[小説]青と黒のチーズイーター 6章 「サゲイト」は誰だ 2話 乱闘、組み打ち、ルシアの一撃
2話 乱闘、組み打ち、ルシアの一撃
筋肉量が増えたぶんだけスピードが落ちるものだが、スリックバックヘアの動きは俊敏だった。
ラミロから不覚をとった柾木は、タックルから宙に放り出された。
投げられながらも発砲音に反応した。回転する視界のなかで、周囲の状況を把握した。
フレデリーコが撃ちやがった。
床に落ちたと同時に跳ね起きる。ブラウン管テレビへと走った。
スリックバックヘアが向かった先はリウだから任せられる。多人数がいる室内で銃をふりまわすクレージーを押さえにはいった。
重さ十キログラムの箱を抱え上げる。勢いよく引っこ抜かれたブラウン管テレビのコンセントが踊った。
「銃を捨てろ! でないと実力行使するぞ!」
言いおわるより早く、ハンドボールよろしく投げつけた。
テレビのアタックを上体に受けたフレデリーコが体勢を崩した。
バディが加勢する。すでに膝撃ちの姿勢をとっていたスガヌマが、動いている人間の右上腕を一発で弾いた。
フレデリーコの動きが止まる。
スガが銃を奪われようとしている。バックアップしようとしたリウだが、視野の外から迫る気配に、銃口ごと身体の向きをかえた。
ラミロだ。
急所をはずして撃つタイミングは逃している。ホルスターに戻すひまはない。片手に持ったままでは中途半端な動きになる。
ハンドガンを投げた。
唐突なパスでも、間違いなくキャッチしてくれる相手へ。
「クドー!」
ラミロは歯噛みした。死角からタトゥー警官の不意を突くつもりが感付かれた。
さらに誤算。銃を捨てやがった。
相手は片手が充分に使えない。ハンドガンを奪うのは、たやすかったのに。
ただ、銃を投げる動きはスキもつくっていた。こちらから一瞬ずらした目線。そのタイミングを逃さず前へ。
コンパクトな右の回し蹴りをボディへ入れた。
反応が速い。踏み込んで打点をずらされた。
蹴り足を持たれるまえに、すぐ引く。間髪入れず、ラミロはタックルにはいった。
詰まった間合いでも、三十キログラム以上はあるだろうウエイト差がきいた。床に叩きつける勢いで倒した。
マウントポジションから首に両手をかける。と同時に、右目にはしった痛みに飛びのいた。
死角からきた左の親指に、眼球を突かれたのだ。
寸秒遅れていたら、えぐられていただろう躊躇のなさ。警官の護身術ではなく、人殺しの格闘術をつかってきた相手に、血が沸きたつ興奮をおぼえた。
素早く立ち上がり、ラミロはスタンドで仕切り直す。右フックにいくと見せかけて、身体を沈めた。胴タックルで潰しにかかる。
狙うのは再度のマウントポジション。
腕が届く間合いに持ち込めれば、首の骨をへし折れる。
ラミロの視線が、瞬刻、下に動いた。
リウは、左に一歩踏み入れて中心を外す。左足を軸にして後方に半回転。タックルをいなした。
目標を見失ったラミロの脇が緩む。
左腕をラミロの右脇の下に差し込む。腕を巻き上げる。
前傾しているラミロにむけて左足を振り上げる。首を刈り落とした。
重心が前方に崩れたラミロに勢いがつき、身体が一回転する。
仰向けに倒れ込んだ胸に右肘でとどめを入れる——前に、肩口をつかまれた。ラミロが力任せに引っ張ってくる。
リウは踏みとどまるより、動きの流れにのるほうを選んだ。
右腕を巻きとったまま、ラミロの身体のうえで前方に回転受け身をとる。こちらの動きにそわせるため、回りながらラミロの髪を右手でつかんだ。
折った親指が使えない。それでもトップにボリュームがある、ラミロのスリックバックヘアなら簡単だ。小指と薬指を要にして、がっちり握り込んだ。
髪をつかまれると、体格差があっても逆らえない。
リウの動きと強制的に一体化させられたラミロの上体が起き上がった。
リウは、ラミロの右腕を胸元に引きこむ。右足を後頭部にかける。右足の甲を左膝裏にかけてロック。
