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「愛に訴えて」 δια την αγαπην ー フィレモンへの手紙

──フィレモンへの手紙を手にとって──


1) 聖書のリアリティを求めて

a)フィレモンへの手紙を手にとって

私の手元に風変わりなJ. S. Bachの肖像画があります。それは音楽の教科書などで見慣れたカツラを着け正装したバッハではありません。ボタンをいくつかはずしたシャツを着た中年男性ですが、特徴ある鋭い目と楽譜をしっかり握り大きな手から、バッハであるとわかりました。もちろん、これは現代の作家がCDジャケットとしてデザインしたものですが、なるほどと感心させられました。普段着のバッハ、家でくつろいだり、いつもの仕事をする時のバッパを想像したことはありませんでした。

この普段着のバッハを描いたジャケットを見ながら、ふと、聖書のことを思いました。私たちが聖書に向かう時、どちらかと言えば、正装したバッハを見るような読み方ではなかったか、どこか身構えて、かしこまって読んでいたのではないか、そう思ったのです。

しかし、普段着のバッハの肖像画を待つまでもなく、音楽の厳父バッハにも当然、普段の日常生活がありました。その中からあのような傑作が次々に誕生したのでした。そのように聖書の書かれた背後にも、私たちとさほど変わりない日常の喜怒哀楽があったはずですが、そのありのままの日常世界のただ中で示された真理が聖書として残されているのでしょう。その聖書に正装して向き合うのではなく、普段着で私信を読むように手にとってみたいと思います。

新約聖書のパウロ書簡(真性の手紙、ローマ、コリント一、コリント二、ガラテヤ、フィリピ、テサロニケ一、フィレモンの7書)は、史的資料価値の基準である「現地性」と「同時性」が極めて高いもので、第一級の史料でもあります。これらの手紙は、ほぼ間違いなくパウロが生きた時代に、生きた土地において書かれたものです。

聖書の中には、使徒パウロの伝記的記述が「使徒言行録」に詳しく残されています。しかしこれはパウロが死んでから数十年後に書かれたもので、史料としては「同時性」において先のパウロ自身の手紙と比べ劣ります。ですから、これらの真性の手紙によって、パウロの生きた日々をある程度再現できるのではないでしょうか。そうすれば、象徴化された正装したパウロではなく、生きたリアリティある姿を伺うことができると思います。そして、彼の説く福音に、彼の生の声を聞くように耳を傾けてみましょう。

b)なぜフィレモンへの手紙か

TV番組「その時歴史が動いた」では、その後の歴史を大きく動かすきっかけや事件にスポットライトをあてた興味深い番組ですが、大半は歴史的著名人や歴史的大事件が選ばれます。果たして歴史はそうした主要な出来事や人物だけが動かしているのでしょうか。

もし私が「その時歴史が動いた」という瞬間を何か一つ挙げよと言われれば、今回はパウロとオネシモという家隷の出会いを挙げたいと思います。

この出会いは、世間一般の人には全く知られていません。しかし、人類が得た最も重要な文書の一つでもある新約聖書が後世に伝承されるために不可欠なキーパーソンとして、一介の家隷にすぎなかったオネシモに注目せねばならないのです。

実は、彼がいなければ「新約聖書」が今のような形で残されたかどうかわかりませんでした。そう言うと私たち日本人には驚きでしょう。直接的な証拠は残っていませんが、そう推理することで、オネシモの主人フィレモンに宛てたパウロの私信が、新約聖書に残されている意味が推し量れるのです。

パウロは、オネシモを奴隷(ドールス)としてではなく、主の「僕(しもべ、ドールス)」として獲得するために、フィレモンの「愛に訴えて」この手紙を認めました。その手紙を手にとって、私たちも文字通り手紙のように読んでみましょう。

c) パウロの歴史的意義

主イエスの福音を「言葉」として言い表し証することは、大変重要宣教の課題でした。外からの迫害と内部の論争の中で、福音を適切に言い表す「言葉」の創出が初代クリスチャンたちの手によって成されました。その苦闘の結果が後に聖書となり結実したのでした。

