最高の道 アガペー 「愛の賛歌」(1コリント13章の学び)
最高の道 アガペー
「愛の賛歌」(1コリント13章の学び)
1.はじめに
二年半ぶりに皆様とお会いでき、本当に嬉しく存じます。この間、公私にわたり多くの体験をさせて戴きました。
何よりも3.11の東日本大震災は大変な衝撃でした。
おそらくこの震災は、戦後日本の一分岐点となろうかと思いますが、このことについては別途またお話させて戴きたいと思います。
私事では、父の闘病と介護、そして死。さらには遺産の整理などがありました。また私自身、網膜剥離を患い約10年間続けて参りました編集出版を休業せざるを得ませんでした。
父の一周忌を本年六月末に終えた後、九月には長男、長女の結婚が相次ぎ、10月には私ども夫婦の真珠婚を迎えました。
これらの体験のなかで、繰り返し示されたのがコリント第一の手紙13章「愛の賛歌」とも称せられる有名な箇所でした。
3.11東日本大震災は文字通り悲劇であり、私たちの罪を深くえぐる辛い出来事でしたが、そこから思わぬ多くの〈愛〉が誕生しつつあることを知らされています。
また、父の闘病と介護、そして末期を見送るに当たり、家族や親族はじめ医療スタッフ、介護スタッフの皆様により多くの〈愛〉を実感しました。
さらに長男、長女の二組の結婚式に参列した際、このコリント第一の手紙13章が拝読され、メッセージを給わりました。
それぞれ感銘を受けましたが、同時に〈愛〉とはいったい何か、と疑問が湧き、この聖書の箇所に尋ねてみようと思いました。その探求の一端をお話しさせて戴きます。
2.コリント13章の学び
《本文》
12:31b そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
(2−1)文脈から
この鳥取聖書集会ではパウロの真性の手紙を学んで参りましたので、パウロが何を伝えようとしていたのか、何と闘っていたのかは、ある程度ご理解戴いていると思いますが、コリントの教会を巡ってどういう問題があったのかを簡単にご紹介します。拙文『コリント書に学ぶ』で次のように述べています。
皆さんは、「コリントの信徒の手紙」というと、最初に思い浮かべるのが13章でしょう。ここは「愛の賛歌」とも呼ばれ、結婚式でもしばしば読まれます。
しかし、実はこの部分はこの対立者たちとの論争の中でパウロが結論として提示したものなのです。ですから、13章だけ取り出して見ても、本来の意味を理解したとは言えません。これまで説明してきた対立者たちとの論争の中でのパウロの重要な発言なのです。その視点を見失ってはならないでしょう。
……これまで述べてきたような対立者たちとの論争を踏まえて、パウロは「第一義とすべきもの」は何か、「最高の道」を教えますと前置きして述べているのです。対立者たちの主張を丁寧に論駁しながら、最も大切なこと、「第一義とすべきこと」を教えますと前置きして、あの13章の「愛の賛歌」を続けたのです。
(『コリント書に学ぶ』p.12より)
コリントの教会はパウロが行く前からすでにその前身があったようですが、パウロによって、今でいう長老や教師、会計や執事といった役職をおくほど大きく成長したようです。
そうした中、パウロは次の伝道地となった対岸のアジア州の州都エフェソで伝道を開始し苦闘していました。
そのパウロの下にコリント教会から知らせが届きました。それは、教会内で起きている死活問題になりかねない緊急事態を告げるものでした。
そのため、パウロは大変な中、実際に足を運ぼうとしたり、また弟子を派遣したりしてコリント教会の正常化を図ったわけです。
その手段の一つとして使われたのが、一連の書簡でした。
現在はコリント第一の手紙と第二の手紙となって聖書に残されていますが、第二の手紙は複数の手紙が混在していますし、これら以外にも書簡があったようです。
では、コリント教会の実情はどうであったのか。それはパウロの手紙を詳細に読むと分かって参ります。
パウロが伝えた主イエスの福音に真っ向から否定し、誹謗さえする勢力もありましたし、また逆にパウロの福音をねじ曲げ、より真理に近いと盲信する勢力もありました。それらの勢力間の派閥争い、紛争が教会内に起き、またいずれの陣営も使徒パウロを誹謗中傷していたようです。
また、パウロの教えに忠実であろうとした平信徒たちは、その中で何が真実なのかわからなくなり翻弄されていました。
私は以前の講解で、こうした陣営の代表的なグループを「テレイオス」と「カタトメー」というギリシャ語名でご紹介いたしました。
「テレイオス」というのは、自分たちは福音によってすでに救われており「完全な人」になっていると自称するグループです。ですから、「何をやっても赦される」という行きすぎた〈自由〉を謳歌していました。
一方、「カタトメー」というのは「割礼主義者」とも呼ばれているグループで、救いには「割礼」などに象徴されるユダヤ伝統の宗教的な象徴が必要であり、律法の厳守が求められる、だから、パウロのような「ピスティス(信)」にある〈自由〉は許し難いと主張していた人たちです。
要するに両グループ共に〈自由〉の解釈を巡り厳しく対立しており、またいずれのグループもそのどちらでもないパウロの〈自由〉理解を批判していたのです。
そう考えると実はこの問題は、21世紀に生きる私たち自身の問題でもあります。この点についてはこれまで一連のパウロ書簡講解でお話ししてきましたので、そちらをご覧下さい。
話を戻します。コリントの教会ではこうした勢力がそれぞれ自陣こそ正しいと主張し合い、互いに裁き合い、教会を混乱に陥れていました。
このコリント第一の手紙では、そうした各グループを具体的に念頭において読むことで、より一層パウロの語る内容が伝わって参ります。詳細は拙講をご覧下さい。
12:31b そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
2-1-1コリント教会が抱える問題
実はここに、コリント教会に巣食う宗教人の傲慢な姿が皮肉を込めて描かれているのです。宗教の偉大さ、すばらしさに酔いしれ、我らこそ福音の旗手との自負から互いに競い合い、裁き合っていました。
中でも教会の育ての親でもあるパウロを批判する勢力が教会を混乱に陥れていたのでした。確かにそうした宗教的な在り方は神の賜物としてすばらしいものです。それゆえ、「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい」(12章31節)とパウロも勧めています。
