ちょっと頑張って起業したい人へ。一人ひとりと向き合う中島さんご夫婦のチャレンジ
佐賀に移住してお店をオープンしたご夫婦のリアルなストーリー
この記事では、引き続き佐賀への移住起業を実際に実現した方々をご紹介します。今回ご紹介するのは、佐賀市の古湯温泉街の入口にて古道具と洋裁と喫茶のお店を営んでおられる中島洋志(なかしまひろし)さんと咲希(さき)さんのご夫婦です。
前回の林さんとは違って、引っ越してきたのは約2年半前とごく最近。中島さんご夫妻は、どうして佐賀に来て、どうして今の形態のお店をはじめることになったんでしょうか?さあ、お二人の移住起業ストーリーを覗いてみましょう。
聞き手・書き手:佐々木元康(灯す屋、移住起業支援コーディネーター)
写真:壱岐成太郎(@seitaroiki)
佐賀の色んな人を紹介してもらったことが、大きな安心感に
-:洋志さんは佐賀市出身ですね。いずれ帰ってくる予定だったんですか?
洋志さん:いや、そういう訳じゃないですね。元々、服飾系の専門学校に行くために東京へ行って、卒業後アパレルの会社に勤めていたんです。いつかお店を自分でやりたいな、と思うことはあったんですけど、だからと言って自分でやろうとはしていなかった期間が結構長くありました。
咲希さん:コロナが始まって、このまま東京で勤め続けるのは嫌だなと思ったんですよね。地方を考えてみようか、ということになり、ふるさと回帰支援センター(※1)に行ってみたのが2020年の8月でした。特に予約もせずに、ただ情報収集をするつもりで足を運んだんですけど。どこへ行くとも決めてなくて、よく旅行しに行ってた長野か、(洋志さんの)ゆかりのある佐賀か。(咲希さんの出身である)千葉は移住というより引っ越しという感じだったので、考えてもなかったですね。
※1 ふるさと回帰支援センター:東京・有楽町にある移住相談センター。地方移住に関する資料を常設し、各地域の相談員が各種相談に応じている。
洋志さん:ふるさと回帰支援センターのブースに行ってみると、長野は人気で忙しそうで!あまりお話しもできなかったんです。それに対して、佐賀はコーディネーターの矢野さんが佐賀弁で喋ってくれて、つい気を許してしまいました(笑)。
咲希さん:佐賀のコーディネーターさんは面白くて元気な人だったねという印象はあったんですけど、そのときはまだそこまで。
ー:なるほど。佐賀の移住サポートデスクに訪れたものの、そのときは本気度がまだ高くなかったんですね。
洋志さん:翌9月に私が勤める会社で希望退職者が募られたんですよ。年齢の基準もクリアしていたので、これはもうチャンスだと思いました。ずっと自分のお店を持ちたいと思っていたし、今後の見通しに不安がある中で会社に残り続けることの方が自分たちには不安が大きかった。なんとなく移住と起業でこのくらいかかりそうという計算はしていて、これはキツイなぁと思っていたところで、退職金が増える話は後押しになりましたね。
咲希さん:そこから本気で移住を考えることになり、両親のいる佐賀は安心なんじゃないか、移住先としていいんじゃないかと思って、またふるさと回帰支援センターに行ったんです。
ー:そのときはどんな相談をしたんでしょうか?
洋志さん:僕らは相談しようにも初めてで、何が分からないのか分からないという状態でした。何でもいいから少しでもフォローが欲しかった。
咲希さん:古道具屋さんをやりたいと言ったとき、矢野さんはそれに詳しくないんだけど、どこそこの誰々さんが〇〇をやっているから会ってみた方がいいよ、と話が分かる人をすぐに紹介してくれました。他にもたくさんの名前が出てきたんですよね、地域でサポートしてる人の名前や場所とか。行政も民間も含めて。そういうネットワークがしっかりできてるのが佐賀なんだなって感じました。
洋志さん:今後動き始めたら見つかっていく課題を相談できる人が欲しかったんです。店舗の場所を決めるにしても、工事をだれにお願いするとか、仕入れ先をどうするとか、そういう人のツテが全くなかった。そういう人を紹介してくれたことが一番安心感があって、なんかやっていけるかも、という気になりました。
途中から二人だけじゃなくなった
ー:店舗の物件はすぐに見つかったんですか?
