必要なことは一つだけである
必要なことは一つだけである
ルカによる福音書10章42節にこんな言葉があります。
ἑνὸς δέ ἐστιν χρεία·
(エノス デ エスティン クレイア)
「必要なことは一つだけである」(協会共同訳)。
文語訳では、「無くてならぬものは多からず」です。
まさに、「不要不急」とは、この「なくてならぬもの」を問われているのではないでしょうか?
間違った選択はそのまま自他の死に直結するからこそ、その選択の判断基準を問われているのです。
この言葉に関連してですが、我が家の床の間には次のような禅僧の筆になる掛け軸がかけてあります。
「山僧活計茶三畝、
漁夫生涯竹一竿」
(さんそうがかっけい、ちゃさんぽ
ぎょふのしょうがい、
たけいっかん)
山僧はひとりの僧侶で、
つまり「山僧活計」とは普通のありふれた禅僧の生き方、生活のことを指し、
「三畝」は3つの畝、つまり小さな畑をさしています。
禅僧の暮らしは小さな畑があれば、それで充分であるという意味です。
また同じように、漁師の暮らしも竹の竿が一つあれば、それで良いと。
シンプルライフとか、
ミニマム主義とも通ずるかも知れませんが、
この禅僧の生き様は現代人の対極ではないかと思いました。
もちろん、
主イエスの言う「無くてならぬもの」とは違いますが、
人生の真理を言い当てていると思います。
特にモノに溢れ、「もっと、もっと」とより豊穣な生活を無批判で追い求めている私たちに、ブレーキをかける言葉の一つではないかと思うのです。