中でも特に使徒パウロの存在は無視できないものでした。彼の残した手紙だけでなく、彼の影響を受けた聖書記者たちの文書が数多く聖書に残されたことからもそれがわかります。その「言葉」が歴史を大きく動かす原導力となりました。特に宗教改革から始まった世界の近代化の礎となったことは言うに及びません。

d)言葉の誕生

パウロの約60年の生涯の内、最後の10年間、中でも51歳から56歳の5年間にこの言葉の創作が凝縮されています。新約聖書に残るパウロの真性の手紙と位置づけられるものは、すべてこの五年間書かれたものです。

コリント :18ヶ月 :テサロニケの信徒への手紙一

エフェソ :約3年 :ガラテヤの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙

コリントの信徒への手紙一、二

フィレモンへの手紙

コリント :3ヶ月 :フィリピの信徒への手紙3章、ローマの信徒への手紙

この五年間のパウロの苦闘は大変なものでしたが、その中で多くの希有な言葉が生まれました。この後に続く彼の生涯は、その言葉を自ら裏付けるような主イエスの「ビア・ドロローサ(悲しみの道)」のような黙従の歩みであり、アカイア地方を発って数年後に、パウロはローマで殉教したと言われています。

e)エフェソでの3年間の伝道の意義

大都市エフェソでの伝道、苦難と苦闘の連続でしたが、協力者も多かったし実りある伝道だったと言えます。

特に主イエスの福音を巡る論敵との論争は、パウロに福音を証する希有な言葉を与えたのでした。この激闘の中から誕生したパウロの言葉が、ローマ書など新約聖書の中核となったと言えましょう。後に歴史を大きく動かすことになる新約聖書の言葉の礎が、この5年間に培われたのです。

パウロを取り巻く厳しくも実り多い日々が、思索と祈りによって言葉を誕生させたのでした。その意味で、「福音のために迫害せらるること、その事が聖書最善の註解である。この苦痛を経ずして註解書は山をなすとも聖書は解らない」(内村鑑三「聖書道楽」より)。この言葉は重みをもって迫ってきます。

2)エフェソでの伝道:パウロのエフェソでの活動

エフェソは、現在のトルコを中心とした地域を占めたアジア州の首都で、人口約25万人くらいの大都市でした。

ギリシャとアジアの女神が混交したアルテミスという女神を祀っている神殿を中心とした門前町でもありました。アルテミスは数多くの乳房を持った像で現された豊穣の女神です。

またエフェソは交通、経済の要衝であり、大変繁栄しており、文化、社会も爛熟し、当時のローマ各都市と同じく、「そこには人間の数と同じくらいの悪徳があると承知するがよい。……これは野獣の集まりである」とセネカが描写したように道徳的には頽廃した面もあったことでしょう(セネカ『怒りについて』茂手木元蔵訳)。

パウロの真性の手紙などから推察すると、彼は紀元52年頃からエフェソで伝道し始めたようです。パウロ没後数十年を経て書かれた『使徒言行録』の著者は、19章以下にその模様を比較的詳しく記載しています。すでに伝説的な伝承が多かったでしょうが、そこには印象的な迫害が記録されています。

エフェソにもユダヤ人がたくさん住んでおり、独自の宗教を守って暮らしていました。パウロは最初ユダヤ人の会堂で3ヶ月間にわたり伝道しましたが、一部のユダヤ人たちの反発を受けそこを出て、ティラノスという人が所有する講堂に移り約2年間伝道しました。

パウロは生業であるテント作りを、同業者のアキラ・プリスキラ夫婦と共にしながら生計を立てつつ、伝道にいそしんだようです。

当時の習慣で午前10時から午後4時は昼休みですので、その時間を伝動に利用しました。エフェソでの伝道は、大変厳しくも実り多いものであったようです。聖書には、エフェソでの体験をパウロ自らが語っている部分があります。

「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知ってほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。」(Ⅱコリ1・8)

まず、同胞ユダヤ人からの迫害、中傷がありました。ユダヤ人たちにとってパウロは、聖なる神の律法を冒涜する裏切り者でした。

次に異邦人であるエフェソの人々からの迫害もありました。特にエフェソの守護神でもある豊饒の女神アルテミスを崇め、その利益に与る者たちからは営利妨害者として睨まれ、さらにローマ当局からは政情を乱す者として目をつけられていたようです。『使徒言行録』によると、アルテミス神殿の模型で生計を立てていた銀細工職人デメトリオの煽動によって、暴徒化した民衆によってパウロたちはリンチのような危険な目に遭っています。

