どう転んでもINFJ
私にはイメコンと同じくらい斜に構えて疑っていたものがある。MBTI診断である。
あのアルファベット4文字が並ぶのを目にするたびに、「数十問の設問に答えるだけで私の何が分かるんだ」と顔をしかめていた。
そんな診断の類にはとにかく否定的だった私がMBTI診断を受けた。その理由は、イメコン診断を受けて以降、もっと自分のことを知りたくなったからである。
イメコンを受けた時にも感じたが、これはあくまで今後の自分の「指針」であり結果を鵜呑みにする必要は無い。
そう考えるとMBTI診断も「受けてみようかな」と思えた。それに受けるだけならタダだし。
結論:どう転んでもINFJ
より厳密にいうと「INFJ-A」である。
およそ半年のうちに4回診断を受けてみたが、結果はいずれも「INFJ-A」。内訳もほぼ同じだった。
ここまで揺らがないものかと正直笑ってしまう結果となった(半年で変化は見られないのかもしれない)が、解説を読めば読むほど「わたし」という人物像が浮き彫りになっていく。
わたし自身に対する解像度があがった気がすると同時にこう思った。
これは、私の「取扱説明書」であると。
善意による達成感こそ「成功」
ここはとても腑に落ちた。人生における「成功」とは何か?と問われたら、間違いなく「世のため人のために貢献すること」と答えるからだ。
自分の周りの人たちを楽しませたい。それで周囲が明るく前向きな気持ちを抱いてくれたら万々歳だ。自分もそうなれたら儲けもんだろう。
ファッションのコンセプトver.0を考えた時に浮かんだ「エンターテイナー」という表現も、INFJであることを鑑みると納得がいく。
「人助けをしたり、世の中にポジティブな変化をもたらしたり」するとは具体的に何だろう?と考えた時、小学校時代に熱中していたボランティア活動を思い出した。
学校で回収していたアルミ缶やペットボトル。
アルミ缶を回収し、それをスクラップ工場に持っていき換金してもらう。回収されたアルミ缶は自動車の部品やなど別の製品に生まれ変わる。
特にペットボトルはキャップを回収することでワクチン寄付に貢献できることを知り衝撃を受けた。
資源が循環される仕組みに子どもながらに関心を持ち、そのサイクルの中に自分がいることを誇らしく感じていた。
換金したお金が自分の懐に入るわけではないし、換金率もさほど高いわけではない。それでもわたしは本来ゴミになるはずだったペットボトルや空き缶が別の製品に生まれ変わる、その資源の輪廻に壮大なロマンを感じていた。
そうして新たな製品に姿を変え、それが必要とされている人の元へ届く。自分の行いが見知らぬ誰かを笑顔にしているのかと思うだけで心が満たされ「生きる意義」すら見出せる気になる。
この「達成感」こそ、わたしの人生における「成功」だ。
この会社の軸は「わたし」
そう、そうなのだ。傲慢であることは重々承知しているが、「自分は大抵の人とは違う」と本気で思っている。その自覚は十分にある。
もっと言えば、「この会社はわたしがいなければ回らないぞ」とまで思っている。いち平社員の分際で。
他人との「差異」を感じること。学歴やルックスといった誇示したい「プライド」も多少影響はしているが、それを大きく感じるのは「思考」だと思う。
診断を受けて改めて内省してみると、わたしは四六時中、常に何かを「考ええて」いることに気づいた。その思考は程度も範囲も様々であるし、答えが出ないまま次の問いが浮かぶこともザラである。答えが簡単に出ない問いについて漠然と考えていることが多い。
今日仕事終わりにドラッグストア寄ろうかな 何を買おう
なんでこんなところにニキビができるんだろう
死後の世界ってどうなっているんだろう
買って未開封のままのソイプロテインどうしよう
こんな具合に大小3、4つの問いが、頭の中に泡のように浮かぶ。
答えが出なくてもパニックになるわけではないし、その日のうちに答えを出そうと焦るわけでもない。無意識のうちに常に何かしら、今進行している作業とは全く別のことを「考えて」いるのだ。
そうやって常日頃巡らせている「思考」から「人生の目的」を見つけようとしているのだろう。
おそらく私は「こんなにいろいろ考えているんだぞと」いうことを誇示することで、他人との「差異」を感じて悦に浸っているのかもしれない。
「考えている」だけでは他人に毛ほども伝わらないのに。
見つかるまで人生の幕は降りない「使命」
人生におけるわたしのミッション。これがわかるまで、そして達成されるまでわたしの命は燃え尽きないと思っている。そう思っているので、不慮の事故にも遭わない気がしている。やっぱり傲慢だな。
人生における特別な目的ー
何だろう、今はまだ思い浮かばない。
けれど、この世に生を受けたからにはそれなりの理由があるはずだと思って生きている。
noteに感じる「居心地の良さ」
noteの海に散らばるMBTI診断に関する記事を拝見すると、INFJの方の記事がたくさん目に留まった。
noteでたくさん見かける…
これはINFJとnoteは非常に相性が良いということだと思う。
noteに自分の心情や近況を文字制限なく書き連ねることに「居心地の良さ」を感じているのである。
不調だな?と感じたら
日常生活で人と違った考え方に出会ったときや、他人に言われた些細な一言にひどく傷ついたり、気分が乱高下する瞬間が時々ある。
突然人との関係性を遮断したり、不意に消えてしまいたいと思ったり…
今まではその原因がわからず、全て生理のせいにしていたが、「INFJだから」だと割り切れるようになり気持ちが少し楽になった。
感覚的に分かった気になっていた自分自身の扱い方だったが、「取扱説明書」があることで自分の体と気持ちが乖離しかけた時に、いつでも診断結果を読み返すことができる。
MBTI診断を受けて、自分の不調を裏付けられる安心材料が増えた。これは大きな収穫と思う。
INFJの方々のnoteの多くに書かれていた「生きづらい」という言葉。自分を強く持っているがあまり社会とうまく馴染めない、というより馴染む努力ができないから生きづらさを感じている。これはわたしにも言えることだ。
でも、それだけ確固たる「自分」を持っていることは「個性」があるということだと思う。
周りに染まらないオリジナルの色。自分なりに鮮やかに彩っていけばいいじゃない。
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