はじめてのnoteで自己紹介をしなかった理由
どうもこのnoteでは、最初の投稿で自己紹介をするのが慣例なのかもしれない。3本目の記事執筆中にようやく気付いた。
だがしかし、私は自己紹介の必要性を殆ど感じていない。それは、私は私の文章を「誰が(どんな人が)書いたか」では無く「どんな内容が書かれているか」で判断して欲しいと考えるからだ。
出来事や心情を綴る物語文であるなら、誰が書いたかは非常に重要だ。自分の推しが書いた日記には興味を持ち感情移入もするだろうが、どこの誰とも知らぬ人間の日常にはなかなか興味は持てない。
また、考えや論理を綴る論説文でも、例えば医学や法律など高度に専門的で読者が検証することが難しい分野なら、執筆者の肩書や人物像で内容の正確性などをある程度推測するしかない場合も多く、誰が書いたかは重要となる。
しかし、このnoteで私が書く文章はそれらいずれでもない。私が書くのは論説文ではあるが、平易な知識と論理的思考力だけで読み解けるものや、誰でもアクセスできる情報を基にした考察がメインとなる。従って、重要なのは「私が何者か」ではなく「書かれた内容の価値」であるはずだ。
私とて、自分を飾る肩書や自己を客観的に評価する指標を持ち合わせていないわけではない。しかし、それらがここで書く私の文章を読む上で必要だとは全く思わない。私の文章の価値は内容によってのみ決まる。
さて、本題となる「はじめてのnoteで自己紹介をしなかった理由」についてだが、それは、本文2行目で書いた通り「その慣例に気付いていなかった」の一言で終了である。それ以降の文章は、気付かなかったという落ち度を、そもそも論を無理やり展開する事で有耶無耶にしようと試みた、言わば悪あがきの結晶である。
そしてそれは、逆説的に私の自己紹介となっているのだ。