フィリピのリディア
『日々の聖句』
2024年1月5日 金曜日
新約 使徒言行録 16:15
彼は己も家族もバプテスマを受けてのち、我らに勸めて言ふ『なんぢら我を主の信者なりとせば、我が家に來りて留れ』斯く強ひて我らを留めたり。
(文語訳)
彼女とその家の者たちが洗礼を受けた時、彼女は呼びかけて言った。「もし私が主に対して信実な者であると思って下さるのでしたら、どうぞ私の家にいらっしゃって、滞在なさって下さい」。そして彼女は我々を強いて(招じ入れた)。
(田川訳)
ὡς δὲ ἐβαπτίσθη καὶ ὁ οἶκος αὐτῆς, παρεκάλεσεν λέγουσα· εἰ κεκρίκατέ με πιστὴν τῷ κυρίῳ εἶναι, εἰσελθόντες εἰς τὸν οἶκόν μου μένετε· καὶ παρεβιάσατο ἡμᾶς.
ὡς δὲ ἐβαπτίσθη καὶ ὁ οἶκος αὐτῆς,
(ホース デ エパプティステー カイ ホ オイコス アウテース)
〔後で パプデスマされた そして 家の者たちが〕
παρεκάλεσεν λέγουσα·
(パレカレセン レグーサ)
〔彼女は懇願し 言った〕
εἰ κεκρίκατέ με πιστὴν τῷ κυρίῳ εἶναι,
(エイ ケクリカテ ピステーン トー キュリオー エイナイ)
〔もし あなたたちが判断するなら 私を 信実な 主に 者である〕
εἰσελθόντες εἰς τὸν οἶκόν μου μένετε·
(エイセルソンテス エイス トン オイコン ムー メネテ)
〔やって来て 〜へ 家へ 私の 留まって〕
καὶ παρεβιάσατο ἡμᾶς.
(カイ パレビアサト へーマース)
〔そして 強く留まるように願った 私たちに〕
文語訳では、なぜかリディア(女性)が「彼」と訳されている😅
リディアが何者かは使徒言行録のこの辺りにしか登場しないので、憶測するしかない。
16章12節によると、「ティアティラ市出身の紫布を扱う商人で、神を崇める」とある。
ティアティラ市は、小アジアの内陸部、リディア地方の都市で、その地方出身者だから「リディア」と言うあだ名、通称かも知れない。
「神を崇める」とは、異邦人のユダヤ教改宗者とも考えられるが、ユダヤ会堂ではなく、門外の「祈りの場」に集っていた。
ユダヤ教の神に強い関心を持っていたことは想像できる。
その「祈りの場」に集まっていたのは女性だけ。
リディアもその一人で、特にパウロの語る言葉に打たれたようだった。
そして、今日の聖句となる。
リディアは、「紫布を扱う商人」と訳されているが、どうやら、〈紫染料〉を扱う商人だそうだ。
その中には紫布も含まれるだろう。
紫染料は高価なものだけに、それを扱うことから、信用ある取引可能な商人であったことが伺われる。それも女性の。
これだけでも彼女が、当時の普通の人たちと違った立ち位置にいることがわかる。
独身女性の経営者。
今日でも、その立場の方の抱える様々な葛藤は伺えよう。
そんな中、素地として「神を崇める」精神を培われていた彼女は、パウロを通して、《福音》に出会った。
その喜びが、次の行動によって表されている。
早速、パプデスマを授かり、
さらには、「オイコス(家の者たち)」、つまり従業員でもある召使や家奴隷たちにもバプテスマを受けさせた。
独身女性の家に泊まることは、
ユダヤ男子として、たとえ複数でも躊躇したことだろう。
にも関わらず、リディアはパウロたちに逗留することを必死に願った。
「私が主に対して信実な者であるとお考えなら、ぜひ泊まって下さい」、と。
その後、フィリピでパウロたちは、町を混乱する煽動者として捕らえられ鞭打ち刑を受け、投獄された。
投獄中に地震があり奇跡的に解放され、責任をとって自害しようとしていた看守を助け、看守一家も主の者となった。
フィリピの町を追い出されるように出る際に、パウロたちは再びリディアの家に立ち寄っている。
リディアの家はフィリピの〈家の教会〉となったかも知れない。
パウロは後に、『フィリピの信徒への手紙』の中で、その後伝道したギリシャの地で、フィリピの人たちから経済的な援助を受けた感謝を述べている。
おそらくりであも多大な貢献をしたことだろう。
後に、フィリピの信徒たちの間にも様々な混乱やトラブルがあったようだが、パウロたちの導きなどで生き抜いたようだ。
『フィリピの信徒への手紙』が残されたことが何よりの証拠だと思う。
彼らは時に叱責や自分たちの恥になるような記載があっても、その手紙を大切に読み継ぎ、保管したのだ。
残念ながら、その手紙にはリディアの名は記されていないが、きっと彼女はパウロと協力して問題解決にあたっていたことだろう。
あの日、門外の川辺にあった「祈りの場」に出向いたリディア。
彼女の魂を捕らえられた主。
その一人の女性に、深い主のご配慮と摂理を思う。