パラレル介護ヘルパー歳時記《夏至》【半夏生ず 西宮】
半化粧と書き、半夏生とも、書くらしい
ハンゲショウなる植物は、
緑の葉の半分以上は、まだ成長段階で葉緑素が無い為、白い。
そもそも、半夏(ハンゲ)とは漢方薬の一つでまた別の植物なのだそう。
半夏の生える頃≒夏至を10日程過ぎた頃の呼び名≒同じ季節に生え出てくる植物の名前が、
ハンゲショウ。
ややこしいなぁ、
でもしょうがあるまい。
そもそも、変わりゆくもの、
どんどんと進みゆくもの、だいたい、待っててはくれないと理解した頃には、違う形に変わっていく。
水面に溢れる光、その風情はいつも、同じにみえるけれど、きっと一つとして同じではない。
様々な違いに目を向ければ、同じではないし。
しかし、まぁ大まかには、一括りにもできる。
ややこしく、
だからこそ、おもしろい
きらりときらりの間の乱反射。
先日、僕の尊敬する友人の1人が、『30代でなんか思い通りにいかないなって人は、「あ、今もう老後なのか」って割り切ってみると道が開ける気がする』って言ってた。まったくもって同意である。
見方ひとつで風景はかわるよ、だからガンバ、
みたいな話ではないのだ。
大切なのは気づくことさ。
散り散りの光、足元にあふれ、
僕たちは日々老後を生きている。
それは今しかないということで、
今、行う日々の選択の中、自分自身と向き合うしかないということ。
緑の葉の半分以上は、まだ成長段階で葉緑素が無い為、白いハンゲショウ。
かつて、お百姓、農家の人達、
この日までに、
ココまではやっとかなきゃねと、
基準にした日、それが半夏生。
青年は、若さと老後がだんだんと切り替わる層
、白さと濃い緑のマダラを行き来する。
そんな半夏生の日に、
僕がとても大好きな写真をとる1人の青年が、若さと老後の半化粧な誕生日を迎えたという。
彼の撮る写真に溢れるのは、瑞々しさと優しさで、そこには彼独特のキリトリセンが浮かぶ。
彼は、被写体揺れる表面から水底に揺れる仄かで緩やかな輪郭を探る。
その風情はいつも、同じにみえるけれど、きっと一つとして同じではない。
様々な違いに目を向ければ、それは同じではない。
半夏生の日に半化粧の写真家は
白さと濃い緑のマダラを瞳に浮かべ、
同じに見えて
同じではない
その風情を捉えるだろう。
水面に浮かぶ光、彼の仄かな水底にひかる。
大切なのは気づくことさ。
散り散りの光、足元にあふれ、
僕も彼も日々老後を生きている。
※ちなみに、↓ハンゲショウの写真は、まるで西宮とも、水本光さんとも関係ありません。