しかし、それらは決して「最高の道」( ヒュペルボレー ホドス(最もすぐれた 道)、つまり、第一義、最も大切なものではない、とパウロは断言しました。
「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。」
それ以下の箇所は「愛の賛歌」として、キリスト教式の結婚式などでも引用され、一般人にも広く有名な聖句です。
しかし、その真意は、パウロの論敵たちであった「カタトメー」や「テレイオス」たちの宗教的生き方の真相が、逆説的に表現されているのです。
以下、詳細に本文を読んでみましょう。
1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、「わたしに何の益もない」。
「異言」(グローッサ)、原意は「舌」です。そこから「言語」さらには「異言」という意味が派生してきました。
「人々の異言」は、他国の言語を自由に操り他国の知識に精通することとでも言えましょう。また「天使の異言」とは、超越的な世界(神秘)を体現し人知を越えた言語を操る能力でしょうか。現代で言えば、(言語)学者、通訳、知識人、宗教家、神秘家にあたります。
「預言」とは、世を鋭く批判し見通す能力であり、現代的に言えば先駆的な社会的リーダーや言論人が当てはまります。
「神秘と知識に通じる」とは、当時の学者や占星術師、占い師などをさしましょう。世の中の動きを見通す能力で、現代で言えば評論家や、一部の学者、知識人、マスコミ関係者などです。
「信仰の強い人」、ここはちょっとびっくりですね。「山を動かすほどの完全な信仰」というのは主イエスの御言葉を連想させます(マタイ17:20)。おそらく、教会内には、この主イエスの御言葉をもって、そうした「信仰」が何よりも大切だと主張した人たちがいたことでしょう。この場合の「信仰」は、「あの人は信仰深い偉大な人だ」というように、それが人間の能力の一つとして評価されるケースです。 言うまでもなく、宗教家、宗教的リーダー、熱心な信徒にあたります。
「全財産を貧しい人に使い尽くす」、これもまた大変な犠牲的精神です。この度の震災でも多くの人が様々な形で奉仕や献金を捧げましたね。奉仕、ボランティア精神の溢れた人、ボランティアのリーダー、篤志家です。
「誇ろうとしてわが身を死に引き渡す」とは、これはギリシャ語の写本により二種類の解釈があります。現在の新共同訳では「誇ろうとして」が採用されていますが、口語訳では「焼かれるために」でした(ギリシャ語のスペルで一文字だけ異なる)。いずれにせよ、信仰のために殉教するほどの犠牲的在り方をさし、いわゆる殉教者、宗教的リーダーがこれに相当します。
こうした宗教的な賜物も、確かにそれ自体すばらしいことでありますが、「愛がなければ」騒々しいだけ、「愛がなければ、無に等しい」し、「愛がなければ、わたしは何の益もない」。とパウロは断言しています。
ちょっと原文を読んでみましょう。
13:2「愛がなければ、無に等しい」
アガペーン デ メー エコー、 ウーセン エイミ
愛を しかし 私が持ってない、 虚しい 私には
13:3「愛がなければ、わたしに何の益もない。」
アガペー デ メー エコー、 ウーデン オーペルーマイ
愛を しかし 私が持ってない、何も〜ない 役に立つ
ここで注目すべき点は、「私には」、「私がなければ」とパウロ自身にとっての意見を述べるにとどめ、論敵に強要していない点です。
ここにもパウロの真理認識の基本姿勢が伺えます。
2-1-2コリントの教会に連なる人々の問題点
ここで繰り返しになりますが、コリント教会の問題を整理します。
一言で言えば「分派」、つまり派閥争いでした。
それは、それぞれ各グループの宗教的価値観を競うものです。自分たちが体現する宗教的な在り方こそ、本物であるとして、他者の在り方を非難し、裁き合っていました。
確かに宗教的な在り方そのものは、神の賜物であり、意義深いものです。しかし、その根源が神の賜物であることを忘れ、自己の完全性を主張したとき、そこにはすでに神から切り離され、自らが神の如くなろうとする在り方があるわけです。これがパウロが罪の根源として指摘する 「ヒュブリス(傲慢)」の正体です。そしてこの「傲慢」から分派、分争が生まれるのです。
ここでパウロはそうした在り方の一つに、「山を動かすほどの信仰」として〈信仰〉(原文:ピスティス)を上げている点に注意せねばなりません。
これが、いわゆる人間の側に由来する〈信仰〉です。パウロが特徴的に使用する〈ピスティス〉と同じ言葉ですが、その内実は天と地の相違があります。この場合の〈ピスティス〉は、むしろ人間の「信心」とか「宗教的信念・確信」の意味でしょう。この神から切り離された人間由来の宗教的信念、確信こそ、「傲慢」の中でも最も強力なのです。
2-1-3論敵の反論
「愛がなければ虚しい」とのパウロの主張に対して論敵の反論が予想されます。
「アガペーが最も大切だというのはわかった。じゃあ、お前(パウロ)の言うアガペーとは何か?」
想定されるこの疑問に対しての答えがいわゆる「愛の賛歌」として読まれる箇所です。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
「忍耐強い」は言語で「マクロチュメオー」です。その意味は、織田昭氏の『新約聖書ギリシア語小辞典』によると、「①怒りを延ばす、容易に怒らない、遅憤、長く耐え忍ぶこと、長く忍苦する。辛抱強くする。②耐え忍ぶ、忍耐する、忍耐強く待つ。③寛容である、堪忍する」とあります。
同様に、「情け深い」は、「クレーステウオマイ」で、「情け深い、親切である、親切にする、慈悲深くする」です。
また、「ねたまない」は、「ゼーロオー:ねたむ」に否定語がついたものです。ゼーロオー は①熱心に燃える、熱心に努める。熱心に求める、熱心に慕う。②ねたむ、嫉妬する。」それに否定がついて「熱心に求めない、嫉妬しない、妬まない」となります。
同様に、「自慢せず」は、「ペルペリューオマイ」(<ペルペロス:うぬぼれの強い)で、「自分を偉そうにみせびらかす、ほらを吹く、自慢する」で、その否定となり「うぬぼれない」です。
「高ぶらない」は、「フシオオー(<フーサ:ふいご)」、「吹いてふくらます、慢心させる、高ぶらせる、慢心する、高ぶる、のぼせ上がる」で、その否定「高ぶらない、慢心しない」となります。
