見出し画像

大人になれない苦しみから脱した話。

あなたは自分が大人だと思いますか?

最近「大人である」ということに関して発見があったので今日はそのことについて語る。かなり恥ずかしい、露悪的な話なのでご容赦願います。

まず私は「大人である」という自覚がなかった。

というか、自分が幼いと思っているし、大人でないことにずっと苦しんでいた。

私もそろそろ29歳になり、20代というよりかはアラサーと表現するべき年齢になるのだけれども、残念ながらいまだに「大人になったぜ!」という自意識の変化はない。

だからと言って自分がまだ子どもであるとか、ピーターパン症候群であるというわけでもない。

ただただ、自分がただしく「大人」になったと思えないのだ。
どうしても自分の思考に残る「幼さ」がそう判断させてくれない。

自分を卑下するわけじゃないが、私はかなり欲望に弱い。
自分を律することができず、不相応な承認欲求、ちょっと肥大気味の自尊心、現実を直視しない楽観的思考。他人への配慮の足りなさ。そういう所がある。

そうして言動を振り返っては後悔し、さらには一連の思考や言動こそがまさしく愚かしい幼さであるような気がして羞恥に悶える。ローティーンじゃあるまいに、いまだこんなことを繰り返している。

大人になれないことを自覚し続けることは中々に苦しい。でも、こんなバカなことを繰り返しているのはきっと私だけじゃないはずだ。

実は調査によると日本人は他の国と比べると大人になったという自覚が低い傾向にあるらしい。少なくともインド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツと日本の17~19歳各1,000人を対象とした調査では、日本だけが圧倒的に自分を大人だと思う率は低かった。

20歳や30歳になった途端突然大人になる自覚が高まるとは思えないので、やっぱり自分が大人であるという自覚は全体的に少ないのだろうとは思う。

人口比率だけでいえば日本は、子どもが少ない分他の国よりも「成人の割合」は大きいはずなのに、肝心のその大人たちが大人の自覚がないというのはなかなか恐ろしい事のように思える。

「自分は大人じゃない」と思っている大人がそこらじゅうをうろついて社会を回しているのだから、日本社会は破綻しそうなものだが、なかなかどうして社会は回っている。

それはきっと「大人だという自覚がない」と答える人は、実際はきちんと「大人としての役回り」はこなしているからだろう。要は「大人であるという自覚」と「その人が大人である」ということの間には大きな隔たりがあるのだ。

なぜ勤労に励み納税もしており、一応「大人」としての役割を果たしているのに、私たちは自身を大人ではないと思ってしまうのだろうか? なにが私を「自分は大人ではない」と判断させるのだろうか。

それは先ほど列挙した「自分が幼い」と考える項目にヒントがあった。

・自分を律せない
・承認欲求が大きい
・現実を直視しない楽観主義
・他人を慮ることができない

見るからにダメダメなこのポイント、逆にいえば全てクリアさえすればそれは大人である、ということになる。

反転させるとこうだ。

・自分を律し
・承認欲求に振り回されない
・現実主義
・思慮深い

なるほど、なんだかすごく正しい。それに有能な感じがする。社会にきちんと適合できそうだ。

そこでようやく気づく、

どうやら私にとってはの大人とは「人として正しい」ことらしいのだ。ひとりポリティカルコレクトというか、善のイデアというか。要は理想の王子様のような現実味のない理想の塊なのだ。

しかも私が満足できる人としての正しさは、バスの席を譲るとかそういうレベルではない。菩薩レベル、聖人の一歩手前くらいには行きたいところだ。

だが考えても見ても欲しい。こんな完璧な人間がいるだろうか? いやいるのだろうけれども、そんなに「正しい」人間はそこらに転がってはいない。

私はそれらが完璧にできるようになるまで、一生「己は幼い」と自己嫌悪するしかないのだろうか。それはあまりに苦しすぎるじゃないか。きっとそれは正しいんだろうけど不健全じゃないか。

とはいえこうして私の大人基準が分かった所で、自分の中の基準をすぐさま変更することはできない。だってあくまでも私の中のはあくまでも「かくあるべしという理想」でしかなく、理想は心が感じるままにあるものだからだ。そうそう変えられるものじゃない。

だが、そうと分かれば私にも少々やりようがある。

最終目標が高いのなら、マイルストーンを置けばいいじゃない。もしかしたら一生自分を大人だと思えないかもしれないが、大人であろうとすることならできそうだ。少なくともそう行動したことは自覚できるし前向きにはなれる。極めて健全。

というか「思考を改め。その結果として行動を変える」ことは難しいけれど、「行動を改め、それから思考を変えていく」のでは、前者より後者のほうが簡単だ。最初から方法と結果を求めずに、まずは結果に重きを置く。

さっきの幼いと思う根拠も、行動しやすい順に並べ替え、順に実現していけばいいのだ。

・自分を律せない⇒○○について律するようにする
・承認欲求が大きい⇒○○では承認欲求に満ちた言動を控える
・現実を直視しない楽観主義⇒まずは日々自分の思考を書き起こす
・他人を慮ることができない⇒慮る言動を増やすことから始める

まるで友達を大切にしよう、と書く小学校の標語みたいな稚拙さだが、それを完璧にこなせなかったから今こうなってしまっているのだ。しようがない。私にとっては山より高く千里よりも遠い目標なのだ、開き直って足元からコツコツとやるしかない。

こうして最近ようやく、大人になれない苦しみから脱することができた。自覚することでちょっとは思慮深い大人になれたのではなかろうか。

さて、長々と書いてしまったがこの拙い自省録を読んだあなたに、私は問いたい。

あなたは大人であると思いますか?
あなたは大人であろうとしていますか?

いいなと思ったら応援しよう!

さがこ
ご支援いただくのが本当に嬉しいです。もっともっとおもしろい文章を書けるよう、参考書や取材費にあてていきます。