ラミロの頸部と右肘関節を極めて動きを封じた。
気道をふさがれた苦痛に顔を歪ませたラミロが、目を剥いて睨みつけてくる。
ラミロは抵抗した。
首に絡みつく長い脚を何度となく殴りつける。
緩む気配すらない。
呼吸がままならない。意識にかすみがかかってくる。フレデリーコをおいて、このままダウンはできない。
喉の奥から苦悶の声を漏らしながら、強引に立ち上がった。
ラミロの顔が赤黒くなる。気合いを押し潰した声にして、極められた右腕を自分のほうに引きつける。
極められている体勢のまま、リウの身体を浮き上がらせた。
ラミロは、右腕一本でさらに持ち上げた。このまま勢いをつけて、床に打ちつけてやる。体勢をあらためるために、足を踏み替え——
滑った。
不意打ちは極めているタトゥー警官も同じはずだった。出し抜けに床に落とされ、呼吸を詰まらせた。
なのに表情は変わない。感じた苦痛は、他人の苦痛であるかのように。
首も肩も、ロックがまったく緩まない。酸素不足の身体が膝をつき、床に戻された。
さらに絞めあげられる。
ラミロはもがいた。脚が首を押しつぶす勢いで押し込まれてくる。
頸部をしめつける脚をずらそうとした。
恥も外聞もない。足をばたつかせ、動かせるすべてに勢いをつけてもがいた。
床がすべるせいで全身の力をうまく使えない。
首と脚の間に指を差し込み、腕力で外そうとする。爪の先しか入らない。
「動くな、投降し——おわっ!」
床の状態に気づかないまま近づいてきたバカが、同じく足を滑らせたようだ。
バカが自分だけでなくてよかった……
安堵のかけらを感じた途端、ラミロは落ちた。
リウのカバーに入ろうとした柾木は、派手にすっ転んだ。
手のハンドガンは、かろうじて保持している。尻もちをついたまま、再度の警告をしようとしたが、すでに必要なくなっていた。
言葉をかえた。
「大丈夫か?」
足をほどいたリウが、脱力して大の字になった。二度ほど深い呼吸をしてリセットすると、すんなり立ち上がった。
柾木は不満顔になる。
「なんでおまえはコケないんだ?」
「ここにオイルをまいたのは私だから」
「トラップか」
「クドーと高城さんを逃す際の時間稼ぎに、キッチンのサラダオイルをもらった。滑るとわかっていれば、滑らないだろ?」
「そういうもんか?」
疑わしい表情のまま、柾木は立ち上がろうとした。
ふたたびすっ転び、受け身のお手本を披露する。
フレデリーコが仲間を撃った——。
いきなりの銃声と動揺で、フリーズしていたマルティンは、メガネの警官に突き飛ばされた。
「こっちへ! 身体を低くして!」
からみあうようにしてキッチンへと倒れ込んだ。
「ぼくの後ろに! 身体を隠していてください!」
なんというお人好し警官なのかと思う。手錠をかけようとしていたカルテルの悪党に、背中をさらすなんて。
同時に、マルティンにとっては屈辱でもあった。警官にかばわれたなどと仲間に知られたら、また馬鹿にされる。
ここで強さを証明しなければ挽回できない。気持ちを拳にかため、メガネ警官の頭に振り下ろした。
「痛えっ‼︎」「いたっ!」
同時にあがった悲鳴は、殴ったマルティンのほうが大きかった。
どれだけ石頭なんだ、このメガネ警官。この国で育った祖父が愛用していた、漬物石を殴った気がした。
素手がダメなら得物だ。目にはいった電気釜を振りかぶる。
「なにを——うわっ!」
振りかえったお人好し警官の顔にむけて叩き落とした。
自分だってやれる。調理台にあった武器を手にとる。手向かえる相手にむかう。
短身童顔の警官へと走った。
「クドー!」
相方の声が、くぐもって聞こえる。
屋内で発砲音を聞いたせいか、殴られたダメージがまだ抜けないのか――などと悠長している場合ではない。リウの声にある逼迫感にダメージを振り払った。強引にピントを合わせた視界に、飛来してくるものがる。
コレか!