「礼を失せず」は、「アスケーモネオー(<否定のア+スケーマ「体裁」)」、「不作法をする。みっともないことや見苦しいことをする」となります。
「自分の利益を求めず」は、「ゼーテオー」で「①探す、捜し求める、尋ね求める、尋ねて捜す、尋ね出す、(命を)ねらう、追求する。②(しようと)努める、(得ようと)求める、欲しがる、願望する。③要求する、請求する、求める」。その否定形です。
「いらだたず」は、「パロクシュノー(<パロ:強意 + オクシュノー 怒らせる)」は、「(人を刺激・挑発して)怒りを発せさせる。憤りを起こさせる、挑発する、いらだたせる」となります。「恨みを抱かない」は、原文では次のようになっています。
ウー ロギゼタイ ト カロン
ない、数え上げる the 悪いこと
つまり、相手の悪いことを数え上げて、あげつらうことをしない、という意味です。
6節以下は、新共同訳でもほぼ直訳です「 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。」
7節「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」原語では次のようになります。
パンタ ステゲイ
パンタ ピステウイ
パンタ エルピゼイ
パンタ ヒュポメネイ
「ステゲイ(<ステゴー)」は、「①屋根で覆う、覆ってやる、覆って隠してやる。②(屋根のように)覆って代わりに受け止めてやる。覆って保護する。覆ってかばう。③(屋根のように)上から降ってくるものを受け止めて耐える、辛抱する、我慢する」です。これはギリシャ語の原語は違いますが、意味としては 「ペテロの手紙一」4章8節の「愛は多くの罪を覆う」に通じます。
「ピステウオー」は、「信頼する、信頼を置く、信じる、頼みきる」です。
「エルピゾー」は、「望む、希望する、期待する、予期する、待ち望む、待望する」、「ヒュポメノー(ヒュポ:後ろに + メノー:留まる)」は、「①後ろに留まる、居残る。②自分の場に固く踏みとどまる、持ちこたえる。③耐える、忍ぶ、耐え忍ぶ」となります。以上をふまえてこの部分を意訳してみました。
あなたたちも承知のように、神・主イエスのアガペー(愛)こそ「最高の道」。
アガペーがあれば、「容易に怒らない」し、「情け深く」「ねたまない」。「自分を偉そうに見せず」、「どうだと自慢しない」。「礼儀をわきまえ」、「自分の利を求めず」、「他者を挑発することなく」、「他者の罪を数えない」。「悪いことを喜ばず、真実、真理を喜ぶ」。「どんなことも受け止めてかばい、すべてを信じ、すべてを待望し、どんなことがあっても踏みとどまって持ちこたえる」(はずだ。)
どうでしょう?
皆さんはこの意訳を通してどう感じられましたか。
これらの「愛」の描写を聞いて、論敵達は内心苦々しく感じたのではないでしょうか。
「愛の賛歌」どころか、むしろ、次のようなパウロの皮肉が聞こえたに違いありません。
「じゃ、君たちの実態はどうだ? すぐ怒り合って、容赦なく、妬み合っているではないか。自分こそ一番と言いたげで、自慢し、礼儀すら忘れ、自分のことばかり熱心に求めてあくせく追っかけている。そして時には他の者を挑発し、罪を数えて断罪しているではないか。真理を尊ばず、不正を陰で喜んでさえいる。何かあるとすぐに逃げ出し、簡単に諦め、じっと我慢して辛抱しているか?」
だけど、8 愛(アガペー)は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。と続くのです。
2-2 結婚式で省略される箇所(8b〜12節)
これに続く箇所は、結婚式などで朗読される際、まず間違いなく省略されるところです。本文を読んでみましょう。
……預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
この箇所は、確かに「アガペー」についての直接的な記載がないため、結婚式で朗読するのにふさわしくないと思われても仕方ありません。
それだけでなく、教会や神学界でも、たとえば、別の手紙一部がここに紛れ込んだとか、写本のミスなどという学説もあるように、「愛の賛歌」という文脈からずれていると解釈されることが多いようです。しかし、果たしてそうでしょうか。
コリント教会内の「カタトメー」や「テレイオス」など論敵たちが、これこそ「最高の道」として自慢する「預言」、「異言」、「知識」などは、真の完全である〈神〉の前には、一時的なものであり、あくまでも部分的に通用するに過ぎません。
それはあたかも、私たちが成長に伴い智恵が増し、価値基準が変わって、幼子時代のそれを捨てるように、その完全の前では未完成そのものです。
「預言」、「異言」、「知識」は、《神》の賜物のごくごく一部にしか過ぎないという認識は、人知を越えた、生ける〈神〉に出会った者にとって当然の理ですが、こうした部分的な賜物にとらわれている者には、それが見失われているのです。
つまりここでは、絶対者、創造者である《神》と人間の隔絶を認識しているかどうかが問題なのです。
それは、人知を越えた《生ける神》に「出会っている」かどうか、が鋭く問われているのです。
そして、その《生ける神》と私たちを繋ぐ「最高の道」が、神から賜る「アガペー」なのです。
この神のアガペーに触れ、神にアガパオー(愛されている)ことを心底実感していないと、人は〈死〉がthe end(ジ・エンド)、死んだらおしまい、この世がすべてと思わざるを得ません。
「死がthe end」つまり、「人生はこの世で完結する」ということが当たり前と信じているからこそ、未完成のまま世を去ることへの不安や焦りが募るのです。
だから、未完成のまま悔いを残して死んで行くことへの恐れに取り憑かれ、悲しみに悶え、己の人生に疲れ、そしてついには諦めざるをえない。
だから、その死の恐怖から逃れるために、何か絶対的なものに縋り付き、自分の義を立てようとする、つまり、救いを得ようともがいているのです。
その救いの対象として人が縋り付こうとするものが、いわゆる〈偶像〉の本質です。
偶像とはお寺などのある仏像などのようなものではありません。私たちの中にも、そうした〈偶像〉がある、という指摘を以前の講解でもさせて戴きました。その〈偶像〉の中には、本来神の賜物であるはずの異言や預言、知識や信仰すら含まれることがあるのです。「私には預言や異言が語れる能力があるぞ、他の人が知らない知識や、誰も真似のできない信仰があるから、大丈夫だ」と信じ込み、「完全な者(テレイオス)」と自称さえし、それこそ「最高の道」だから、それを他者にも強要したり、その視点から世を裁くことになるわけです。