洋志さん:2020年10月に佐賀へ来たとき、古い物好きの佐賀市役所の職員さんに紹介してもらいました。いまはいい感じのアンティークマンションみたいですけど、当時は大きなお化け屋敷って感じでしたよ。でも、佐賀市役所とご縁があって、この物件の魅力にずっと目をつけていた山野潤一さんという建築家を紹介されて、熊本まで一緒に会いに行ったんです。そのとき、まだこの物件に決めていた訳ではなかったんですが、山野さんから「絶対ここにしなさい!いつ引っ越してくるんだ!」と猛プッシュされて(笑)。なんだか騙されてるんじゃないかという勢いでしたけど、この人に騙されるんなら仕方ないなと思えたんです。市役所の方も、山野さんも、それくらい信頼していましたね。
咲希さん:最初見たときは大きすぎて、たった二人でやっていける訳がないと思ってました。でもいろんな人との出会いで、「こうだったらいけるかも、やれるかも」という感じで進んで。当然大変だったけど、それをどうクリアするかっていうのを繰り返しやってたら、少しずつ動き出していました。そして、途中から二人じゃなくなってて、力を貸してくれる人たちに出会うことができたんです。そうすることで、「ここでやっていけそう!」みたいな気持ちに変わっていきましたね。
ー:では物件に関してはすごくスムーズに進んだんですね。
洋志さん:それが、大家さんとの交渉は難航しまして…。熊本では大家さん抜きに勝手に盛り上がったんですけど、大家さんは元々貸す気がなかったんですよね。なのに、僕らみたいなどこの馬の骨かも分からない奴らが来て。順番を間違ってたんです。電話も出て頂けない時期が1か月ほど続いたんですけど、恐らく市役所の方が口添えしてくれてたんでしょうね、ようやく話を聞いてくれました。でも、「苦労するけん来ん方がよかよ!」と言われて(苦笑)。ご自身も経営者をされていて、その難しさを感じていらっしゃったんです。それでも本気でやりたいと伝えたら、好きにしていいよと貸して頂けることになりました。まさかここまで好きにするとは、思ってなかったと思いますけど(笑)。壁をぶち抜いたおかげで、ベランダからしか見えなかった素敵な景色が見えるようになりました。
咲希さん:移住って地域住民とのトラブルとかそういうのをうまくやれるかっていう不安もあるけど、私たちとしてはこういう地域とのコミュニケーションをやりたかったし、それがうまく出来ない人はたぶん物ごとをうまく進められないんじゃないかなと思いますね。こちらが動き出すと、本気でやるんだなと思っていろんな人が協力してくれたり、人を紹介してくれる。それが一番ありがたいです。
地域の人たちと話して身についた度胸
ー:お店なんですが、古道具屋さんだけでなく喫茶店も営業されていますね。
洋志さん:コーヒーをやろうと思ったのは、「お茶くらい飲めたほうがいいよね、景色もいいし」というところからでした。元々は喫茶店じゃなく、商品を見ながらゆっくりできるスペースがあるというイメージだったんです。でも物件も大きいし、飲食店も経営してる大家さんからは「食べ物もないとだめよ」と言われ、「この規模のお店でやるならちゃんとしたもの出さないとね」となり、真剣に考えたらいまの形態になりました。結果としては、喫茶店と思っていろんな人が来てくれるから良かったと思いますよ。こんな山奥で、古道具と洋裁だけじゃちょっとマニアックすぎたかもしれませんね。
ー:元々やろうと思っていたイメージとは違った?
洋志さん:やってることはイメージ通りかな。思ったよりも喫茶寄りにはなったけど、結果オーライになってる。ただ、改修費用が当初想定していたよりも2倍以上かかりましたね。
ー:空き家の改修って、開けてみないと分からないから、思ったよりもお金がかかるんですよね…!
洋志さん:借入をすることになったんですけど、そのおかげで良い出会いもありました。元々、大家さんのところに営業に来ていた銀行の営業の方だったんですが、その方が中小企業診断士の資格を取得していて、すごくやる気があって。自分ごとみたいに、深夜まで一緒に計画を立ててくれたり。そのおかげで、最初の自分たちの計画だと借り入れられない金額だったのが、喫茶を入れたりして、お店の規模に合った精度の高い事業計画を考えることができました。
ー:すごいですね!でも、お金を借りるって不安じゃなかったですか?
