身の程なんかわきまえろ
2025年が始まった。
世間では、中居くんの話題が未だ過熱中だ。
40半ばを過ぎて思うことも、中居くんについても思うことも、「身の程なんか、わきまえろ」だ。
1995年、TBSではドラマ『未成年』が放送されていた。
当時高校生の僕は、このドラマに出てくる坂詰五郎演じる反町隆史さんが、とにかくカッコよく見えた。
僕はアメ横へ出掛け、坂詰五郎と同じような服を探し歩いた。
そこで買った真っ赤なシャツを、第三ボタンまで開けネックレスを揺らし、反町気分で埼玉を闊歩していた。
「限界なんか自分で決めるな」
そんな響きの良い言葉に、騙されてはいけない。
人には、向き不向きがある。
特性があり、属性がある。
反町隆史が着てカッコいい服を、僕が着てカッコいいわけがない。
安物のネックレスは金属アレルギーを発症させ、僕の首元をシャツのように真っ赤に染め上げた。
やがて痒さに耐えきれず、薬局へ走った。
どうせ僕なんか、と卑下するわけではない。
僕には、僕に合った服がある。
洋服も人生も、自分に合ったサイズというものがある。
松本人志さんは、圧倒的な才能で日本のお笑いを変え、中居くんは、スーパーアイドルとしてモテ続けた。
そのまま年相応の男になっていれば、老いた天才、老いたアイドルとしてのカッコよさを、熟成させていたかもしれない。
実際は、モテ続けてきたがゆえの飽きと慣れからか、老いていく自分と反比例して、好みと性癖は先鋭化し、飽くなき欲求を満たすように強引で短絡的な行動へ傾倒していった。
木村拓哉さんは、あのルックスや立場を利用した女遊びを、徹頭徹尾しなかった。
僕からすると、松本さんや中居くんの方が共感できる。
有名でお金もあれば、女遊びもしたくなるだろう。
木村拓哉さんはしない。
木村拓哉であり続けた。
規格外のカッコよさというサイズに居続けた結果が、今の木村拓哉のポジションを形成している。
もし木村拓哉が限界突破していたら、日本中の男が独身になってしまう。
彼はあくまで、身の程をわきまえた。
老いに抗うのもいい。
若さを求めるのもいい。
それでもやはり、170cmの人は、180cmにはなれない。50代の人は、20代になれない。
しかし170cmの人にしか似合わないものがあり、50代にしか出せないカッコよさがある。
「身の程をわきまえろ」
という言葉は、長く若者に嫌われてきた。
上司や先輩、親に言われたら、なんとも嫌な気分になる。
俺の属性を、俺の可能性を、お前が決めるな。
しかしどうやったって、覆らない現実はある。
僕らは木村拓哉になれないし、アメリカ人にもなれないけど、凡人には凡人の、日本人には日本人のカッコよさがある。
それを追求する、そこへ挑戦し続ける身の程もあるかもしれない。
革命家の身の程。
国民的スターの身の程。
僕の、あなたの身の程。
身の程なんか、わきまえろ。