しかし、そうではない、とパウロは断言します。
この世に属するものは、どこまでも中間点に過ぎません。〈死〉を超えた次の世で、〈アガペーなる神〉にまみえることができる。
神は〈聖〉(その原意は「峻別されている」)だから、人はこの地上では神を見ることができません。せいぜい御衣の裾を垣間見るに過ぎないのです。むしろ神にまみえれば死ぬとまでユダヤ人達には思われていました。
しかし、パウロは、その聖なる神と、古代の銅鏡に映し出されるぼやけた映像のようではなく、面と面を付き合わせるかのように、はっきりとまみえることができるだろう、と言うのです(この発言は、ユダヤ人には冒涜に聞こえたかもしれません)。その日まで、人生はどこまでも未完結、中間点、途上に過ぎません。この世では決して「完全な者(テレイオス)」ではありえないのです。
その中間期である人生の歩み方は、自分たちが未完成、未成熟であるという自覚をもって歩む生き方です。
つまり、自らを自分こそが正しいと絶対視せず、他者も真理の一片を賜る存在として尊重し、アガペーをもって「大切に」慈しみ、造り上げ(オイコドメオー)、他者、人類、宇宙の完成を望み(エルピス=希望)、その完成(つまり救い)を御手に委ねること(ピスティス=信)ではないでしょうか。
そして、それらを根源から支えるのがアガペーではないかと私はこの箇所から読み取りました。
13 それゆえ、信仰(ピスティス)と、希望(エルピス)と、愛(アガペー)、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
ラインホールド・ニーバーの次の名言はこの真理の一端を的確に表しています。
「いかなる価値あることも、人生の時間の中でそれを完成することはできない。
それゆえひとは希望によって救われねばならない。
いかにまことで美しく善きことであっても、目に見える歴史の現実の中でそれを明白に実現することはできない。
それゆえひとは信仰によって救われねばならない。
いかに有徳な者であっても、ひとのなすことは、ただひとりだけでは達成することはできない。
それゆえひとは愛によって救われるのである。
たとえわれわれから見て有徳な行為であると思えるものであっても、われわれの友人あるいは敵から見ればそれは有徳だとは感じられないものなのである。
それゆえにわれわれは赦しという愛の究極的な形によって救われねばならないのである。」
(R・ニーバー『アメリカ史のアイロニー』より)
その中間期である人生の歩みの指針となるキーワードがパウロの手紙に出て参ります。
たとえば、「慎み深く:ソーフロネイン」(ロマ12:3)で、これは『平和は大河のように』の「倫理の破綻をくい止めるもの」(p.167以下)にあります。
この言葉の対立概念は「マニア:狂気」、そして「ヒュブリス」。上述した「傲慢」です。
次に、「広い心:エピエイケース」(フィリピ4:5)これも以前フィリピ書の講解でお取り次ぎしましたが、石川康輔氏はこの言葉を次のように説明しています。
正義、権利、法、規則、建前といったことがらに、いたずらにしがみついたり、こだわったりすることなく、よりよい善の実現のため、とりわけ愛のために必要ならそれらのことがらを離れ、超越して行動しうるだけの柔軟で、寛容な考え方、態度、姿勢を意味。…「譲る精神」「負ける精神」「損する精神」。
(石川康輔、『新共同訳新約聖書注解Ⅱ』)
つぎに、「節制:エンクラテイア」(Ⅰコリ9:24)で、語源は「内にしっかりと力があること」これについては、拙著『平和は大河のように』p.95の「救いへの自制」をご覧下さい。「もうだめだ」と安易に諦めるのではなく、救いへの信頼を内に秘めてひたすら歩むことをさします。
それに「造り上げる:オイコドメオー」、これはこのコリント第一の手紙の14章以下に幾度となくでてくる重要なキーワードです。
オイコス(家)から派生した言葉で、家を建てることから転じて、何かを造り上げることを意味します。
互いに造り上げる、成長させる、救いへと導き合う、と理解できましょう。
最後に「落ち着いた生活をする」という言葉がテサロニケ第一の手紙4章11節にあります。これも大変重要な言葉で、これについては後ほど詳しく触れたいと思います。
3.「愛」(アガペー)とは何か。
以上のように、この箇所はいわゆる「愛の賛歌」というよりも、コリントの教会で紛糾していた問題に直面する人々への深い配慮から発せられた鋭い指摘であると理解できるでしょう。
その文脈からは少々逸れるかも知れませんが、「愛」について考えてみたいと思います。
まず、パウロが特に主張した「愛」、原語では「アガペー」を初期の信徒たちはどう受け止めたのでしょうか。また、それは我々現代人が多用する「愛」と同じ内容なのでしょうか。
3-1聖書における愛 (『新聖書大辞典』より)
旧約聖書における「愛」は'ahbah(アーバー:名詞)、'ahab(アーアブ:動詞)が用いられ、その意味するところは、「親が子を愛することに現れるところの、自己犠牲的愛を現わ」し、「これは最高の極限、すなわち神の愛において真の姿が現われて」いるそうです。
「アーアブ」を神の愛を現わす語として用いたのはホセアが最初です。
ヤハウェ神とイスラエルとの間に結ばれた契約は、一対一の人格的関係つまり、夫と妻の夫婦契約であるとしました。
「この神の愛は選びと同意語に用いられている場合があり、神は多くの民族の中からイスラエルを選んで、契約の関係に入ったこと、ここに愛がある」とあります。
比較として「ヘセッド」という言葉が上げられております。この言葉も大変重要なキーワードですが、「連帯責任、または社会的責任、社会的義務を意味する。イスラエルが神との間に結ばれた契約に対する責任、神に対する応答としての義務」を意味したそうです。
総じて旧約聖書では、「神を愛することは、神との契約に相応しいあり方をすること、すなわち神の命令を守ることを意味している」とあります。
3-2 ギリシャ語における〈愛〉
古典ギリシャ語における「愛」は、皆さんご存じのように幾つかの言葉があります。
まず、 「エラオー」(動詞)、名詞形は「エロス」です。「性的欲情に基づく愛、または倫理的宗教的に高められた愛として聖なるものへの憧憬などを表わす」とあり、今日一般に受け止められているような官能的な愛だけではなく、自分にない崇高なるもの、超越的なもの、真善美への憧憬といった高尚なる概念でもありました。
