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僕の裏詠みonリリック         ゆ~らゆら祭りの国へ/BO GUMBOS

友が死んだ。 

それは3年前の8月14日のことで、まぁうまくもお盆に寄せてきたもんだなと未だに思う。
 

人が死ぬということに、僕は慣れてしまっていた。
それは少なくとも1年間に数人はお別れをする環境をもつ高齢者介護という仕事柄が大きく、お別れまでをどう過ごしてもらう?と無意識に「その日までを日めくりする」感覚は、しっかりと僕の掌にある。でも、仕事柄だけではないんだろうな。介護従事者が皆、そういう感覚ではないのだろうから。            一緒に住んでいた祖母が死んだ時、亡骸に手をあわせなさいと言われた子供達。さぁ、そろそろ・・・と、母屋からハナレに導かれた。8つの僕は母屋からの小路から外れ、一人、思いつきで納屋へ向かった。年上の姉や従妹、そして大人達はおそらく「ん?」と思っただろうが、ついてきた。そこで僕は、収納されていた祖母の車椅子に手を合わせた。その時、僕の中では「『死』とは、こうして振舞うことで『死』となり、こう振舞うと褒められるんじゃないの?」 という計算が働いていたのだった。        こうした悪気もない、でも明らかに冷めた感覚は、自分のどこかで傷になっていてジュクジュクと化膿している気がする。   

 その後、多少の悪いことしてきたけれど、良くも悪くも所詮は「人の子」であった僕にとって、延々と続くことになる自己に対しての諦めと期待の連なる日々は、そうした「死」に対しての反応が原点だったのかしらん(知らんけど)。
 

3年前の3月に、「昨日から抗がん剤治療なんです。ステージⅣらしいです。回復した暁にはまた会いましょう」と1メッセージで記した彼は1つ下の37歳。アンパンマンミュージアムだのなんだのという跳ねた言葉の踊る投稿で、少し前に娘が3歳の誕生日を迎えたことを知っていた。        なにはともあれ、運良くスケジュールの空いた2日後、僕は30年間磨いてきた武器、「軽快な言葉」を右手に、「計算された振舞い」を左手に携えて、かなり痩せた彼に対峙した。1時間程、久々の挨拶、びっくりしたよ、まぁでも他人事じゃないよなー。俺も人のことは言われへんよな、くらいの適当な会話を笑顔で交わした。
さすが「3つ子の魂100まで」。        内心の不安は、さほど影響なく、それなりの応対をみせた僕は身内や知り合いや、何人ものとの別れや死をそれなりに経た39歳になろうとする大人であった。 

その日から、5ヶ月後と数日後、彼は死んだ。 

 3月に再会してからその後、仕事が忙しかったし、彼もまた病状落ち着かず、
会うことはなかった。
FBで闘病生活の投稿を横目に、大人の日々は過ぎる。
胃に穴、熱発、吐き気・・そういう言葉で忙しなく、塗りこめられる画面。
「どうなってるんだ、この身体」というフレーズは僕の中でリフレインする。
戦況が芳しくないのはわかっていた。 

  7月末になって、彼の奥さんからも連絡をもらった。
「8月もつか・・・、どうからしい。本人は、そのことは知らないので、わたしから連絡あったことは内緒で、もし共通の友達がいるなら会いにきてあげてほしいです。」
おいおい・・・・。僕は、その言葉通り、動いた。  

不思議なもので、シンクロニシティもしくは虫の知らせというものがこの世にはある。
韓国在住の夫妻は盆休みに妻の母国日本に帰省しようとしていたところだった。
ケアマネジャーの女の子も丁度予定がついた。
日頃連絡も取らないが、2年に1度程飲むか、飲まないか・・・・そんな我々を繋いでいたのは、他でもない彼であったし、8月8日20時頃、病院に集まることになった、その理由もまた、彼であった。

 不思議な男で、いつも飄々と淡々と、スタイリッシュであった。
誰にでも話しかけ、器用に振舞う。本当は誰よりも繊細でシャイな男なのも知っている。
外食産業で働いた後、キャリアアップを・・と福祉施設の管理栄養士に。そこの理事長に盾突いて職を辞し、パティシエになると有名菓子店に入職した。
同じ様に別角度から理事長に盾突いていた僕に、なにかと連絡をくれて、「ケーキ焼いたんです、味見してください」と家にまでもってきてくれる。飲み会しましょう、さがんさんも来てくださいとセッティングしてくれる。
なんじゃ、こいつ・・・、
あまりにも「いいやつ」過ぎて、どこかいぶかしい気持ちになる程だった。

 面会時間ギリギリの病室で、3月に会った頃よりも随分と痩せた彼は、ほぼ話すエネルギーもなかったけれど様々なものがそぎ落ちた骨格の中で彼らしさは一層際立っていた。
あのサービス精神は、何も変わることなかった。
優しく、深いところを見つめる賢い瞳をしていた。            
僕たちを視野に認めると、ただ静かにナースコールを押し、やってきて近くに耳を寄せる看護師に、小さな声で「起きます」と伝え、様々な管をつけた状態で談話室まで車椅子を押してくれとそぶりをみせた。         
談話室に行ったはいいが、「さて、どうするよ・・」と(こちらも相変わらず)重くなりそうな場の空気を攪拌しようと武器を構える僕やなんとなく気の利いた言葉を探そうとする皆や、微笑むでもないが穏やかな表情を浮かべる彼。  