同様なことが幾度もあり、時には当局により投獄もされたようです。コリントの信徒への手紙一の15章32節には「エフェソで野獣と闘った」とまで書かれています。

しかし、約3年間にもわたりエフェソとその周辺部に伝道することができました。エフェソは、パウロが母教会のアンティオキア教会を離れてから最も長く滞在できた場所の一つでした。そして、この地域にキリストの福音が根付いたのです。

それから数世紀にわたり、エフェソはキリスト教界の重要な拠点だったことからも、この伝道のの意義がわかります。

そして、さらに重要なことは、後に「新約聖書」として残されたパウロの真性の手紙の大半がここで記されたことです。それらはまさに「福音のために迫害」される厳しい状況の中で、パウロが主によって賜った珠玉の言葉です。また、この時に形成された諸教会は、後に数世紀にわたり福音の砦として教会史に大きな足跡を残しました。

3)フィレモンへの手紙本文の学び

では、新共同訳をもとに、フィレモンの手紙を読んでみましょう。〔本文の引用は『新共同訳聖書』から)

◆挨拶

 1キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、2姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。3わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

まず、手紙の常套句である挨拶です。「キリスト・イエスの囚人(デスミオス)」とは、文字通りパウロが投獄されていたことにもよりますが、彼自身、心底自分が主イエスに捕らわれた者(囚人)だという自覚を表明しています。意義的には、ローマの信徒への手紙の冒頭にある自己紹介、「キリスト・イエスの僕(ドゥーロス、奴隷)」と同じでしょう。

フィレモンとは「愛する者」という意味です。アフィアは原文では「アプフィア」で女性名であり、特にここに名前が記されていることから、フィレモンの妻か同労者であろうと思われます。アルキポは原文で「アルキッポス」で、ギリシャ神話に登場する神の名前を付けています。彼もここで特に名前が記されていることから、フィレモン夫妻の子、ないしは親族、あるいは有力な同労者だったのではと想像されています。コロサイ書4章17節によれば、後に教会の有力な働き人となって活躍していた人物として同名の人物が上げられていますが、同書にはオネシモの名前も挙げられていますから恐らく同一人物と見なせるでしょう。「戦友」は、軍隊の同僚というよりは、岩波訳の「共闘者」のように、福音のために共に闘う同僚という意味でしょう。

「愛する協力者」は原語でαγαπητοs(アガペートス)で、「愛に浴した者」、「愛された者」を意味しますが、フィレモンは家長として、また主イエスを信ずる者たちの間で、その名のごとく大変愛され慕われた人だったことがここから伺えます。

 ◆フィレモンの愛と信仰

4わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。5というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。6わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。

このような挨拶に相当する部分は、とかく読み飛ばしがちですが、パウロの心温まる配慮が隅々まで感ぜられます。

5節の「主イエスに対するあなたの信仰」という部分の「信仰」は、原語では「ピスティス」で、この新共同訳のように「信仰」という意味もありますが、原意は真実、信実、忠実、誠実、真摯といった意味もある意義深い言葉です。

ここを協会訳では、「それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである」と訳されています。この協会訳の方が新共同訳より原文に忠実ですが、主イエスとすべての聖徒に対する「愛」と「ピスティス」といった時、その訳としては愛と「信仰」よりも、愛と「真実」とか「誠実」と訳した方がふさわしいと思います。

「活発になるように」は、「生き生きしたもの」(岩波訳)のになるようにという意味です。

7兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。

ここは、フィレモンの真実な( ピスティス )生き方が、他のキリスト者の 「τα σπλαγχνα(タ スプランクナ)」を励ましている、元気づけている、という意味になります。「スクランクナ」は「心」と訳されていますが、非常に特異な言葉ですので、後で詳しくお話します。「元気づける」は、岩波訳では「生気を取り戻す」と訳されており、20節にも使われている言葉です。

◆パウロ、オネシモのために執り成す

8それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、9むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。10監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。

ここからいよいよ本題に入ります。パウロ、もしくは同労者であるエパフラスによるコロサイでの伝道によって、フィレモンはキリスト者となったようです。当時は、家長が信ずると、家族はもとより雇い人や家隷もそれに準じましたので、フィレモンの家隷だった青年オネシモも否応なく信者とされたのでしょう。彼の名前は「有益な者」、「役立つ者」という意味ですから、役立つことが期待されていたでしょう。