次に、 fフィレオー」(動詞)、名詞形は「フィリア」で、兄弟愛、友愛、人類愛をさします。こちらも今日の代表的な愛の一つとも言えます。
三番目は「ストルゲー」で、家族愛、肉親愛をさします。
そして最後最も使用頻度が低かったのが「アガパオー」(動詞)、「アガペー」(名詞)で、「古典ギリシャおよびヘレニズム時代においては、〈気に入る、満足する〉などの意味でごくまれにしか用いられなかったが、70人訳では〈アーハブ〉の訳語としてひんぱんに使用された」そうです。70人訳というのはヘブライ語聖書を紀元前3世紀から1世紀にかけてギリシャ語に訳されたもので、ディアスポラのユダヤ人を中心にギリシャ語圏で広くもちいられた聖書です。パウロたちはこの70人訳も日常的に親しんでいたことでしょう。
この「アガペーというギリシャ語に、神の愛とそれに動機づけられた人間の愛についての鮮明な内容を付与した最初の人はパウロである」とあります。
3-3「アガペー」の和訳
次に、「アガペー」の和訳について触れてみたいと思います。鈴木範久氏によると、「〈愛〉は〈神〉に劣らず日本語の意味内容が大きく変容した言葉」だそうです(『聖書の日本語』鈴木範久著 岩波書店より)。
日本において「愛」は、仏教では、「渇愛」つまり、「人間の欲望の根源、それを滅ぼすことこそ仏教の眼目」であり、「否定的な意味合いがある」とされました。
また、「仏教的以外の一般的な〈愛〉の使われ方」としては「親が子に対する〈愛〉のように〈いつくしみ〉として使われることもあった」とあります。つまり「本能的な愛情」ですね。その「本能性のみが強まると〈愛欲〉といったどろどろした自己中心的欲情の表現」になったそうです。
キリスト教と出会ったキリシタン時代、宣教師の重大な課題がありました。
それは和訳です。アガペーの訳Charidade(カリダーデ)をどう和訳したらよいかという問題です。さまざまな検討の結果、『どちりな きりしたん』では、これを「御大切」と訳したそうです。当時造られた『羅葡日辞書』で、「愛」に相当するAmorアモールはTaixet「大切」とされています。
それは、「〈愛〉という文字が入った言葉が、概して (感情的、肉体的な愛情)に用いられ、ときには〈不潔な快楽〉として受け取られていた」からだそうで、「そのために精神的な〈愛〉に関しては、それを用いず〈御大切〉が使われた」わけです。
また、「〈デウス〉(神)の〈愛〉には適当な言葉がなかったので、ポルトガル語のまま〈カリダアデ〉が用いられた」とあります。
これをまとめると、
感情的肉体的な愛情 :愛、恋
精神的な相互愛 :大切
超自然的(神的) 愛 :カリダアデ
となります。
基本的にはこの状況はその後もあまり変わりなく、ですから、「これに〈愛〉という文字を使ったことは、『実に大胆な用語改革』(チースリク)」とありますように、ある意味異常なことと言えます。
そしてキリスト教が再度入ってきた「明治以後キリスト教的素養の普及に伴い〈愛〉が徐々に浸透」いったわけですが、愛の概念を巡り混乱は今日も続いているのです。
蛇足ですが、漢字の「愛」という文字には、本来、人間を超越する神的存在に対する憧れ、恋い慕う意味があるそうです。
だとしたら、本来の漢字の愛の意味は正しいのでしょう。その恋い慕う対象を間違えたとき、その意味も本来の意義を失ってしまったと言えるのかも知れません。その意味で、次の伊藤整の指摘は依然として妥当性があると思います。
「愛」という言葉が用いられるとき、「キリスト教的な祈りと、不可能な道徳への反復的努力」を伴わなければならないにもかかわらず、主我的・支配的な恋や執着を「愛」としてしまった。近代日本では、「愛」という言葉が、その矛盾を抱えたまま用いられていることによって、「愛」の錯覚をももたらしている。
(伊藤整『近代日本人の発想の諸形式』より)
3-4 神が愛
話を戻しますが、当時のコリント教会内では「アガペー」よりも「異言」や「預言」、それに「知識」や「信仰」の方が注目され、信者として賞賛されていたという背景があります。
実は、この「愛」と訳された「アガペー」という言葉は、「信仰」と訳される「ピスティス」と同様、当時も、現代においても容易に通常の言葉では訳せない言葉と言えましょう。
「アガペー」(名詞:愛)、「アガパオー」(動詞:愛する)、「アガペートス」(形容詞:愛された)は、辞典によると新約聖書中320回登場します。その内、パウロ文書(書簡、パウロ集団の文書)で136回、ヨハネ文書(ヨハネ福音書、ヨハネ書簡)に106回、マタイ、マルコ、ルカ福音書をさす共観福音書には37回、その他に41回使用されているそうです。
ですから、ヨハネの集団をのぞけば、原始キリスト教会の中で、パウロと彼の影響を受けた集団がひときわ「アガペー」を重要視していたことがここから伺えます。
たとえば、パウロの第二世代(テモテなどの弟子達の時代に書かれたと思われる「エフェソ書」などにその継承の後が見事に反映されています(エフェソ2:1-8, 3:14-19,ほか)。ヨハネの影響を受けた集団でアガペーが重視されたのは、もちろん使徒ヨハネの神学的志向もありますが、彼らの重要な本拠地の一つが、パウロが福音を根付かせたエフェソであったことも関係しているかも知れません。
結論から言えば、「アガペー」とは〈神〉であると私は受け止めています。
ヨハネの手紙一では「神が愛(アガペー)である」(ヨハネの手紙 Ⅰ 4章など)と端的に宣言しています。言うまでもなく、「アガペー」は人の言葉で定義できるものではありません。ですから、「アガペー」は、現代人が思い描くような、人間的な「愛情」ではなく、和訳して置き換えられる単語(概念)がない言葉と言えましょう。
また、「アガペー」とは、神と結ばれていることをさすのではないかと私は思います。
この「愛の賛歌」の聖句で、「愛」とある箇所を「神と結ばれておれば」と置き換えて読むとしっくりします。
3-5 パウロの主旨
では、パウロはここで何を言いたかったのでしょうか。
繰り返しますが、当時のコリントの教会では、「異言」や「預言」、「知識」や「信仰」が重要視されていました。それらは 人間の「宗教的行為」と言えましょう。
それは人知を越えた在り方への畏怖と憧憬、つまり宗教心から発しています。この《宗教心》に、人は魅了されます。
