僕の裏詠みonリリック ×君は僕の宝物(1992 )
さて、今週のリリックは・・?
『君は僕の宝物(1992 ) / 槇原敬之 』
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君が僕を好きだとわかった
自分の思いとはいきなり自信をもてるものではない。
自分の気づきにも、確信を得るにはそれなりの時間がかかる。
それでも、敢えて高らかに叫び、喜びを世に放ちたい時があるとしたら、
それは、それはこんな時であろう。
そう。「君が僕を好きだとわかった」その一瞬。
なんたる絶対的な強み!
世界はもはや我が物である。
これといった派手な生活があるではなくとも、
あくまで小市民的もしくは、そこにあるのはちょっとした「人の温もりが自分の為に存在すると思えた」喜びなのだけど、
その掌の上にのせた雪が溶ける時に実感する、我がの「人としての、動物としての温かみ」は、
相手の掌の上に載った(ような気にもなる)自分が解かされる時は、殊更に
その倍、いや、倍の倍、実感できるものです。有難みも含め。
それまでの不遇、
生き方の不味さ、
イバラの道。
人生のジャンプアップは、恋愛であったり、仄かな仄かな淡い曖昧なホッコリによって、十分為されるわけです。正しくは、本質的には、それが一番、人を奮い立たせます。
金も大切やけど、心も大切やね。
目の前がいくらゴロゴロと艱難辛苦の岩場だとしても。
少なくとも、動物としての温かみを内に抱えてるのならば、
それは、「超えるべきハードル」だと思えるのならば。
神様から、つねられようと、ね。
その痛みこそが保障。今、ここに生きていて、そして、その痛みも含めて享受するんだ。
たまに忘れてしまいがちなんだけど、「君は僕の宝物」なのだから。
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今の僕は抱えきれない夢をかなえていくことで精いっぱい
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愛の伝え方は難しい。
具体的であればあるほど、重々しくなったり、
イロコイに「自分」を奪われていることに対しての自嘲であったり。
時間も気持ちも奪われたところで、やることやってるんだよ・・という自分と
その人間関係や感情やが無かったとすれば、もっと違うこと・・・自分への投資や、
未来への投資してんじゃね_?という別の自分と・・・問わず語りを頭の中で繰り返したり。
どこかで、自分自身を値踏みして・・・自分にちょうどいい体裁の言葉を選択する気がする。
照れや、プライドや強がり。そして関係が壊れてしまう不安。
人は自分の想いをそのまま言葉にすることが難しい。
結果・・・「え_?うん。うん。まぁ、好きやけどなぁ」くらいの曖昧さが前面に出てしまうことだってあるでしょう。
自分に自信をもって、言葉をはけることなんて、ただでさえ少ない。
そして、その言葉をしっかりと相手に伝えきれることなんて、
実は、人生でそうたくさんはないのでしょう。
だからこそ、伝えたい自分がいるなら、
それは伝えてもいい自分なのかもしれないね。
頭で考えるより、心で思い悩むより。
欲望という名前の本能に委ねてみる。
そんな日があってもいい。
その掌の上にのせた雪が溶ける時に実感する、我がの「人としての、動物としての温かみ」は、きっと自分自身の心や強張りも溶かす。
その熱は少しずつ伝わる。少なくとも、手が触れる距離の中においては、相手の強張りも溶かす。
強く雨が降った 次の日にはもう 陽だまりがいる時のように
この世ではね。
一人で生きることもあるし、
誰かと生きることもできる。
少なくとも、自分自身のことは幸せにしないとね。
相手自身のことを幸せにしようと思う前に。
せっかくだから、誰かと生きる時は、お互い背中を委ねるといいかもしれないな。
自分ではみれない自分の背中は、相手に委ねる
相手がみることのできない相手の背中は、自分が護ってあげる。
好きという気持ちを伝えることだけではなく、
相手の背中をよく見ることだよ。
目には見えない感情の震え、本能の喜び、建前も本音も、受け止める為に。
お願いだから、ぼくの本当の気持ちを背中から詠みとってくれないか?
これ、裏詠みというんだ。
奥の方から、きっと温かいものが伝わるはずなんだ。自然とね。
僕は、もちろん、眠たい目をこすりながらでも、君の背中から本当の君を詠みとこうとするだろう。
奥の方に、きっと温かいものが伝わってくるはずなんだ。裏詠みしていると。
だって・・・ほら、思い出したかな?
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だって君は僕の宝物
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