しかし、そのオネシモが何らかの理由でフィレモンの家から逃亡しました。11節や18節の記述からおそらく、オネシモは主人の金品を盗んだか、それとも多大な損失を与えるような行為をしたようです。オネシモは主人の家を逃げだし、街道に沿ってアジア州の都であったエフェソの雑踏へ紛れ込もうとしたようです。しかし、つてもない彼は、恐らく生活に窮して犯罪に手を染めたのでしょうか。それとも、主人の師であるパウロのことを思い出し、やむにやまれず助けを求めて探したのでしょうか、とにかくオネシモは投獄されていたパウロの元にたどり着きました。

パウロとオネシモがそこでどういう出会いがあったのかわかりません。しかし、オネシモはその牢獄でパウロにより、自らキリストを主と告白する者へ変えられたことが、「監禁中にもうけたわたしの子オネシモ」という記述から想像されます。彼はまさに絶望の淵から救いだされたのでした。

パウロはこのオネシモを、自分の元において福音伝道の同労者とすることも選べたのですが、パウロはそうしませんでした。

当時、奴隷は法的にも主人の所有物ですので、主人の意向を最優先されねばなりませんでした。キリストの福音の自由に生きていたパウロですが、地上の秩序を重んじ、またフィレモンの気持ちを尊重し、極めて手厚い配慮をしていることが、この手紙の随所で伺えます。

そこでパウロは、オネシモを奴隷としてではなく、死んでいたが生き返り救われた一人のキリスト者として受け入れてくれるように、「愛に訴えて」この手紙を認めたのです。この「愛に訴えて」は、石川康輔氏によれば、この書簡のモチーフであると指摘されています(『新共同訳新約聖書註解Ⅱ』p.339)。

手紙の受け取り主であるフィレモンにとって、パウロは信仰の師ですから、「遠慮なく命じてもよいのですが」とパウロは述べています。しかし、彼はその立場を取るようなことはしませんでした。

9節は印象的な言葉です。「むしろ愛に訴えてお願いします」。原文では、δια την αγαπην(ディア テーン アガペーン)という3つの単語からなっています。δια(ディア)は英語の'through'とか'by means of'などに相当し「何々によって」との意味です。「テーン」は冠詞で、「アガペーン」はキリスト教独自の意味を有する「愛」を表す「アガペー」の変化型です。したがって、それらを合わせて「愛によって」、「愛を通して」という意味になります。新共同訳では意訳して「愛に訴えて」と意訳しています。パウロは、決してフィレモンに強要することはしませんでした。どこまでもフィレモンの自発的な応答を期待しているのです。

11彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。

オネシモの名前が「有益な者」「役立つ者」という意味ですから、「役立たない者」という言い方に、パウロのユーモアを感じます。そのオネシモが「今は、あなたにもわたしにも」、「役立つ者」つまりその名の通りの人物になっているというのです。パウロと出会い、失意と絶望の淵から生還したオネシモは文字通り生まれ変わったのでしょう。

12わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。

12節は原文ではとても熱情込めて書かれています。

ον  ανεπεμψα σοι,  αυτον,  του tεστιν  τα   εμα; σπλαγχνα

この〜 送る あなたに 彼を それ?である、 冠詞わたしの  こころ

岩波訳では、原文に忠実に「その彼を、あなたに送り返す、彼を、すなわち私の心である〔彼を送り返す〕」と訳しています。

パウロはオネシモに対する深い情愛を込めて、彼のことを「私の心」とまで言い直して繰り返し語り、パウロの強いパッションを感じます。

ここでも重要な言葉が使われています。「わたしの心」の「心」です。これは原語でσπλαγχνον(スプランクノン)となっています。この言葉は一般に複数形τα σπλαγχνα(タ スプランクナ)が用いられます。通常この言葉は新共同訳のように「心」と訳されています。

しかし、最も一般的な「心」に相当するギリシャ語は、καρδια(カルディア)です。ここで用いられている τα σπλαγχνα(タ スプランクナ)は、新約聖書では全部で11回だけ使用され、そのうち8回はパウロが使っています(ガラテヤ2回、フィリピ2回、コロサイ1回、フィレモン3回)。その他で使われている箇所は、ルカ1.78、行伝1.18、ヨハネⅠ3.12です。