現代においてもそれは変わりません。我が国において統計上、既存宗教、各新興宗教の総数は、人口を遙かに上回っているそうです。そうした象徴として、全国各地に壮麗な各教団の建物や寺院、教会などがそびえ立っています。〈宗教〉こそまさに福音に反する急先鋒です。
パウロはその《宗教心》を敢えて強烈に批判したのです。
これがこのコリント13章から読み取らねばならない重要なメッセージの一つです。
なぜなら、〈宗教心〉において、まさに人は神に最も相対峙して強烈な自己主張をするからです。
それが 「ヒュブリス(傲慢)」となって噴出し、あの教会の派閥闘争や紛争、混乱を引き起こしていました。
実はパウロは、彼らの姿に、〈信仰〉に篤く行動の人だった若き日の自分を重ねる思いで見ていたのではないでしょうか。
パウロは若き日、熱心で忠実なユダヤ教徒でした。
彼はその分派、異端と目されていたキリスト教徒たちを率先して迫害する急先鋒でもありました。
ダマスコのキリスト教徒を捕縛するために向かったその途上、思いもかけず主イエスの顕現に会い、完膚無きまでに打ちのめされました。
それは、それまでの宗教人パウロの生き方そのものが全面否定された瞬間でもありました。
自分が異端の教祖と信じていたイエスが神の側にいたという事実。彼の思考はまったく停止し、どうして良いのか分からず、その衝撃から一時的に盲目になってしまったほどでした。
〈宗教〉(〈信仰〉)という仮面をかぶった「自己という偶像」(オスカー・ロメロ)を打ち砕かれた瞬間でした。
そして、それはまた、まさに「目から鱗が落ち」、それまでの「的外れ」(「罪」の原意は的外れという意味)であったことを示されたと同時に、本当の福音(何が救いであるか)に触れた瞬間だったのでした。この体験により、パウロの人生は180度変わらざるを得なかったのです。
その体験を全身で味わったパウロの目には、宗教的な熱心さや篤さはむしろ危ういもの、最も的外れ(=罪)と写ったことでしょう。
パウロは彼らの中に本末転倒していた過去の自分を見出し、心痛めたと思います。
だからこそ、言葉を尽くし、じっと耐え忍びながら、時には文字通り命をかけて彼らに真の福音を説き続けたでした。こうしたパウロの姿に、まさにアガペーの実例をみます。
私たちはこの13章の聖句を「愛の賛歌」という心地好い言葉の羅列として受け止めるのではなく、ここからパウロのアガペー溢れる祈りを聞き取らねばならないと思います。
実は、そういう私たちもまた、単に「愛」を讃美する上っ面だけの宗教人だからです。
織田昭氏はこの箇所について次のように述べています。
〈ここで、先程の疑問に戻って来ました。そんな愛が私の中にあるか? という疑問です。はっきり言って、それは私自身の中からは湧き上がって来ないものです。クリスチャンの最初の霊的発見は、愛が自分の中には無いことです。それにも関わらずその私を神が大事にしてキリストの命を下さったことから、私たちの信仰は始まります。この愛は「私の中にあるかどうか」を吟味して嘆いたり、誇ったりするものではなくて、自分が愛されていることに気づいて愛を受けることです。私がその「愛」を頂いて感謝するとき、同じように「愛されている」兄弟の未来に“かける”ことができるのです。愛の無さを徒に悲しまないで、神様が「受けよ」と謂われる愛を「受ける」ことです。〉
「そんな愛が私の中にあるか?」
パウロがこの13章でコリントの信徒たちに問いたかったのは、まさにこのことではないでしょうか。君たちの中にそのアガペーが息づいているのか? そのアガペーに突き動かされて日々を歩んでいるのか? 彼らに自分たちの実体を気づかせるために言葉を尽くしたのでした。
「クリスチャンの最初の霊的発見は、愛が自分の中には無いことです。それにも関わらずその私を神が大事にしてキリストの命を下さったことから、私たちの信仰は始まります」。「それにも関わらず」、つまり、アガペー(愛)のかけらすらない私たちにもかかわらず、私たちのためにキリストの命を捧げるまでに、神は私たちをアガパオー(愛)して下さっている、その事実を示されたとき、私たちは降参し、必死に守ってきた自分に城を明け渡すのです。
その時、それまで見えなかった真実が見えるようになる(「アメージング・グレース」の歌詞)、まさに「目かが鱗が落ちる」瞬間です。
織田昭氏の言葉に耳を傾けてみましょう。
「伝道の実績、聖書を身に着けた熱意、人のために尽くした犠牲的な働き、 病気や災難と戦った苦労。それはみんな、それなりに貴重ではあるけれど、 それで神の恵みの度合いが異なると錯覚するな。その人たちを尊敬するなと言うのではない。程ほどにして「醒めて」いよということです。大事なのは、 あなたがイエス・キリスト様を通して神様の愛を受けて喜んだか……その一事だけなのです。もし、それがあれば、あなたは最高の宗教能力を発揮した兄弟と同等です。神の国では、同じだけの輝きを与えられています。そのことを決して忘れるな……というのが、この愛の章のメッセージだと私は理解 しています。」
(織田昭著 新約短篇 第一コリント書の福音 「宗教的能力か、それとも……」より)
4.アガペーを体現する生き方とは
4-1アガペーによる自己と他者の受容
では、そのアガペーを賜った人の生き方とはどういうものなのでしょうか。今日の私たちが抱える苦しみや問題をふまえて、次のジャン・バニエ氏の言葉に耳を傾けてみましょう。
競争社会ではさまざまなプレッシャーがかかり、自分の尊厳をゆるがす好ましくない動きに対して警戒し、気を張っていなければなりません。もっとも危険なのは自己嫌悪です。自分と調和できないときには、心から休むことはできません。自分自身から逃避し、自分の存在を正当化するために、必要以上に仕事に没頭することがあります。しかし、自分が生きていていい、と思える理由は、ただ一つしかありません。それは神が、自分を愛してくださっているということです。愛に対する信頼が欠けているために、わたしたちは心を楽にして、ゆったりと過ごすことを恐れるのです。いつも手綱をにぎり締め、急いでいます。一度ペースを落としたら、自分と向き合わねばならなくなるからです。自らを謙虚に受けとめる姿勢こそが、すべての喜びや幸せ、そして創造性の基本だといっても過言ではないでしょう。こうした自己受容こそが、自分と聖性の基となるものです。
(ジャン・バニエ『暴力とゆるし』60ページ)
「自分が生きていていい、と思える理由は、ただ一つしかありません。それは神が、自分を愛してくださっているということです。」
