クドーもひきさがった。
心やすい雰囲気をつくりながら、本音の手前に強固な扉ある。簡単なことでは開きそうにない。
「ほんなら警護役たのんますな。何がきっかけで場所がバレるかわからしまへん。気ぃ抜かんように」
「警護は私服でよろしいですか?」リウが確かめる。
リリエンタールがうなずいた。
「タトゥーのサポーターもせんでかまへん。むしろ警護のあいだは隠さんほうがええかな」
「なんで制服と違て私服なん?」
質問することを恥ずかしいと思っていないクドーは、すぐ訊いた。
バディが答える。
「徒歩警らを思い出すといい」
「……あ、そっか。警護に集中するためか」
財布をスられたかもしれない、バンザイサインの大看板はどこにいけば見られる? 安いホテルをおしえて……エトセトラ。
徒歩警ら中にしょっちゅう呼び止められるのは、制服という目印があるからだ。威厳を演出する制服を着ていても威圧感を発揮しない、クドーの容姿のせいもあったが。
「それに制服が目の敵にされることもある」
「うん、そやったな」
警察のシンボルとして、制服警官が襲われたことがある。デリケートな任務の最中に、よけいな揉め事が入ってくる余地を絶っておく。
スガがリリエンタールに提案した。
「念のため、パトカーをおいていっては? おれが覆面で送ります」
「スガ警部補が?」
クドーは意外な表情をうかべた。
「普段手伝わせているんだ。たまにはおれが使われるさ。で、どうでしょう?」
ボスに了承を求めた。
「……お願いしましょか。こちらの動きは、なるべく隠しときたいですしな」
クドーは内心で首をかしげた。簡単な提案だ。なのに、しばし迷うような間があったのはなんだろう。
「用意ができたら、組織犯罪係の部屋まできてくれ。机の上の紙束を少しでも減らしておきたいんだ」
ペーパーワークをため込んでいるようだ。スガが先んじて出ていった。
警部補を待たせないため、クドーたちもロッカールームへと急ぐ。装備も私服用にかえる必要があった。
「ショルダーホルスター使てみたいんやけど、装備で出してもらえるかな?」
足の回転をあげつつ、クドーは訊いてみた。
「希望すれば。ただ、ショルダーは肩こりになる人もいると聞いた」
「そうなん? どうしよ……」
「普段と近い位置で使えるヒップホルスターのほうが勝手もいいと思う」
「そうやんな……慣れへんことせんほうが、ええよな……」
「どうしてショルダーを?」
「え、まあ……経験? どんな使い心地かなあと。リウはあるん?」
「腕を動かすのにじゃまに感じたし、肩甲骨の動きも抑えられているようで、私には不快だった。腰回りに付ける装備が多いときには便利かもしれないけど」
「冷静な意見、ありがと……」
気落ちした様子に、リウが謝ってきた。
「気にさわることを言ってしまった?」
「ううん。違うから気にせんとって」
先週観た映画に影響された、にわかだとは言えなかった。
スガは手ぶらで副署長室を出てきた。
黒板にはりつけた資料一式は、そのままにしていいと言われた。このままリリエンタールが、直接指揮をとるつもりのようだ。松井田への対応といい、抜かりがない。
それにしてもクドーが、あの写真に注目したときは心臓が跳ね上がった。
折場の協力者をミナミの部屋事情から思いついたこともある。術化能力が高いリウより、こちらのほうが扱いに困る存在になるかもしれない。
とはいえ、いまの段階でできることは、さしてなかった。
スガは時間を確かめた。外に出る前にやっておきたいことがある。机仕事は副署長をまえにした口実だった。
今日は〝義弟〟の通院日だ。
帰宅しているか微妙な時間だが、声を聞いておきたかった。明日も聞けるか、わからない気がしていた。
「フレキシブルなひとが来たなぁ。腹に一物もってそうなんは別として」
まずロッカールームに戻ったクドーの手には、リリエンタールから借りたシャツがあった。
Tシャツで出勤してきたクドーは、ハンドガンや手錠といった、装備を隠すジャケットがないことを思い出した。そのリリエンタールの案が、
