[小説]青と黒のチーズイーター 8章 パートナー 6話 ジャケットを脱いだ彼女と
6話 ジャケットを脱いだ彼女と
パトカーのサイレン音を追いかけて、救急車のそれも近づいてきた。
クドーは屋上を見渡した。
スガのハンドガンが落とした位置そのままで置いてある。すべてが終わったあと、こうなる前に止めることが出来なかったのかと考えてしまうのは、いつものことだった。
リウが何やらスガにささやいた。スガが応えて腰をあげる。
座り込んだまま同僚を迎えるつもりはなく、自ら出て行こうとしていた。顔は拭いきれなかった血で汚れたままだったが、表情は穏やかになっていた。
クドーはスガの視線をとらえた。互いに目礼をかわす。
ふたたび前をむいたスガが、毅然とした姿勢で歩き出した。ルシアのバインダーファイルを持ったリウとともに、塔屋のなかに消えていく背中を見送った。
「あたしらも、そろそろ下りとこか。動ける?」
クドーに声をかけられて、ルシアはゆっくり立ち上がった。
撃たれたダメージは抜けたと思ったが、立ち上がろうとすると痛みが走った。思わず顔をしかめる。
「無理せんでええんやで? 運んでもろたらええから」
提案されたが、
「担架にのるほどじゃないよ。ダニーは?」
「あたしも。大げさな階段用担架にのったり、救命士に背負われたりはイヤだ」
そろって拒んだ。
「痩せ我慢してへん?」
「保護されたら当分は自由がなくなるんでしょ? いまのうちに、ふたりで歩きたい」
「なら、あたしは馬に蹴られんよう、息を殺してついてくから」
ベタな返しに笑いながらルシアは歩き出した。少々あやしい足元は、ダニエラに支えてカバーしてもらう。
彼女も腕を撃たれてつらいはずだ。なのに、おくびにも出さなかった。
出会ってから二年ほど、深く付き合うようになって一年あまりでしかない。まだ知らないことが多いダニエラの、銃創ぐらいでは狼狽えない、これまでの生活を思った。
<モレリア・カルテル>から抜け出すことを強く勧めたのはルシアだった。
夜営業のダンサーをしていると、直接でなくても組織同士でのいざこざや、暴力事件にまつわるあれこれが聞こえてくる。ダニエラが法にふれること以上に、危ない目に遭うことが怖かった。
昨日の夜に言葉をかわしたダニエラが、今日はいなくなっているかもしれない……。
暴力が当たり前にある場所にいると、毎日を一緒に過ごすことすら奇跡になってしまう。そんな世界から離れてほしかった。
ルシアの望みを聞き入れ、そのための手段として密告者になることを選んだダニエラへの協力は当然惜しまない。証拠品を隠すためのバインダーファイルの提供は、せめてものお返しのつもりだった。
そのバインダーは、ルシアひとりでは守りきれなかったと思っている。
階段に差しかかったところでダニエラに頼んだ。
「ちょっとマリアに訊きたいことがあるの。代わってもらっていい?」
おしゃべりなら、このままでもできる。あえて言ったことを察したダニエラが、なにも訊かずに応えてくれる。ひとりで先にいった。
隣にきた小柄なクドーが、肩の下にすっぽり入る。ダニエラにかわって支えになると、歩調を合わせて階段をおりはじめた。
ルシアは少し身をかがめ、クドーの耳の近くで話し始めた。
「あのバインダーファイルだけどさ、荷物になるのに部屋においてけって言わなかったよね。もしかして証拠品だってわかってた?」
「全然、気ぃついてなかった——って言うたら、あたしが鈍いってことになるんやけど」
「あー、それについてはノーコメントで」
「お気遣い、ありがと。で、回答はな、ルシアが大事にしてたから。ちょっとしたダンベル並みに重いし、正直なとこ迷たけど、運び方を工夫したら何とかなる思て」
「ビルから落っこちかけた刑事に言ってたのと、おんなじなんだ」
「うん。その人が大事に思うんやったら、あたしも大事にしたいから。外野が優劣つけられるもんやないやん」
「あたしとダニーの関係を訊かなったのも?」
「警官は受け身でしか動かれへん。けど助けてって言われたら行動をおこせる。ダニエラさんが保護してほしい言うたから、リウとあたしはルシアの警護についた。スガさんにも言うたけど、ここで関係どうこういうんは見当違いやん」
「嬉しいけど期待はずれみたいな……」
「もっと踏み込んで言うてええの?」
「聞きたい」
「常識や習慣がばらばらなミナミでも、同性とか、恋愛感情が入らへんパートナーとかやと、『何やそれ?』みたいな扱いされることがある。せやから、そういう人のときは力が入ってしまうなあ、あたしは。
味方になるもんがおるってアピールしたい。存在を見てくれる人がおる思たら、しんどいことがあっても、また頑張れるかもしれへんやん。青臭いて言われたことあるけど」
聞きたかった答えだった。同時にルシアは胸をつかれた。
「ごめん……」
