早く終わりたかった・・・
私は佐賀県では古豪と呼ばれる高校で野球をやっていた。
高2まではスタンドで応援団長として過ごしていた。
だから先輩たちからも「俺たちのために応援を頑張ってくれる良い後輩」と思われていた。
が、
自分の代になったとき、なかなか野球の実力が付いて来ず、試合に出ることはおろか、ベンチに入れないこともあった。
そんな世代交代した秋のある日、僕に人生で初めての彼女が出来た。
小柄でケラケラ笑う可愛い彼女のことが、もう本当に大好きだった。
「少しでも一緒にいたい」
本来であれば自主練をする時間を、彼女との帰宅に充てたり、電話の時間に充てたりするようになった。
クリスマスイブの日、皆で「クリボッチサッカー」をしようとなったが、私は「天神デート」があったので、サッカーには参加しなかった。
それからだった。
あからさまな嫌がらせが始まった。「ふくちゃ抜きでまたサッカーしようぜ!」とか、「ふくちゃ抜きでプリクラ撮ろうぜ!」とか、今思ってもしょうもない嫌がらせを受けるようになった。※ネタです
本来であれば「ごめんって!入れてよ!」というべきだったかも知れないが、もう本当に彼女のことが大好きだったので、そんなのがどうでもいいくらい彼女に向き合っていた。
ただ、友人関係は彼女がいるから大丈夫だったが、野球の実力はどうにもならなかった。
気が付いたら季節も3月くらいになっていた。
「冬練で一発逆転」を狙っていたが、普通に無理だった。
その後は時が経つのを待つことにした。
「早く夏になれ、そして早く引退させてくれ」
リアルにこんなことを思っていた。退部も考えたが、せっかく2年間がんばったので、「あと3ヶ月くらいは我慢するか〜」と考えた。
梅雨に入ると最高だった。
「ラッキー!早く帰れる!」そんなこと思っていた。
※こういったを態度を表に出すとチームの士気が下がるので、本当に心の中で気持ちを押し殺していました・・・キツかった・・・
そして迎えた夏。
初戦は開幕式の1週間後だった。「なんだよ!開幕日に試合やって開幕日に引退させてくれよ!」とマジで思っていた。
今でも忘れない、7月23日。
私たちは古豪と言われていたが1回戦で負けた。
負けた瞬間、一粒も涙が出なかった。
泣いている同級生や、責任を感じて泣いている後輩を見て、なんとも言えない気持ちになった。
帰りのバス、何故か一睡も出来なかった。
学校に着いて、監督から話があった。
「まだお前らの人生は終わってない、始まったばっかりだ。また切り替えて頑張ってくれ」
その言葉が何故か心に突き刺さった。
その瞬間、溢れんばかりの涙が溢れてきた。
心を一つにできなかったチームへの申し訳なさ、
応援に応えられなかった家族への不甲斐なさ、
そして、高2まで怪我を押してでも頑張っていたのに、最後1年頑張らなかった自分の人生に対する怒りと申し訳なさ、
全ての感情が溢れ出た。
そんな、思い出すだけで嫌気が差す私の高校野球。
「こいつきも」真面目だった人からしたら、気持ち悪いと思われるかも知れない。
でも、私と似たような思いをしている人は、必ずチームに数人いると思う。
だから、高校球児に対して「高校野球=努力」や「高校野球=諦めない」みたいな美談ばかりを求めないでほしい・・・
一定の抑制や努力は必要だが、もっといろんな考えがあれば、のびのび野球が出来る球児が増えると思う。
だから私は、今後報道部に異動になり、高校野球を取材することになっても、「エースだけ取材」や「盛り上げ役を敢えて取材」みたいなことはしない。
「こいつが伸びたらチームが伸びる」みたいなやつをしっかり見つけて、そのチーム全体を活かせるような記事を書きたい。
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