この原意 は『新約聖書釈義辞典』によると、(a)肉体的意味として人間や動物の内臓を表すもので、使用例では、たとえば使徒言行録の1章18節では「はらわた」ないしは「内蔵」と訳されています。次に、(b)感情の宿るところを表すこともあります。岩波訳の注では「人間の感情の深奥の座」であると説明されています。古代ギリシャでは「激しい感情の宿るところ」として用いられ、ヘレニズム期では「悩みを感じるところ」を意味したと説明されています。

しかし、パウロはこの言葉を通常のカルディア(心)と区別して、「他者に対する愛情、愛する人々との交わりを求める心からの願望の場」という意味を込めて使っているそうです。また、同情、憐れみ、慈悲を表すこともあります。この場合は、他の単語と一緒に使用され、例えば σπλαγχα οικτιρμου (スクランクサ オイクティルモー)は、「心からの憐れみ」という意味になります(コロサイ3.11)。

パウロはこのスプランクノンを、この短い手紙の中でここ以外にも二カ所で使っています。それぞれ、パウロの気持ちが強くこもった箇所です。

以上の説明をふまえて、手紙本文に戻ってみましょう。ほとんど説明の必要なくお読み頂けると思います。

13本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、14あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。15恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。16その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。

獄中でパウロと出会い、キリストの福音に自ら触れて、生まれ変わった青年オネシモについて熱く語るパウロの姿が目に浮かぶようです。そして、随所に見られるフィレモンへの配慮にも、パウロの心配りが伺えます。

かつては人権を有しない奴隷だったオネシモは、今は「一人の人間として、主を信じる者」となった、そう執り成すパウロの口調は、フィレモンへのきめ細かな配慮をしつつも、フィレモンへの信頼に溢れて明快な印象を受けます。

17だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。

「わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら」、ここもパウロの謙虚な姿勢が伺えます。本来なら信仰の師であるパウロから、このような手紙をもらうことなどまったく想定していなかっただろうフィレモンは、どう感じたでしょうか。

「オネシモをわたしと思って迎え入れてください」。

パウロはこの手紙をオネシモに持参させ、フィレモンのところへ送り出したようです。だとすれば、オネシモが投獄されたとしても軽犯罪だったのでしょう。オネシモがフィレモンの元へ必ず戻るかどうか、パウロは懸念しなかったのでしょうか。この文面からはそんなそぶりは全く見られません。

18彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。19わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。

19節の「支払いましょう」は、「返済する」(岩波訳)という意味です。

ここから、オネシモがフィレモンの家で何か後ろめたいことをして、逃げ出したのではないかという推測ができます。おそらくそうだったのでしょう。

しかしパウロは、彼が何をしたのか、その被害額がいくらだったのかについては深く探らなかったようです。にもかかわらず、その負債を全額保証するというのです。ここもパウロの大胆な信頼を感ぜざるをえまえん。

ここを読んだフィレモンはなんと思ったことでしょう。「わたしパウロが自筆で書いています」が保証の裏打ちとなります。

この手紙はその意味で、実質上パウロによる弁償の証書であり、半ば公文書でもあったのです。

「あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。」

パウロが伝えた福音こそ、この世の何物にも代え難い「宝」であり、その意味ではフィレモンはパウロに負債を負っていると言えます。それについて返せなどという気は全くない、という意味でしょうか。

20そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。

オネシモの処遇について、彼の主人であるフィレモンに対して、パウロの 心(スプランクナ)を元気づけてほしいと懇請しているのです。原文では以下のように見事な修辞がなされています。

ναι,     αδελφε,   εγω   σου      οναιμην        εν  κυριω

Yes,      兄弟よ       私は   あなたから     益を受ける         in    (The) Lord

αναπαυσον   μου   τα  σπλαγχνα    εν  Χριστω

 元気づける  私の    the      こころ(五臓六腑)を   in    Christ

パウロはここでもあえて「τα σπλαγχνα(タ スプランクナ)」を使っています。彼にとって、オネシモがフィレモンに、新たな思いで受け容れてもらえることは、五臓六腑をふるわせる喜びだったのです。

