自分を引いて見たり、寄って見たりする旅
研究員の森田です。
これを書いているのは、3/20、春分の日。
宇宙のリズムで言うと、この日が本当の「元旦」、1年のサイクルの始まりの日なのだそうです。
そんな日を迎える前に私は、自分のルーツの一つである鎌倉に数日滞在していました。
30代から40代の初めにかけて約10年ほど暮らした鎌倉。
10年も住むと、数人の大事な友人や思い出の場所などもそれなりにでき、間違いなく私の土台の一部になっていると感じます。
今回の滞在では、すでに桜が咲き始めている鎌倉の町で毎日違う心友と会い、お茶したりごはんを一緒に食べたりしながら、最近の私が少しモヤモヤしていることを聞いてもらっていました。
そろそろ私も50歳が近づき、今後の自分の人生をどのように歩み充実させていくかを考える日々です。
肉体的な変化や、これまでの人生で実現できたことを見つめつつ、この先私は何を実現できたら自分の命の使い方に満足できるだろうか。
目まぐるしく仕事に追われていた怒涛の急流から、先日のボディワークによって、ゆったりと静かな大河の淵のような所へ不意に流れ着いたので、そんなことを改めて考え出したのかもしれません。
1日目の友との対話では「すっきり見通せた!」みたいにはならず、「うーん…」を持ち帰り、
2日目の友との対話で、何を大事にすべきなのかを彼女の人生の話の中に見つけ、
一人で過ごした3日目が終わる頃に、ふと自分の中から小さな小さな「人を癒して生きていきたい」という声が聞こえ、
「ええ?!」と半信半疑で4日目の友に会ってそれを伝えると、「もうすでに俺はマイコちゃんに癒されてるけどね」と言われ、
5日目の友にも同じことを言われて、軽井沢への帰路につきました。
帰りの車内でストンと腹に落ちたのは、私の中にある命=愛みたいなものを外へ表現していくための新たな方法を、私の源は欲しているんだなという気づき。家に辿り着き、宇宙元旦の節目に今後やっていきたいことを書いて整理しました。
自分のことをよく分かってくれていながら、客観的に心ある言葉をくれる友人たちに安心して自分を写し、外側からの自分を確認しつつ、自分の内側に潜ってできる限り純粋な自分自身からの声を聞く。自分を引いて見たり、寄って見たりする時間が、今回の鎌倉滞在でできたように思います。
私にとって友人とはこういう存在。
自分も誰かにとってのそんな友でありたい。
さて、春分明けの今日からは、自分の内側からの小さな意欲の声を実現させてあげるための活動をじっくり楽しみ味わいながら進めていきます。
その世界の完成はきっと20年後とかそういうスパン。ここまで来たらもう焦ることなく、自分の内と外を少しずつ一致させていこうと思います。
文/森田マイコ(Safeology研究所研究員)