僕の裏詠みonリリック/かんのめぐみ評《日々》はシリアルであり、順列繋ぎ合わせたリアルであり、それをかき混ぜるのがまた、《日々》である
まったくもう。
新しく何かを言い出す時は大概、『勢い』である。
『勢い』言ってしまったことを叶えるには、 もちろん自己啓発セミナー的前向きさだけじゃダメなのだ。
そう、『口で10回言えば叶う』じゃないのさ。
まったくもう。
言い出したからには、やるしかないっつか、 なんとかなるだろう、、、、、いや、なんとかしないといけない状況に追い込まないと、何も動かないよな、俺って。だから、日々、状況をなんとかこねくり廻して、 新しい局面を迎えに行く。
人に無理やり、こんなんやりたいねんと伝えていく。
言ったからには、やらないといけない・・・だからこそ、やれるのだ。
そう、歳をとることとは、本来、そうやって新しい局面を重ね合わせた先にあるんだろう。
お年寄りさんの顔のシワはそうして重ね合わせた局面の結論を、一つ一つ刻んでいるのかも?
《日々》をざっくりざっくり掻き混ぜて、
おもむろに口に運び、粗く咀嚼しては、ゴクリ飲み込む、そんな《日々》を過ごすと、
**その時は気づかないけれど、想像を超える後味を残すことがある》 **
日々はシリアルCerealに似ている。
ザクザクと勢いで、掻っ込んでいくこともできる。
朝なんかちょうどいい。牛乳をかけて、前の日にあったイヤなことも一気に、流し込んだっていいんだ。
日々はそして、順列繋ぎ合わせたリアルでもある。
そもそも順列そのものがserialであるが、
それは連続しているが、癒着もしていて、引きはがすことができない。
さぁ、想像を超えた後味が、いつ、どのように、それぞれに影響をもたらすか。
賭けをしようじゃないか。
日々をかき混ぜて。
その先に、あるものをどちらがより楽しんでいけるかどうか。
組み合わせて、
かきまぜて、
咀嚼して、なお、溶解して。
それでも、またかき混ぜる。
ロックンロールとは日々をかき混ぜ、掻っ込んで、そして、またかき交ぜて
新しい局面を迎えに行くことだ。
思い付きが、新しい明日の切り口になる。
新しい明日を彩るのは、積み重ねたスキルの香り。
歌詞はどうだろう。
声色は、音の粒はどうだろう。
引きはがすことのできないはずの、あの日を引きはがしたと思うと、
次の瞬間、その場に投げ捨てて、その勢いで推進するのだ。
そして、そうして前に進んでも、また、新しい後味は新しく振りかかる。
甘んじて受け入れる。
そう。
《日々》はシリアルであり、順列繋ぎ合わせたリアルであり、それをかき混ぜるのがまた、《日々》である。
ロックンロールは日々と共にあり、
また、ロックンロールは新しい局面を迎えにいくということだ。
《日々をざっくりざっくり掻き混ぜて、
おもむろに口に運び、粗く咀嚼しては、ゴクリ飲み込む、そんな日々を過ごすと、
その時は気づかないけれど、想像を超える後味を残すことがある》
ほら、朝目覚めてなお、かんのめぐみのロックンロールが鳴り響いている。