「クドー」だけで、リウが何を言いたいのか、訊きたいのか、わかるようになった自分が我ながらすごい。
パスされた相方のハンドガンを受けとった。
リウが銃器を投げ渡すことなど、まずない。それだけ火急の事態といえた。
それは、クドーも同じだった。若い被疑者が、こちらに向かって突っ込んでくる。ペティナイフを脇に構え、雄叫びをあげての一直線。
こういった場面に慣れていないのか、ガチガチに固まっているのがさいわいする。
サイドステップで簡単にかわした。サイドに動いた流れのまま、足払いをかける。
「うあっ⁉︎」
若者がつんのめった。床に手をついたせいで、ナイフをとりこぼした。
すばやく部屋のすみまで蹴り飛ばして遠ざける。
「動くな! そのまま——!」
銃口をむけての警告は無視された。やけくそのように殴りかかってきた。
クドーは、小柄を強みに変換する。
下方向に体を落としてパンチをさけ、そのまま低い位置からのタックルにはいった。腰めがけて肩を打ちつけ、男の膝裏をすくいあげる。
テコの原理で、あっさりひっくり返した。
マルティンは虚をつかれた。パンチが空振り、童顔警官の姿を見失う。
次の瞬間には仰向けにひっくり返されていた。後頭部が鈍い音をたてたが、ショックのせいか痛みを感じなかった。こんな弱そうなやつにリードをとられている……
そんなはずない!
抑えこもうとしてきた童顔警官にむかって、床を背にしたまま、めくらめっぽうなパンチをくりだした。相手が持っているハンドガンなど目に入らなかった。
「マリア、どいて!」
聞き覚えのある声のすぐあとに衝撃がきた。
そういえば、この声を覚えるきっかけになったセリフは確か……
意識が消えるまえに思い出した。フレデリーコが店での立場を利用して言い寄った、ヌードダンサーからの罵倒だった。
——あんた、全然そそられない。
暴力の行使をやめさせる余裕がなかった。
「マリア、どいて!」
クドーは、振りおろされるキッチンチェアを慌てて回避した。
ルシアが渾身の力でふるったイスは、マルティンと衝突することによって原型をなくした。
暴力に慣れていないと、力加減なんてできないとはいえ、
「ずいぶん思い切ったなあ……」
思わず感心してしまった。
「個人的恨みがはいったからね」
ルシアに良心の呵責はまったくなかった。
「こいつになんかされたの?」
残りのメンバーを動けなくしてきたダニエラがやってくると、のびているマルティンを指した。
「フレデリーコの尻馬にのって、断りもなく身体をさわってきた。睨んだら手を引っ込めた可愛げはあるけど、身体を触るだけの問題じゃないって、教育してやらないとね」
「なるほど、わかった」
トドメをさすように足を振り上げたダニエラを急いで止める。
「気持ち的には一斗缶でも手渡したいとこやけど、ここはこらえて」
しぶしぶ足をおろしたダニエラが、本気で残念そうに舌打ちした。
「出る幕がなかった」
駆けよってきたリウが、ルシアの怪我を確かめた。
「痛いところはありませんか?」
「あたしより、あんたにそのセリフが必要なんじゃない?」
「問題ありません」
そう答えるくせに、クドーの視野からリウの右手が身体のうしろに隠れた。
「ところで、どないして手錠から抜け出せたん?」
「……なんとか」
答えになっていないし、会話がつながっていない。
「ムチャしたんちゃうん?」
「……いや」
「そっか。ムチャしたんやな」
「…………」
表情が動かなくとも、微妙な間が答えていた。
問題があっても「問題ない」で答えてしまう相方に不満がある。けれど、責められなかった。自分の力不足のせいでもある。
クドーの心中は微妙だった。
甘えたくない気持ちが半分。
そこまでして助けてくれるバディへの嬉しさが、もう半分。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?