まさに、「他者への押しとどめることのできない愛の湧くところ」、「他者への関心、まなざしとなって発露する源」そして、「他者との関わり、共有(良いことも、悪いことも)を感ずるところ」としての意味を、あえてこの言葉を使うことで強調したかったのでしょう。

表面的な「心」というより、「琴線に触れる」という美しい表現に近いものを表しているように思います。このようなセンスを、私たち現代日本人に喪失しているのではないでしょうか。

「主によって」は、原文ではεν κυριω(エン キュリオー)で、英語では ' in the Lord' です。また、「キリストによって」は同じく、εν Χριστω(エン クリストー)で、英語では ' in the Christ' です。ここは「主によって」や「キリストによって」より、協会訳や岩波訳のように「主のあって」、「キリストにあって」と、訳したほうが含蓄が深いと思います。

「主にあって」または「キリストにあって」というこのひと言があるか、ないかで重要な相違が生じます。

ヒューマニズムとキリスト信仰の決定的な違いがここにあるのではないでしょうか。主イエスに繋がっているか、否かです。ヒューマニズムはこの生命の源泉である主イエスとの繋がりがないため、枯渇することがあります。極貧の中で死んでいく路上の人々を介護し続けたマザー・テレサは、その活力を毎日の礼拝で賜っていました。それはまさに、主にあって、キリストにあってマザーが生かされていたことを証しています。

「元気づける」は7節にも登場した言葉です。

21あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。22ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。

フィレモンはオネシモの仕打ちを思い、パウロの申し出を拒否したでしょうか。いや、きっとそうではなかったでしょう。それは何よりも、この手紙がこうして新約聖書に残っている事実からも裏付けられます。フィレモンはパウロの期待通りにオネシモを赦し、新しい「一人の人間として」、「主を信じる者として」受け容れたことでしょう。そこに、フィレモン家の新しいスタートがあったと想像しています。

 ◆結びの言葉

23キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。24わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。25主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。

エパフラスはパウロの有力な同労者で、パウロより少し後代に書かれた「コロサイの信徒への手紙」にもその名が見られることから、フィレモン家があるコロサイ地方への伝道で重要な役割を果たした人物だと思われます。この手紙が書かれた時、エパフラスはパウロと共にエフェソの牢獄に繋がれていたことがわかります。パウロがコロサイ伝道を直接していなかったとしたら、獄中でオネシモをパウロに紹介したのは彼かもしれません。

24節にはエフェソでパウロと共に福音伝道で苦楽をともにした同労者の名前が書かれています。

アリスタルコは「使徒言行録」によれば、エフェソの銀細工人デメテリオが扇動した騒動で、パウロと共に投獄された同労者で、その後ローマまでパウロと生死を共にしたとも言われています。

マルコはおそらくヨハネ・マルコのことで「マルコによる福音書」の著者か、ないしは強い影響を与えた人物ではないかと言われています。

また、ルカは医師として重宝されていたようです。また、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の著者とも言われています。

デマスもこの時は同労者として名をあげられていますが、後代の書によると彼はパウロのもとを去ったようです(コロサイ4.14,Ⅱテモテ4.18)。

最後に、5節にあったπιστιs(ピスティス)という言葉についても立ち止まってみましょう。

この言葉は、フィレモンの手紙だけでなく、新約聖書のみならず旧約聖書を含め聖書全巻を貫く重要なキーワードであるといっても過言ではありません。

信実、真実、忠実とか信仰、真理を現す広く深い意味を宿す言葉です。

フィレモンの手紙では、5節で、「主イエスに対するあなたの信仰」とあり、新共同訳ではフィレモンの「イエスに対する信仰」と訳していますが、口語訳や岩波訳のように原文は、主イエスと聖徒たちへの「アガペー」と「ピスティス」となっていて、信仰というよりは「真実」と訳すべきところでしょう。

人への愛と真実は、そのまま主イエスへの愛と真実へと繋がります。

旧約では「エムナー」「ヘセド」「エメト」などが相当するとされます。オネシモは後に書かれたコロサイ書の4章9節で「πιστοs (ピストス、忠実な〔者〕)」と呼ばれています。