これこそ、パウロの訴えたかったことでしょう。神がアガパオー(愛)して下さっている、それこそが何よりも第一にすべきこと、「最高の道」なのです。
その「愛に対する信頼が欠けているために、わたしたちは心を楽にして、ゆったりと過ごすことを恐れるのです。」
私たちの不安を突き詰めていくと、ここに行き当たるのではないでしょうか。
死がThe end、おしまい、そのおしまいにまで、何かをやり忘れているという焦燥感、またそれが達成できないという諦念、それは何なのでしょうか。
アガペーの欠乏、アガペーとの出会いがないことではないでしょうか。
私たちは生まれながらにしてこのアガペーを求めている。意識していようがしまいが、アガペーの欠乏が私たちの深奥をかきむしるのではないでしょうか。だからアガペーの代わりになるものをひたすら追求しているのです。その象徴的なものが〈宗教〉ではないでしょうか。
ジャン・バニエの別の言葉にも注目してみましょう。
〈自分の弱さを受け入れる〉
私たちの人生は、一つの神秘、つまり弱さから弱さへと──小さな赤ちゃんの弱さから老人の弱さへと──成長することです。私たちは生涯、疲労や病気、事故に見舞われます。私たちはみな、根本的に弱い存在なのです。弱い私たちがもし人から望まれなかったら、私たちの心は秩序を失い、混乱します──反対に、もし受け入れられ、耳を傾けてもらえ、評価され、愛されるならば、私たちの心は安らぎを覚え、満たされることになります。
……
もし私たちが自分の弱さと死の現実を否定するならば、また、もしつねに力強くあろうとするならば、自分自身の一部を否定し、人生をごまかして生きることになります。人間であるとは、自分たちの現実の姿、この強さと弱さの混じり合ったあり方を受け入れることです。
これは、私たちの実体を的確に言い表しています。私たちは本来弱いのです。しかし、「自分をごまかして」強がっているのです。弱さの頂点が「死」です。死はすべてを奪い去る。すべてがそこで終わるのです。すべてを失ったとき、何が残るか?「虚無(ケノス)です。虚しさです。パウロの書簡にはこのケノスがたびたび登場します。おそらく救いに与ったパウロですら、たびたび「お前のやっていることはケノスだ」という内外からの声が聞こえてきたのではないでしょうか。その虚無(ケノス)にいったい何が対峙できるのでしょう。そうした内心からの抑えがたい囁きに対して、「いや、そうじゃない。死は終わりではないし、ケノスでもない」とパウロは訴えかけています。そして「最高の道」としてのアガペーを指し示したのでした。
このアガペーを賜ったとき、人は自ずと変えられていきます。ジャン・バニエの言葉に耳を傾けましょう。
それは、他人をあるがままに受け入れ、愛することです。それはまた、弱さと強さを併せもった私たちが一緒に結び合うことです──何故なら、私たちはお互いが必要だからです。弱さを正直に認めて、受け入れることが、つながりの根本に、したがって人とのきずなの根本にあるのです。
(ジャン・バニエ著『人間になる』 新教出版社 57-58ページ)
4-2アガペーは足下に
ではそのアガペーとはどのように発露しているのでしょうか。マザー・テレサが来日した際に、「徹子の部屋」の出演し、次のような言葉を残したと伝えられています。
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ」。
「(遠くの人よりもまず)、隣人に気をかけて欲しいのです。」
マザー・テレサ
これらは、「アガペー」は遠くにあるのではなく、本当に身近にある、という指摘ではないでしょうか。
私たちは遠くに災害や貧困など不幸を知ると、心痛め、何かできないかと心配り、具体的に援助の手を差し伸べます。それはそれでとても大切なことでしょう。もちろんそれを否定するものではありません。
マザーが訪日した当時も世界のあちこちで災害や戦争などによる困窮や貧困に苦しむ人がいました。そして多くの善意の日本人がそれらに思いをはせていました。
しかし、マザー・テレサは敢えてこう指摘したのでした。あなた方日本にも、その援助を必要とする人が身近にいますよ、と。それはアガペーの眼差しは本来、もっとも身近なところから始まるという指摘ではないかと私は受け止めました。私たちは往々にしてこのことに気づかず、天下国家を論じ、時に善意を現し具体的な援助をすることで自己満足に陥ってはいないか、自分たちの宗教性に酔ってはいないか、そう受け止めるのは考えすぎでしょうか。
世のために精力的に自分を捧げ奮闘する人が、時として最も身近な隣人を忘れてしまう例はしばしば見受けられるからです。
「人生はドラッジャリー」内村鑑三
もう一つ重要なエピソードをご紹介します。「人生はドラッジャリー」という言葉を内村鑑三が残しています。
これは後に独立伝道者として生涯を貫かれた石原兵永先生が、自分の進路について内村先生に相談したとき教示された言葉です。石原先生は内村先生や諸先輩がされているような伝道という崇高な仕事に憧れておられたようで、それにくらべ世俗の仕事が価値が低いとの不満を持っておられたようです。そんな彼に対して内村先生は烈火の如く激しい言葉で次のように語られたそうです。
「学校につとめても、つまらぬ仕事や雑用に自分の時間と全精力を用いるのは、もったいないような気がするのですが。」
と。これを聞かれた先生は、たちまち目をむき、声をはげまして、面とむかって私に言われた。
「それは君は誤っている。人生の大部分はドラッジャリー(drudgery骨折仕事)である。重荷を負って牛車を強く引かねばならぬ。それが人生であるのだ。イエスもそれをなされた。もし君にその仕事が堪えられないのならば、君はどこへ行っても役に立たぬ。それをいやがってはだめだ。君がやらなければ、誰かがやらねばならないではないか。同じいやな仕事を、君がやる時には、正しく勇ましくそれをやってのけねばならぬ。その仕事を君がやらないのならば、君はその仕事について論ずる資格がないのだ。かく牛車を引いて得た自由でなければ貴くないのだ。今の時からそんな事を言うのは、少し生意気だ。よっぽど、そこには貴族根性、怠け根性がはいっているよ。」
と、火が出るほどビシビシやられた。内容もない言葉だけの自由や真理などを叫んでいい気になっている虚栄心に対する、実に強烈な鉄槌であった。高慢の鼻は無残にも打ちひしがれ、全く顔色がなかった。しかし、何という真理の言であろう。Life is real, life is earnest.(人生は真実であり、人生は真剣である)と、日ごろ暗誦したロングフェローの詩は、私の耳に快よい「人生の歌」であった。しかし「人生の大部分はドラッジャリー(労役)である」という、内村先生の言葉は、真に人生を生かす力であった。