その空気を感じたか「みなまでいうな」と、ふいに、街の灯とはまた別の明らかな光が「ぽうん」と音を引き連れ、遠くで弾け始めた。     誰もそんなことは忘れていたけれど、ちょうど淀川の花火大会だったのだ。

 千里の切り開かれた丘の上から、淀川方向。
看護師の配慮で特別に消灯してもらえて、大きくはないけれど、赤や黄色や青や緑の華やかな光はしっかりとそこにみえて、誰もが「おおお」と明るい感嘆をあげた。       
彼は声は発さない。しかし、しっかりとその光をみつめていた。その賢い瞳で。あの優しい瞳で。
不思議なひと時だった。

世界は僕たちの為に動いていた。

 花火が終わり、電灯がついて、また日常を取り戻す病棟。        
そろそろ疲れたやろ、帰るわー。会えてよかった。と日常の言葉を置きにいく僕らに対して、
いきなり車椅子の彼は手を上に掲げ、握手を求める。じっくりと、1人1人に対して。                     

きっと僕は、この世に生まれてあんなに、しっかりとした握手をしたことはない。
そして、後にも先にも、あの時以外に彼と握手を交わしたことはない。
不思議なひと時だった。

世界はその時、彼と僕たちの為に動いていた。

 握手をし終えると、病室まで送るという僕らを談話室に置き去りにするように、エレベーターホールまで押してとそぶりをみせる。病室には送らせず、逆に見送ってくれた。  

実に彼らしい配慮を僕らの網膜に残し、エレベーターは僕たちを載せて、
扉は明らかに音をたてて閉まる・・・映画の一コマの様に一瞬で過ぎる。

 その日から丁度1週間後、彼が死んだと奥さんから連絡が入った。     
お別れはもう終わっている。

終わりは、いつなんやろうと、どこかで日めくり数えて過ごした1週間。 きっちりと1週間。なんとも器用な男である。あっぱれだ。よく頑張ったなぁと思った。
 

人が死ぬことに慣れている僕。                     なのに、通夜の時、なかなか会場に辿り着けない。            
小雨ふる吹田駅から葬祭会館までの道。
向こうから何人も泣いている同世代の男性、女性が歩いてくる。みな、彼の働いていた菓子店の袋を手にもっている。                               道を変えて遠回りする。                        雨に濡れるスーツ。
色が濃くなり、すこし、重たくなるスーツ。      
僕は会場に辿り着けない。 

道路の脇、足が進まない僕の視界に、不思議な黒猫がいた。        
目をみても、会話してるかのように逃げなかった。
なぜか、立ち去らない。優しい目をしていた。
何枚か写真を撮らせてくれてから立ち去った。   そして僕は葬祭会館に辿り着いた。                   

あと、記憶しているのは、彼のアンパンマン好きな娘の声「パパねんねしてるねぇ」 彼女の発した言葉に対しての奥さんの気丈な言葉、その声「ねんねしてるねぇ」
 

人が死ぬことに、僕は慣れているはずだった。              長年磨いてきた武具は、雨に晒されて、冷たさを増す。  

 告別式は、もう僕は行かなくていいよなと思った。          
空は相変わらず曇ったり雨が降ったり。
奥さんには仕事なので、いけない、と嘘をついたが本当は休みだった。 

 なぜか、電車にのって神戸にいき、なぜが高速神戸駅で降りて、ハーバーランドに向かう。                            初めていったよ。アンパンマンミュージアム。 

そこには、子供がたくさん溢れ、多くは家族連れで、僕は自分がどんな表情をしているかわからなかったけれど、壁にかくれるようにして何度目かの嗚咽が止まらなくなって、その場を離れた。

 少し落ち着いた後、観覧車にのった。空は晴れていた。         
気づけば、丁度、彼は斎場にいく時間帯だった。空は明るかった。

 世界は彼の為に動いていた。
 

空に昇るだろう煙。空に解き放たれていく魂。              数か月にわたる痛みや重たかった身体を離れる魂。ゆ~らゆらと揺れて昇る。 

僕も役に立たない、重たいだけの武具は、
地上に置いてきたよ。
 

この世じゃ、人は必ず死ぬらしい。
しってるよ。             
それは世で悲しいとされているらしい。
しらねぇよ。

 僕には悲しむ資格があるのだろうか。                 仕事やら、なにやら、思い出すこともない時間をたくさん経てきた僕には、
もう会えないことを寂しいということができるのか。            

僕は死に慣れているはずだった。 

空は明るく、光に溢れている。                    観覧車にのって空に昇る僕ら。
頂点を経て、僕は少しずつ下降する。   
ゆ~らゆら昇る彼。                          僕の心の鎖、地上にあって、太陽の光を吸収している。          

いつか、溶けていくのかな。ゆ~らゆらと。

 ねぇ。
祭りの国があるのなら。                    祭りの国にいつかいけるのなら。
空に話してる。            

もしかもしか、辿り着けば、
ゆ~らゆら、踊り出すよ

 もしかもしか・・・・もしかもしか。 

※≪週刊キャプロア出版編集部. 週刊キャプロア出版(第6号):非日常に掲載されたものをそのまま載せています≫

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