洋志さん:お金って貸してくれるんだ、ってちょっと拍子抜けしたような感じもしました。実現可能な事業計画があれば、お金が無くても貸してくれるんだって。サラリーマンやってた自分にはそういう仕組みがよく分かってなかった。でも、大家さんや営業さん、それに古湯温泉で商売してる人が多くて、そういう(お金の)話を聞く機会も多かったので、度胸がついたのかな。もし返せなかったら、返せるように次の事業を考えなければいけないだけだ、という感覚の人が多かったんです。とはいえ、不安でしたけどね。
できないと思っていたことができるように
ー:これからの展望は?
咲希さん:ここでやっていきたいと、今は思っています。日々やっていこうとすることの繰り返しで、続けていけるようにしようという感じ。
洋志さん:絶対にここでやるって訳でも、絶対にこれをやるって訳でもない。その時代だったり、自分たちの気持ちだったり、やりたいことって変わっていくものだと思うんです。orioriの雰囲気は残しつつ、そのときやりたいことをやっていきたいですね。
ー:ちなみに、orioriってどんな意味があるんですか?
咲希さん:古湯のおかみさんが、四季折々、古湯はいいよって言ってたところから名付けました。あとは今の話にあったように、その時々(でやることを変えていく)、というような意味合いもあります。ちなみに、イラストがペンギンなのは単に私が好きだから(笑)。
ー:最後に、佐賀への移住起業を検討されている方にメッセージを。
洋志さん:やりたいことがあるにしろないにしろ、地域の人たちとの協力スタンスはあったほうがいいと思いますね。「自分はこういうやり方でやってるんで」っていうよりは、まず会った方がいいし、目の前にいる人とうまくいった方がいい。色んな人と会ってるうちに、自分の中の大切な人たちが出てくるかもしれないし。とにかくコミュニケーションが大事だし、起業が加わってくるとなおさら大事だと思う。助けてもらわないといけないから。何もしなければ助けてはもらえない。助けてもらいたければ、伝わらなくても自分のことを話していくことです。
咲希さん:ちょっと頑張って起業したい人は、佐賀はすごくいいと思います。自分たちのお金で細々とやりくりする、ではなく、ちょっと頑張って銀行からお金を借りて、自分たちのお金だけではできないことにトライできる。できないと思っていたことが、できるようになっている。助けてくれた人がいて、いまはコーヒーを飲みに来てくれる。起業したい人にはすごくいい環境なんじゃないかなと思います。
編集後記
前回の記事で取材させて頂いた、移住して18年という林さんとは対照的に、移住してまだ2年半という中島さんご夫妻にお話しを伺いました。林さんと並べて比べるのは難しいですが、2組とも現時点で地域に馴染んで活躍しておられます。
共通して感じたのは、身近な人とちゃんと向き合っているということ。移住サポートデスクの矢野さんから始まり、市役所の方、建築家の山野さん、大家さん、銀行の営業さん…。出会った人たちと丁寧に話をして、その結果、みんながまるで家族のように中島さんたちをサポートしています。これは、中島さんご夫妻が「お客さんのような移住者」ではなく、「佐賀で暮らす仲間としての移住者」というスタンスだったから。
能動的で前向きな挑戦者を、出身に関わらず、佐賀の人たちはこんなに応援するんだということがよく伝わり、佐賀に暮らしていることが誇らしい気持ちになりました。
他に中島さんから学んだのは、多少の思い切りや勇気も大事ということ。動くと決めたら、迷わず信じて突き進むことも必要そうです。そのためにも、近くにいる人たちとの信頼関係を築いておくことが重要だということも分かりました。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
中島さんご夫妻のストーリー、いかがでしたか?編集後記でまとめてみたものの、移住起業は十人十色。これが正解、という訳ではないでしょう。しかし、こうしたら上手くいきそう!これなら自分にもできそう!と思えた部分もあったのでは?
これから新たな挑戦を始める皆さんの、背中をそっと押せたら嬉しいです。
お店の情報
古道具/洋裁/喫茶 oriori
木曜日定休
10:00〜18:00 open
〒840-0501 佐賀県佐賀市富士町古湯633-1
TEL 090-1360-0952
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