僕の裏詠みonリリック パパ泣かないで/クレイジーケンバンド
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雲の上、頭の中に流れるメロディは流麗である
現代の僕たちは、雲の上の世界をこの目でみることができる。
例えば空の旅・・・雲海と光の甘美な世界を目の当たりにする。
黄色ががった、永遠のような世界。
何ごとにおいてもだ。
論理的に、そして緻密に
「何が本当である」かを追及する大切さってあるけれど、
それとは別に
「本当はどうだかわからないけれど、こうなってたりしてー」と想像した世界。
「こんな感じだったらいいよねー」と無邪気に信じた世界。
曼陀羅とか、極楽浄土の仏画をみて思いだすのは、
機上の人になった時にみることができる雲海のあの風景であり、
僕は人の想像力と具象化の力に言葉が出ない。
あえてわからないものを、空白として、
空白に想像や自分の心象を表現する。
そして、紙の上、立ち現れた多幸感にみちた世界。
昔の人は雲の上にある世界をみることはそうそうできなかっただろうけど、
目には見えなくとも、不思議と雰囲気はそっくりで、
昔の人が描いた極楽浄土の世界と、
目にも見える雲の上の世界はどちらも、
同じ流麗なメロディが延々と流れている気がするんだ。
修行と瞑想や自分の世界を旅して、
雲の上を想像して、空の上を想像して、光に満ちた神仏の世界を想像して、
「わからないけれど」という空白に描かれたその風景は、
写真や、写実や、航空機のない時代、
衆生の心の救いになっただろうし、そして、
写真や、写実や、航空機のある時代でも、
その想像力やその表現力で僕たちを虜にする。
そんな時、僕たちの頭の中にも、流麗な音楽が流れはじめている。
そうか。
目には見えなくても、その場ではわからなくても、
僕たちが、素敵な想像力でその空白を埋めることができるなら。
きっと、いつか素敵な本当の風景を楽しむことができるのかもしれないな。
そんな時、この世界での生きとし生けるものの一部であることに一抹の寂しさがあっても、僕たちも流麗な音楽を作り出すオーケストラの一部として、何かしらのパートを担っているんじゃないの?ていう「もしかして」に多少背中を押してもらえる。
憂いのホーンも。泣きのギターも。今を放て。
ひと時すれば、通り過ぎたベースラインがまた戻ってくる
世界も、時空も、飛び越えて。
この今、目の前で過ぎていく 思い出と時間。
本当の気持ちを全部出せはしないけれど。
寂しさも、気遣いも、照れも、恥ずかしさも。
一緒にいたかった想いが深いほど。
何とかしたかったのに・・という後悔が濃いほど。
地上ではうまく何も伝えられないから、
不思議と、
今、この雲の上では、空の上では、気持ちですら饒舌になる。
「ママにも内緒」なこの時間、この場所では。
国境も、日付変更線も飛び越えて。
美しい世界を二人でわかちあえる。
窓の外は零下だとしても、ママにはちょっと・・・直接伝えられない気持ちも、
この世界でなら、伝えることもできる。
今この時、真実に目を凝らさなくてもいい。
ただ、この気持ちだけは伝わってほしい。
ただ、この思いだけは響いてほしい。
口から出る言葉。口にはしない想い。
見えないことはたくさんあるけれど、
今、二人で見えているこの世界。これはかけがえのないものだから。
必ず(必ず)、幸せになるんだよ。(パパもだよ)
いついつまでも、お前を(パパを)愛しているから。
パパパママママママパパパ ママには内緒だよ。
マママパパパパパパマママ パパと過ごすホリデイ。
あ~あ
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