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ここもまた回帰線《尾崎豊とVALU》
回帰線?
太陽の通り道、1番北、または1番南、それぞれのことを北回帰線、南回帰線というんだそうだ。北と南の回帰線の間を太陽の通り道(赤道)は行き来する。
このラインまでいったら、また、南に戻る
このラインまでいったら、また、北に戻る。
このラインの間は熱帯の地域(どんな季節もそこらには太陽があるからね)なんだそうだ。
といっても、僕にとっての回帰線は、尾崎豊の2ndアルバムのタイトルなんだよな。当時、あのアルバムは僕の手元に薄汚れたカセットテープの姿で友達経由でやってきた。
今、特に聴くことはないけど、それでもたまに、大人になっても、何度も思い出すと、その都度、そこに『シェリー』がいたり、『群衆の中の猫』がいて、何度も『支配からの卒業』について思い巡らせたりして、『孤独なダンサーのいるダンスホール』を抜けて、また日常に戻るような空間なわけで。
あれは確かに回帰線なんだよね。
さて、2020年春にVALUというSNSが終わりをむかえるということだ。
VALUがスタートしたのが2017年の夏の始まり、僕がVALUをスタートしたのは秋の頃。ちょうど人のご縁からコモンバーシングルズという老舗BARを経営するになったが、さてどうしようという頃も、まさに同じ時期。アキラがVALU の集まりしようぜと言ってくれて初めたのが、VALU BAR OSAKAのスタートラインであり、そこからVALUでの縁でたくさんの人が来店してくれて、たくさんの人がシングルズのカウンターにたち、またご縁を繋いでくれた2年だった。
VALUについて思うこと。
まず、
僕は随分、経済的に助けてもらった。
今もそうだ、経済のみならず、VALUきっかけで知り合った様々な人達に助けてもらっている。
その意味でVALUは、もちろん特別なものだったんだけれど、同時に、それそのものは特別ではなかったかもわからんね。
切り口が『特別』にみえたことにより、様々、人々は振るいにかけられた側面もあったし、新かろうと、手垢にまみれてようと、技術やスキームを運営・運用する難しさは、やっぱヒューマンというところに起因すんのだろかねぇと思っている。
目新しい感じのサービスを受け入れられる人、受け入れられない人、サービスを使いきれる人、使いきれない人、愛された人、そうじゃない人、得した気持ちになる人、嫌な気持ちになった人、実利を膨らませたよと鼻高々な人、いや、人間関係が豊かになったしねという角度で見つめる人、さて、あなたはどんな人?
僕はVALUという仕組みの中で儲けることができたわけじゃない。でも、随分と様々な世界を見せてもらいました。そして、結果随分と助けてもらいました。何より、様々な面白いお友達と出会いました。ありがとう。
ちょうどこの2年てのは個人的にはとても面白い2年だったから尚更、VALUで色々な人の顔をみれたことの影響は多スギちゃんです。
でも、これもまた回帰線に過ぎないなと思っている。『へーもう終わるんだろね』くらいの気持ち。
あえて、今更、バリューBAR、月1、VALU社さん主催でやりませんか?とか聞いてみようとしてたくらい(笑)
ほんと、これも、回帰線に過ぎないですよね。
また、向こうの岸まで船を漕ごう。
こっちが北でも構わないし、
南でも構わないし、
なんなら行って帰ってくる度にこの目に見える世界は変わっていく。
世の中の賢いお金持ちはいつだって
自信満々とホットな熱帯に居るのがいいのかもしれないけど、残念ながら僕は昼も夜も好きなので、回帰線を超えて23.27度の向こう側へ。
粛々と淡々とオモシ良いことをやろうかと思う。
またお付き合い頂ける方は、お付き合いくださいませ^_^
あ。
VALU BAR OSAKAは、
梅田のシングルズか、もしくは、
京橋のサンリンズで卒業式します。
アキラもいってたけど、できるだけたくさんの人に来て欲しいな。
(最後までお金に変えるの?とかいわれたらしゃくに触るなぁ。ま、いっか。笑)
この日のドレスコードは、
この2年間に何を携えたか、そこやね。
特に大きな声で自慢しなくても、自然と携えてる何かをもってきてください^_^
支配からの卒業
闘いからの卒業
VALUからの卒業