4)その後のオネシモと新約聖書の成立

どうして「フィレモンへの手紙」が新約聖書に入っているのでしょうか。いったい誰が、この書簡を大切に保存していたのでしょう。

そう考えてみると興味深い想像ができます。このフィレモンの手紙は、当初はオネシモの手によってフィレモンの元に届けられ、そこで大切に保管されたことでしょう。上述のようにこれはパウロによる借財の弁償という公的証書の意味合いもあったからです。

しかし、その後、おそらくこの手紙がフィレモン一家からオネシモの手に渡ったと思われます。

パウロの計らいにより、本来なら処罰されて当然だったオネシモは、ご主人でもあるフィレモンと新しい関係を結ぶことができました。それは当時の人々には考えられない出来事だったことでしょう。フィレモン一家とオネシモとの主にある新しい関係誕生を記念する証書として、この手紙は特にオネシモにとって家宝以上のものであったに違いありません。

オネシモはこれ以降、忠実な主の僕として生涯を走り抜いたようです。

数十年後に書かれた「コロサイ書」や「クレメンスの手紙」などにもオネシモは登場しており、伝説によれば、後にエフェソで監督にまでなり、ドミティアヌス帝(在位81ー96年)の時代に殉教したといわれています。

このフィレモンへの手紙はもちろんのこと、新約聖書に不可欠なパウロの手紙の収集と保存について、中心的な役割を担ったのがこのオネシモではないか、そう想像しても決しておかしくないと思います。

パウロの手紙は、オネシモと彼の仲間たちによって大切に保管され伝承されました。しかし、教会の主流は次第にパウロを忘れていきました。その代わりに、庶民が喜びそうな伝説的な話が流布していきました。今も残る外典、偽典などから、魔術的なパウロや仙人的、超人的なパウロ像が好まれていたことがわかります。

ですから、もし、オネシモがいなければ、真性のパウロ書簡は散逸し、生きたパウロの証言が失われたかも知れません。そして、伝説的なパウロ像が一人歩きしたことでしょう。

しかし、オネシモたちによってこの書簡集が大切に保管されたことにより、パウロ自身が書き残した生の声による福音の証が残され、確実に後世へ継承する術として新約聖書に結実することができたと言えましょう。だからこそ、2,000年近く経ち、遠く極東の地に生きる現代の私たちにも、一介の庶民に紛れた存在に過ぎなかったパウロの生の声に耳を傾けることができるのです。

獄中でパウロを通してキリストに出会い、パウロと主人フィレモンによる「主にある」赦しに触れたオネシモの生涯を決定づけたのは、「主イエスにある」パウロとフィレモンたちの「ピスティス」と、燃えるような熱いいのちの交換だったのではないでしょうか。

それはパウロたちを通して具体的にオネシモに示されたのでした。

これこそ伝道の神髄でしょう。

それは、「心」と訳すだけでは不十分なτα σπλαγχνα(タ スプランクナ)から τα σπλαγχνα(タ スプランクナ)へと直結するピスティス(真実)の継承であり、さらにそれは δια την αγαπην(ディア テーン アガペーン:「愛に訴えて」)、喚起されたものでした。

今、私たちが手にする新約聖書には、このフィレモンへの手紙のように、τα σπλαγχνα(タ スプランクナ)を震わす生命の交換や真理の継承が、生き生きと描かれています。

聖書はけっして難しい経文や神学が論ぜられているのではありません。そこには、こうした魂を震わす生の声が刻まれています。2,000年を経て、遠く極東の地にいる私たちがこの聖書と出会うことは、まさに奇蹟なのです。

それは、本来、私たち自身のτα σπλαγχνα(タ スプランクナ)を揺さぶる出来事なのです。挫折し逃亡した家隷オネシモの τα σπλαγχναに注入された福音の躍動する生命は、今日私たちにも、聖書を通して臨んでいるのです。そして、その聖書は、δια την αγαπην「愛に裏打ちされて」(横江試訳)、 τα σπλαγχναから τα σπλαγχναへと伝わる、主の霊に溢れる説き明かしが求められています。

附記

旧約聖書のイザヤ書63章とエレミヤ書31章20節に「ハモーン・メーエー」という特異な言葉があります。これは、「神の憐れみと愛」と和訳されていますが、中沢洽樹氏によると「腸も轟く愛」と訳すべき言葉だそうです。τα σπλαγχναを敢えて使ったパウロには、旧約聖書のこの言葉が意識されていたのではないかと想像しました。


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