行動力のみなもとは、根暗思考 #サガコラム
先日このようなツイートの反応が良かった。
この行動力の源泉は、背水の陣で生きていたかららしい、というものだ。
そりゃだれだって背水の陣になれば行動するだろう。
問題なのは、どうして常に背水の陣状態になったのか?ということだ。
結論、背水の陣になるには未来のリスクを考えれば良い?
私も最初から行動力があったわけではない。
通信業界、できて3年目のベンチャーで一人経理をやっていた時。
私ははじめて、仕事以外で外に出るようになった。
といのも、ここにいるだけじゃだめだという、ぼんやりとした不安があったからだ。
この経理の仕事に、未来があるように見えなかった。
経理の業務につくまでは、顧客データをクラウド化したり、OEMのサービスの立ち上げにかかわったりと、承認欲求が大いに満たされるものだった。
しかし、経理にそんなものはない。
そもそも業務範囲は決まっているし、その業務をどのくらいミスなく、素早く仕事をするかの世界なのだ。
「経理の仕事をこれからっずーーーーっと。毎日やって、私は大成できるのだろうか。なにか営業なりもっと別の仕事をしたほうがいいのではないか。この仕事はあってないんじゃないか。業界の未来は大丈夫だろうか?」
お決まりの「業界の未来」「自分の仕事があっていない気がする」という不安があった。
そうして不安に駆られて転職を調べると、でるわでるわ、
「業界を変える転職は25歳まで」「職種を変えられる転職は30歳まで」
という言葉だ。
その理論でいくと、当時24歳だった私は、業界を変えられる転職はあとたったの1回しかできないことになる。
調べて調べて調べまくって、焦って焦って焦りまくり、とにかく外に出ることにした。
ビジネス系のイベントではないものの、交換読書会に出たり、なぜか喘ぐ大根の説明スタッフになっていたり。
結果、職歴のほか謎の活動が自分の強いコンテンツ作りにつながり、さらには堂々とぺらぺら喋れるようになっていた。就職活動には全くなかった体験だった。
以上のようにして、わたしは一つの体験を得た。
「25歳までに、業界を変える転職ができないと、一生経理のまま死ぬ」
「そう思って、行動したら本当に変えられたし、給与もあげることができた」
という、成功体験だ。
そしてこの「期限を定めて、失敗するとつむ」という世界観による行動はそれ以降も続く。
自分にタイムリミットを設定すると、どうなるだろうか。
リスクからの、逆算をおこない始める。
今25歳だから、30歳までに職種を変える転職は1〜2回しかできない。
転職を成功させるには、情報収集が重要だ。そうだ、Twitterとオフ会に顔を出そう。
ひとつの不安から、ひとつ行動をする理由ができてしまうのだ。
こうしてこれらはエスカレートしていき、下記のような考えが生まれた。
2回目の転職を成功させたが、いつ大失敗をして会社にいられなくなるかわからない。上司とうまくいかなくて、職場にいられなくなることもありうる。いつでも一人で生きていける力が必要だ。⬇︎『ブランド人になれ』を読む。⬇︎なるほど、会社の名刺ではなく、自分の名刺を持つようにすればいいのか。Twitterやったり、その他の会社に出続けよう。
いまはSEMコンサルタントだが、正直この仕事が自分にあっているかわからない。SEM業界も、自動化の波で無くなるのかもしれない。広告が運用できるだけだと、仕事をなくして路頭に迷うかも?⬇︎『10年後の仕事図鑑』『多動力』を読む⬇︎なるほど、ちょっとずつ他のことができるようになっておけばいいのか。ならほかのことも勉強し始めておこう。デザイン、ブランディング、phyton、社会学、note、ipad芸人を始める。
モテないし、このまま独身でしぬかも?両親も歳とったし、兄弟はあてにしてはいけない。体が動けなくなったら、今あるところで問題があったら、どうしよう?⬇︎『広く弱くつながって生きる』『なめらかなお金がめるぐ社会』を読む。⬇︎なるほど、誰かとちょっとずつゆる〜〜く繋がっていればいいのか。Twitterや、仕事に関係のないイベントに顔をだす。
〇〇歳までに〇〇万円ないと、老後つむ。
〇〇歳までにせめて婚活しておかないと、後で結婚したいと思った時に絶対後悔してぼっちになって死ぬ。
〇〇歳までに〇〇……etc.
お分りいただけただろうか?
「このままなのかも?」
という、ほのかな不安。
「このままの状態で、不足の事態が起こったらどうなるだろうか?」
という、リスクの想定。
調べて、解決方法を探す動き。
「〇〇ができていたら解決できるけど、もし〇〇ができていないのなら、その状態のままになってつむんじゃないだろうか?」
という強い思い込み。
この4つがわたしの原動力なのである。
お恥ずかしい限りだが、わたしの行動力の原動力は『根暗思考』なのだ。
別に転職なんていつでもできるし、どうにかなることはしっている。
でも、誰かにどうにかなるよ!と言われても、わたしは思ってしまう。
『だったら、お前はわたしの人生に責任をとってくれるのか?』
誰も責任なんかとってくれない。
自分の人生のケツを拭けるのは自分だけだ。
自分だけが自分を助け、自分だけが自分を救えるのだと、思い込んでいる。
……まあ、だからそ私は生き急ぐのだ
人生いつ死ぬか分からないし。30歳までに引き抜かれたり、独立しても仕事が来るだけのチカラが欲しい。自分の好きなことでお金を作る力をもてば、面白おかしくハッピーに生きられる。そう、こどものように信じている。
無論、この考え方は美しくない。
利己的な、全然魅力的ではない世界観だ。悪い方に考えておけば安心するという、心臓の小ささがみえる。
無理やり行動したい人はやってみたらいいが、おすすめはしない。
だがそれでも、一歩につながるのなら、それは実行する意味のあることなのだろう。
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