やさしい人専用車両がほしい
この前ツイッターをみていたら「やさしい人専用車両がほしい」というツイートを見かけた。
「そうだね」と思ったあと、なんだか自分が正しくないことをしている気持ちになった。というのも、この考えにはいろいろな問題に深くかかわっているからだ。
先に出てくるであろう批判の話をしてしまおう。
やさしい人「専用」車両というのは、自分にとって都合の悪い人を排除する考えにもつながるとも読むことが可能だ。もし「やさしい人」と「やさしくない人」の判別を現実のシステムに落とし込んだ場合、地獄の論争へと発展することが予想できる。一体なにをやさしいとするのか、やさしくない人はいちゃいけないのか?とか。
誰かが「お前はやさしいやつだ!」と判定するものになると地獄の幕開けになってしまうので、もし実現するのなら「結果として」やさしい人が集まる公共サービスではない営利目的のサービスをつくる以外ないだろう。
(ああこの話はこれ以上ふかぼってはいけない)
さて、こんなクソリプが来そうなギリギリの内容だったが、それでも発言してしまう人の気持ちがわかる気がする。その発言の背後にあるだろう、切実な「願い」を感じているからだ。
あなたは東京に住む人だろうか?
東京に住んでいるのならわかると思うが、東京で一番怖い場所は繁華街でもなく「電車」である。
突然どなられたり、タックルされたり、舌打ちされたり、突然こころに冷や水を浴びせられるような経験をすることになる。
私は、高田馬場駅で自分の目の前で他人に暴力をふるう場面に遭遇した。埼京線で痴漢にあった友達がいる。六本木駅ではイヤイヤ期のこどもなのに、「子どもがなくのはお前のしつけがなっていないからだ」としつこく大声で母親を説教したおばさんがいた。東京ではないが、いつも電車で突然説教する人を無視していたら刺されたという事件も聞いた。
あなたが毎日つかう電車の中に、そういう人がいないと断言できるだろうか。電車の中ではそんな怖い人たちと1メートルも離れられない、逃げ場のない場所でトラブルが発生する可能性がある。
電車はこわい。
私はまだ体が動くし独身だけど、例えば身動きが取れなかったり、子どもを連れている人はどれほどの怖さだろう。
やさしい人専用車両が欲しいとは、誰かを排除したいとかそういうことではなくて、怖いことが起きない場所で生活を送りたいという切実な「願い」だと思う。
どうしたらこの願いをかなえらえるだろうか。
わからない。
怖いことが起きない場所の作り方はわからない。やさしい人だらけの場所の作り方もよく分からない。だからせめて、自分がかろうじて影響の及ぶ範囲である、自分の言動くらいは変えたいと思っている。私はやさしい人でありたい。
だけどそれも難しい。
先ほど例に挙げた六本木駅の説教おばさんは、支離滅裂で怖くて近づけなかった。対応に迷ってこわいから駅員さんを呼ぼうとしたら、お母さんが自分で撃退してさっさとどこかに行ってしまった。
そうあろうと思って、そう動くことは、とてもむずかしい。
やさしくあるには、つよさが必要だ。
やさしく、つよく、あるにはどうしたらいいのだろうか。