「ルールは守るもの」という思考停止
こんにちは。さがみこファーム代表の山川勇一郎です。
今日は「ルール」の話をしましょう。
社会には様々な「ルール」があります。私たちは日常生活の中で意識せずともルールに則って生活をしており、それによって社会秩序が保たれています。
しかし、社会は常に変化していて、時代が変われば、求められることも当然変わります。本来は時代に合わせてルールも常に改善すべきですが、実際はそうはならずに、社会のそこかしこにゾンビのように古いルールが残り、新しい動きを阻害しています。自分も仕事の中で、「そもそもそれって必要?」と感じることが多々あります。ただ多くの人はそうしたことに疑問すら持たないようです。
実際、一度ルール化されたものを、止めたり変えたりするのは極めて面倒な作業です。いわゆる既得権も絡んでくると簡単ではありません。従って、ほとんどの人は、そうした諸々のこととのトレードオフで「気づいていても、自分ではやらない。」ことを選択しています。ただ、そうしているうちに疑うことすらしなくなっていきます。「ルールは守るもの」として絶対視することは、人間の思考を劣化させ、「考えない人間」を量産します。これは年齢の問題ではなく、むしろ若い人ほどそういう傾向が見られるように感じます。「波風を立てない」「長いものには巻かれろ」日本特有の文化がその傾向に拍車をかけているように思えます。ただ、そういう状態を看過すると、“ゾンビルール”がはこびって、硬直性が高まり、社会が停滞します。日本全体が”思考停止という病”に冒されていると感じます。
誤解してほしくないのは、必要なルールを遵守することは当然であり、決してルールを冒すことを推奨しているわけではないですが、社会には不要なルール、時代に合ってないルールがたくさんあり、盲目的にルールを守ると考えるのはおかしいのではないか?ということです。
農業を例にとってみましょう。
「農業振興地域農用地(農振農用地)」というものがあります。
農振農用地とは、つまり「農業振興を行うための農業専用の土地」ということになります。
過去のどこかで必要性があって指定されたことに疑いはありませんが、現実には「農業振興とは名ばかりの荒廃農地」が広がっています。農振指定がされてから60~70年が経過すれば、担い手は高齢化し、社会環境も地域環境も土地利用のあり方も変化します。変化が求められていることは明白です。
農振指定を見直すことは当然、できます。
ただ、話を聞くと、一度指定されたものを見直すのはなかなか大変な作業のようです。行政職員としては、はっきり言わなくても「やりたくない」というのが本音でしょう。
ただ、大事なのは「その場所は農業振興地域である必要はあるのか?」というそもそも論に立ち返って考えることだと思います。無論、見直しに当たっては、様々な観点から妥当性の是非を検討する必要はあるでしょう。ただ、疑問を持たなければ、何も始まりません。現実に即して、ルールを常に見直していくという視点を持つことが、社会をよくする起点になります。
特に、「ルールの番人」である行政こそ、ルールは不変ではなく、常に見直していくもの、という視点を持ってほしいものです。
私は昔ラグビーをしていましたが、ラグビーは毎年のようにルール変更があります。今回のワールドカップでは「バンカーシステム」という危険なプレーに関する判定のシステムが導入されました。運用には賛否両論ありますが、時代に合わせて柔軟かつ大胆にルールを変更することを厭わない姿勢そのものが、ラグビーというスポーツが魅力を維持し続ける重要なファクターになっていると感じます。
「そのルールは、そもそも必要なのか?」
「そのルールは、そもそも何のためにあるのか?」
疑問を持つことからすべてが始まります。
そういう「考え、行動する人」を社会に増やすにはどうすればいいのか?
難しい問題ですが、すごく大事なことなのではないかとぼくは思っています。
Photo by Getty Images
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