「ん?」
「一生懸命やってくれてたのに、ダニーからカセットテープ預かってないって……証拠品はないってウソ言った。ごめん」
「なんとなくわかってたけど、あたしもリウも追求する気はなかったよ。警官が悪党に加担してたんやから、会うて間もない巡査を信用するなんて無理やん。証拠品にこだわって逃げるタイミングなくしたら、警護にきた意味ないし。せやから謝る必要なんてあらへん」
ルシアは足を止めた。
「あ、やっぱ痛い? あたしがおぶって……えっ⁉︎」
少し慌てたクドーの声ごと、ルシアはハグした。
ハグする身体の大きさが、いつもとずいぶん違う。なのに同じ安堵感があった。
安堵で足元がおろそかになる。不安定な場所でのハグで、階段のステップを踏み外しかける。あやうくとどまり、ふたりして笑った。
「ここで新しい怪我してどうするの。救急車が来てるからいいけど」
やりとりが耳に入ったらしいダニエラが口元をほころばせている。
いつの間にか、アッシュブルーのジャケットを脱いでいた。
汗染みのできたシャツは、シルエットもへたって格好良くはない。けれど、どこか肩の荷をおろしたような軽快さに、ルシアの頬も笑みのかたちになる。
もう無理してジャケットを着なくてもいいのだ。隠すためのジャケットではなく、オシャレや防寒として着て。
脱ぎたいときも、自由だ。
救急車の回転灯が、狭い道を挟んだ両脇の建物をせわしなく照らしている。
ルシアを先に救急車に乗せたダニエラが、緊張を残した顔をむけてきた。
クドーには、思い当たることがあった。予想していた質問がくる。
「保護されるっていっても、あたしはいろいろ突つかれると思う。それはまあ承知してるけど、そっちの方も、まだ終わってないよね?」
耳にしたというだけで、ダニエラが目にした記憶も曖昧だ。だからといって、勘違いですませることもできなかった。
クドーも、喉元まで出かかっているのに思い出せないこと。
スガと松井田のほかに<モレリア・カルテル>に出入りしてた、『サゲイト』という名の警官が、まだ不明のままだった。
「もちろん。これでミナミ分署がきれいになったわけやない。あたしは関われへんけど、捜査は続くよ」
この暑い中、スーツをかっちり着た男が、救急隊員を従えてダニエラを呼んだ。
「ルシアと元気にしとってな。うちの相方に伝えとくこと、なんかある?」
「別にない。まあ……」
背中をむけてから言った。
「世話になったとでも言っといてくれる? クドー巡査も元気でね」
そのまま振り返ることなく救急車へと歩いていった。
都会の獣道のような小路を救急車が慎重に走り出した。
救急車が出ていき、スペースが広くなったと感じたところでリウが姿を現す。証拠品のバインダーファイルも引き渡し、すでに手ぶらになっていた。
「ダニエラが『世話になった』って言うてたで」
「ん」
「そうか」の「ん」だ。
「あんたも淡白やな」
「こういった仕事を続けるには、適度に距離をおくほうがいい」
「……仕事でなかったら?」
リウが黙った。
これは考えている合図。
口数が少ないリウだが、孤独が好きというわけではなさそうだった。会話に入ってこなくても、かたわらで人の話を聞いていることはよくある。
クドーは別の接触をためしてみる。
いきなり抱きついた。リウのシャツに顔をうめる。
リウはそのまま、じっとしていた。振りほどこうとはしなかった。
まあこれは、それなりの時間を共に過ごしたからこそ許されているのだと思う。アカデミーで出会った最初の頃にやったとしたら、きっとリウの条件反射の餌食になっている。
リウの手は両脇に下げられたままで、身体でのリアクションはない。ただし、クドーを無視しているのではなかった。
「何かあった? 場所をかえて話を聞こうか?」
道端でバディにしがみつく奇行に出ている。まわりにいる同僚から、奇異な視線を向けられているかもしれない。それでもリウは、こちらの気のすむようにさせてくれている。
これがリウの、人付き合いの距離の答えなのだろう。
近しくなった相手には、リウなりの厚意を返す。積極的な反応がとぼしくて、頼りない気がする時もあるけれど、根本のところでは信頼を寄せることができる。
前言撤回。
感情をあまり出さないせいでクールに思われているが、出していないだけで、淡白なわけではないのだ。
それにしても……
「あんたのシャツ、覚えのあるええ匂いがする」
クドーは空腹を思い出した。
「……ああ。シャシリク屋の煙の中にいたから。そこでクドーのことを聞いた」
意識すると余計にお腹がすいた。食事休憩もとばしたままだった。シャシリクと聞いて、香ばしい匂いと味を反芻してしまう。
「ここの報告いれて区切りついたら——」
「うん。私たちも病院へいかないと」
「わたし……たち?」
クドーは自分を指さして訊いた。そして、食事は?