この時からすでに半世紀余りにもなるが、この教えの貴さが、そして真剣に叱って下さった先生の深い愛のありがたさが、年とともに身にしみる思いがする。
(石原兵永著『身近に接した内村鑑三』上p.189-190)
マザー・テレサの指摘する他者、すなわち最も身近な隣人、身近な存在を中心とした生活は畢竟、このドラッジャリーを担う淡々とした日常になるのではないでしょうか。
それは華々しい生き甲斐に満ちた慈善や奉仕には思えないような、あまりにもありふれた日常の繰り返しです。
しかし、実はそこにこそアガペーの出番があるのではないでしょうか。
皆さんも実感されていると思いますが、私たちはこの日々の平々凡々な生活の中で、実はアガペーのなさに打ちひしがれ、何度も挫折を味わっています。
このドラッジャリーな毎日にいったいどんな意義があるのかわからず、虚しさを募らせています。
しかし、それでもなお、そんな私を慈しみ、憐れみアガパオーして下さっている神がいらっしゃるのです。
わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛(アガペー)を示されました。(ローマ5:8)
このパウロの告白を心からアーメン、その通りと涙ながらに受け止められるとき、神のアガペーを賜っている(神の温かい眼差しの庇護にある)ことを実感するのです。そして、未熟で不完全なまま、なそうと思わないのに他者を傷つけ、罪を重ねる者であっても、それでもなお、御赦しによって生かされている、アガパオーされている自分を発見できるのです。
自他の救いを自分で成し遂げようとはせず、その完成を主に委ね託す姿勢こそが、ドラッジャリーな日常の連続を支えます。そのエネルギーの源は、次の御言葉に示されている圧倒的な神の〈アガペー〉です。この〈アガペー〉なる神、〈アガペー〉という目に見える形で私たちにも実感できる神こそ、「最高の道」、第一義、何よりも大切なものだとパウロは訴えようとしているのではないでしょうか。
その意味でも真の「愛の賛歌」は、ローマ書8章35節以下だと私は思います。
8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
36 「わたしたちは、あなたのために
一日中死にさらされ、
屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
(ローマ書8章35~39節)
文語訳では、「我らを愛したまふ者に頼(よ)り、勝ち得て余りあり」とあります。「勝ち得て余りあ」るのです。十分すぎるほどの充足感を賜るのです。その「アガペーを追い求めなさい」(Ⅰコリ14:1)とパウロは言葉を続けています。
互いに愛し合うことのほかには、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
(ローマ13:8)
参考資料「愛」について
参考1
「愛」広辞苑の定義
①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。
②男女間の、相手を慕う情。恋
③かわいがること、大切にすること。
④このむこと、めでること。
⑤愛敬(愛嬌)、愛想(あいそ)
⑥〔仏〕愛欲、愛着、渇愛。強い欲望。迷いの根源として否定的にみられる。
⑦キリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなく、いつくしむこと。
「愛」大辞林の定義
①対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。
(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。愛情
(イ)異性に対して抱く思慕の情。恋
(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。
②キリスト教で、見返りを求めず限りなく深くいつくしむこと。
③〔仏〕人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛
④他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ、あいきょう
参考2
漢字本来の「愛」の意味
「愛」の起源
「愛」の字は甲骨文字には見当たらず、金文に至ってやっと現れるものですが、ふりかえって、なお心を後ろに残す人のような姿に象られます。心は人ではなく、神のもとに残されたとでもいうべきです。そのことはつねに並べて用いられる「恋(戀)」との関連のうちに求めて考えなければならないでしょう。
その「戀(れん)」もまたさほど古くない形声文字ではありませんが、かえってその「声」の部分に相当する「戀」のうちにこそ、その古代的な意味が暗示されているかに見えます。その「戀」の形は、二たばの「糸」が「言」を挟んでいる形にかかれます。「言」はそもそも偽りを許さない神への誓いをいう字です。その「糸」たばも、神にささげられるべきものです。
「戀」の対象が神であったことは明白です。「戀」はもとより「乞(きつ)」と、その意味において通うものがあり、ともに飢渇した心の充足を、神に「こふ」ことを意味します。金文にも、男女の愛情の意味で用いられている文例を一つとして探すことができません。「愛」「戀」いずれも、その思い慕う対象が神であるのですから、人が人を「愛」し、「戀」することはもうそれだけで神への冒瀆ともいえたのです。
人は人との交わりのなかでいきてゆきますが、むしろ神に魅かれ、神を慕い、それでも満たされぬまま神との交わりを求めつづけた時代を、かりに古代と名づけます。その古代の人々の神への痛切な思いを哀しく詠う詩を、再び『詩経』のうちに尋ねることができましょう。……
……おそらく、「愛」は、また「戀」とは、神の周辺をさまようしかない、満たされぬ人の心を、かつては示す語であったのです。
(『神様がくれた漢字』白川静監修、山本史也著94-98)
2011年11月27日初稿に手を加えました。
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