『カギはそこにささってるよ。』
『あそこに大きな松があるでしょ?
もともと、何本もあったんやけどね。』と90を迎えるという、その婦人はそう言った、おどけるような口ぶりは癖のようなものだろうか。
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訪問介護員(ホームヘルパー)をしている醍醐味は、《街の秘密》《生き様の妙》を知らず知らずに、手に入れてしまうところだと思う。
それは時に《鍵》となり、新たなドアを開ける時、必要となる。
それが必要であるかどうかは、少しずつ後々わかることであり、
指先に触れるイビツな木の実みたいなものは、戯けるように話すあのおばあさんが半ば強引に上着のポケットに押し込んだものだ。
『行き止まりだ!壁だ、、さてどうする?』
そんないざという時に
苦し紛れに、手を突っ込んだ先で(まるで無関係みたいな顔して)油断した指先を刺激した木の実のようなそれは、ひょいと躍り出たかと思うと、認識の澱んだ窪みにハマって取れなくなった。
その刹那
さっきまで、そびえ立つ山の様でしかなかった目の前の壁が、ぎぎぎぎぎ、、、大きな音をたてて動いたのだ。
恐れながらも、その扉のような壁を通過する。
扉は速度を上げて勢いよく閉まる。
そして、ただの壁に戻っている。そびえ立つ山の様な。
もう後戻りはできない。先に進むしかない。
手に入れたもの武器を強化し、先に進もう。
そんなRPGな世界。
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加齢であり、疾病であり、生活であり、生き様であり。
漠然とした概念をどう捉えるか、事態の把握にどう自身の持ち物を活用するか、このパターンで活用できる武器は何か。
たくさんの人達がヒントや鍵を忘れ形見のように押し込んでいく。
しかし、ポケットもまた無限じゃないのだ。
たくさんの風景を見るうちに、たくさんの人に関わるうちに、先入観、古くなった情報、体感のズレなどがまとわりつく。
さて何を置いていくべきか、何を携えるべきか。
果たして敵は何か。争うべきものはあるのか。
【課題がある】と認識しないと生きていけないのは
私たちなのかもしれない。
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日々すなわち修行であるが、
その言葉は逃げ道に使えない。
修行すなわち真剣に。
『カギはそこにささっているよ』
その言葉をヒントに
自分自身を確認する。
目に映る世界を見つめる。
その繰り返し。
その繰り返し。
その繰り返しのうねりに、
あなたなりの旋律をのせて。
雑音もまた日々の響き、
ノイズも日々の深みに変えて。
世の中の山ほどの人の起こしている
山ほどのノイズ
その轟音の向こう
聞こえなくてもちゃんと震えているのが伝わる。
溢れるものはすべてちゃんとこだましている。
『かぎはそこにささっているよ』
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