「フレデリーコに殴られて意識をとばしていた。検査を受けないと」
「確かに少しのあいだ、ぼんやりしてたみたいやけど……」
クドーは気がすすまない。怪我なんて毎度のことだった。
「報告書かて、まだ残ってるし」
「そうだな。早く診てもらわないと、ますます終わらないな」
「病院いくんだって⁉︎ 送迎してやるぞ、乗れよ!」
行き交う警官をすり抜け、近くで停まったパトカーから柾木が顔をのぞかせた。
このプロレスラーもどきがミナミ分署仕様の小型パトカーに乗っていると、コメディ映画の一場面を観ている気分になる。
「お疲れ様でした。大丈夫でしたか?」
運転席からスガヌマが降りてきた。
「そっちもフレデリーコらの引き渡し、おわったんやな」
「ええ。これから帰って報告書なんですけど、書かなきゃいけないボリューム想像すると怖いです」
「ということで、さっさと乗った、乗った。ハイヤーサービスしてやるって言ってんだから」
「クーラーが断末魔のうめき声あげてる小型車のどこがハイヤーやねん」
「その機嫌の傾き具合からして、コレが必要とみた」
助手席から降りてきた柾木が、小さな紙袋を見せた。
「屋台を物色してる余裕がなくてな。出てくる前とおんなじやつで芸がないが、キルコリトーストがここにある。欲しいか?」
「柾木さん大好きありがとう欲しいです」
態度を豹変させて紙袋に手をのばす。が、クドーより早く柾木から奪う手があった。
「問題が解決したところで早く行こう」
紙袋を奪ったリウが後部シートに乗り込む。
クドーはおとなしく従った。キルコリトーストのあとを追って。
パトカー乗務のとき、クドーの定位置は運転席になる。
運転が得意なわけでも好きなわけでもない。小型車両の狭い運転席をリウがいやがるからだ。
柾木のパトカーではお客の立場なので、後部シートに座った。目の前に、被疑者からの暴行を防ぐための金網があり、微妙な気分になる。
ひとまず空腹を優先させた。差し入れを独り占めしていては美味しくない。助手席に座っている、提供者の柾木に差し出したかったが、金網に阻まれた。
「トーストに襲ってもらえなくて残念だが、どっちにしろ今はいらん。疲れたし暑いしで、食う気がおきん」
「スガヌマは?」
「ぼくは先にいただいてます。柾木さんが運転代わってくれて」
「おまえら、よく食う気がおきるよな。だから、その見目で警官やれるんだろうが」
警官のステレオタイプな外見から遠く離れている、クドーとスガヌマがよく言われる台詞だった。
もうひとり、四人の中でカロリーを最大消費しているであろうリウに差し出そうとして止まった。目を閉じてじっとしていた。寝ているのかもしれない。
何か食べさせた方がいいのか、そのままにしておくべきか。迷っているうちに、
「私もいい」
リウが目を閉じたままで応えた。
「まさか……あんたまで食欲ないとか⁉︎」
「クドーのぶんが減る」
「あたし、そんなに飢えた顔してる?」
「いま食べなくても大丈夫」
はぐらかされた。
遠慮なくもらう。キルコリトーストを飲み込んでからリウに訊いた。
「しゃべるんはかまへん?」
目を閉じたままで応えがくる。
「ん」
「なんで隣のビルやったん?」
リウのまぶたがあがった。
「…………」薄く開けた目でクドーをみる。
「ほら、あのとき! 屋上からライト振って呼んだ……あ、返すの忘れてた」
トーストをおいて、ハンディライトを出した。返されたリウが、ぼそぼそと答える。
「クドーがいたビルの隣、新しい建物だった」
「昔のビルやなかったら、エレベーターがあるかもしれへん。それで上がって、屋上跳んだほうが早いと思た、と?」
首を縦にふる。
「エレベーターあったとしても、箱が上にいってるかもしれへんのに?」
「四十代の二人連れが出てきたところだったから」
「年齢があがるほどエレベーターを使う。けど、健康のために階段を使うかもしれん。そこは賭けをして、勝ったんやな」
「いや、箱は五階でとまってた」
キルコリトーストが喉で暴れてクドーはむせた。
柾木が大笑いする。スガヌマは前を向いたまま、声は出さずに肩を震わせた。
「結構はよ来てくれた思たけど……あれ、階段やったんや」
リウの口元が苦笑でわずかに緩んだ。
「どうせ足であがるなら、クドーがいるビルの階段を使うべきだった。焦ってたんだな」
エレベーターに乗り損ねた遅れを階段ダッシュで取り戻し、夜間のビル間ジャンプという無茶をして駆けつけてくれたのか。
相方として、やっぱり最高だ。いろいろな意味をふくめて。
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