「段取り8割」という言葉を習ってもう20年は超えるかしら。
SANSUKE合同会社 まいしゃるの日記
「段取り8割」という言葉を習ってもう20年は超えるかしら。
そこからの20年、何度となく、この言葉の重さを身に受けたけれど、訪問介護の世界にきてから特にそれは感じる。
今日の予定の把握、予定先の個々の違い、流れの想定といった個別性への対処はもちろんだけど
一喜一憂しないこと
フラットでいること、といった「リセットメント(reset +treatment ≒ リセットさせる為の処置を意味する造語)」やモチベーションコントロールの為にも、段取りの成否が仕事の成否に大きな影響を与えるということ。
でもその反面で
段取り8割ということは、
残り2割の現場の状況によっては、事態は平気で覆るということ。
予想しきれることもたくさんある、その分、予想できないこともいくらでもあり得る。
たかが段取り8割なのです。
だからこそ、大切な段取り8割なのです。
かつての僕は天候なんてあんまり気にもしなかった。今でも僕個人が濡れたところで、大きく気にもしない。
けれど、訪問介護の仕事をはじめたことで、
天候とどう付き合うかが仕事の5割程度にも影響する感覚がある。
そして、
秋の空に例えられるくらい、
その日の体調、機嫌、気分、状況が変化する方々と相対時する以上、
雨が降ろうがヤリが降ろうが
フラットでいようという努力をしておいてちょうどいいかなと思っている。
敢えていうなら、操作もコントロールもできやしない。だからこそ、このラインまではこちらの想定の通りさせてもらいますよというわがままな仮定で取り組んでみて、
これはどうにもならんな、、という場合には、即退く。
お客様は神様だなんて、そんな馬鹿馬鹿しい話はない。けれど、客だろうと、利用者だろうと、同僚、上司、取引先、そしてもちろん自分自身、みな、お天気や神様のように清々しく自己中でいいものだと思う。
駆け引きはそこから生まれ、
わがままの駆け引きこそが自然発生的な社会というものじゃないか?
天気との駆け引き、さぁ、今日はうまくやり過ごすことができるかどうか?
一人一人の利用者の為にやるのではなく、
この社会のそれぞれの自己中がそれなりにスムーズな駆け引きの末、叶う為に、
目の前の歯車を動かすのだ。
空の様や気候の顔色、客も身内もへったくれもなく『他人』を窺いながら。