——わたしの予備のシャツを使たらええ。サイズ差からして、袖を折るとかしたらアウターらしゅう見えますやろ。
「緊張感あふれるシャツ借りてしもた。汚されへんな」
「なら、私のシャツを使えばいい」
サポーターをロッカーに戻すリウが、その手で出そうとしてくれたが、
「あんたの着たら、ライトアウターやのうてワンピースになるやん。そやけど、リウまで替えのシャツなんか持ってきてるんや」
「夏場だけ」
「用意ええな」
「備えておくと落ち着くから。それより、気にならないか?」
リリエンタールのシャツを着たクドーは同意した。
「状況説明とか、用意がえらい丁寧やったもんなあ」
説明の想定が万一ではなく、起こりうる事態として用意しているような……と予想した悪い展開は口にしなかった。実現してしまうジンクスがある。
「ほかにも気になってるんやけど」
私服用の装備品をとりにいこうとする足をとめた。ロッカールームに他に人がいないことを確かめてから切り出す。
「内通者がおるかもしれんから、メンバー限って動くみたいやん。ということは、スガ警部補は大丈夫いうことなんやろか?」
「グレーやクロでも、わざと入れておくという手がある」
「うん……」
スガの印象は、堅実の一言につきた。派手な活躍はないが、大きな失敗も汚れた噂も聞かない。かといって、警ら課の立場からしか知らないスガの姿で判断はできない。
「スガさんが車で送る言うたとき、副署長、すぐ返事せんかったもんなあ」
スガを疑うのは心苦しいが、その腹づもりも必要ということか……。
話を打ち切り、ふたりで廊下に出る。装備係のカウンターにつくと、私服用の装備をうけとった。位置を確かめながらヒップホルスターをつける。そうして組織犯罪係の部屋にむかった。
途中、チャコールグレーのスーツとすれ違う。
クドーは、視界のすみで顔を確かめた。
「さっきのショートボブ、本部の監察官やんな?」
「私は覚えていないので、なんともいえない。ただ、監察が来るのはめずらしくはないんじゃ?」
クドーの見間違いではなく、記憶を肯定するほうで応えた。
「ほかの分署もおんなじぐらい……あ!」
「……?」
「いや、副署長室で気になった写真、あの顔——どしたん?」
リウの手が肩にふれた。足が止まる。
「少し待とう」
到着した組織犯罪係の部屋では、スガが電話中だった。ドアまで引き返し、距離をおいて待つ。
「話の腰をおって悪かった。言いかけていたことは?」
「……あれ? なんやったっけ……まあ、思い出したときにまた言うわ」
デスクについているスガは、ペン片手のメガネ姿だった。
「普段はかけてないから老眼鏡なんかな? 若いうちからなる人もおるそうやし」
小声でつぶやいたつもりが聞こえのか。部屋にいたもうひとりの刑事が、机から顔を上げてクドーにふりむいた。メガネをずり下げた上目遣いと頭髪から察して、こちらは確実に老眼鏡だ。
メガネを机におくと、作り笑顔で近づいてきた。
「今度の手入れ、また応援頼むぞ。パクには話を通しておくから」
馴れ馴れしくリウの背中を叩いて出ていった。
クドーは眉を寄せた。
不快だった。
警ら課は雑役部隊ではない。だいたい、ひとの相方に気安くボディタッチするんやない。
握った手の親指を下に向けるサムズダウンを出しかけたクドーの手に、大きな手がかぶさる。
「クドーが侮辱行為をすることはない」
ドア付近でおきた小さな紛争など意識の外で、スガの電話は続いていた。
廊下の遠くから喧騒がつたわってくるだけで、室内は静かだ。聞くとはなしに、電話を聞いてしまう。
受話器につむぐスガの声はやわらかかった。
プライベートな電話なようだ。廊下に出るべきかと思ったが、勤務中には見せないであろう穏やかな表情に、足が止まってしまう。
その顔にふさわしい一言をクドーは聞いた。
ほんの片言しか話せないクドーでも知っている、コリアの言葉だった。
大切な人がいることは強みになる。弱みになることもあるけれど、そこはその人次第だと思っている。
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