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本当のことなんて。
中山美穂さんが亡くなった。
54歳。
時々こうゆう著名人の訃報の速報が飛び込んでくる。
アタシは兎にも角にも共感が強いため、
その日は1日中ドキドキしていた。
直接の死因ははっきりとはその段階でわからないけど、
浴室で亡くなっていたとの報道。
(※後に浴室にて不慮の事故で亡くなった。
事件の可能性はない。と後日報道)
これを言うと大抵の年齢がばれてしまい
あげくには話す内容から身バレしてしまうので
最小限にとどめるが、
華々しくデビューしてアイドル街道をまっしぐらに
走ってきて、結婚してフランスに住み、出産して
そして離婚して日本で再度女優業や歌手活動を再開していたとのこと。
アタシも何度か映画をサブスクで見たことがあった。
著名人の訃報があるたびにメディアは故人の
人生をほんの数分で振り返る。
必要なことかもしれないけど、
当人の人生なんて数分で語られるはずはない。
そんなことはわかっているけど、そのルーチンな感じが
なんとも悲しく無機質だ。
メディアの役目としてそこには感情もなにも
入ってはいけないことは重々承知である。
だが、個人の人生をあっさりと何分間でまとめ、
はいお知らせしています。「あまりにも早すぎる死でした。」
的な構成にやはり少し空しくなってしまう。
離婚の理由、子供を手放した、不倫した。
故人に関わらず色々あるだろう。
その理由の背景を当然ながらほとんどのひとは知らない。
知られても嫌だろうけど、知らないほどに勝手に想像し、
昨日まで好感度抜群だった人間が日付が変わると、
犯罪人のような報道のされ方をしているのをよく見る。
それを見ると大抵のひとは信じてしまい、見方が変わる。
本当のことは当人しかわからない。
こうゆうことがあって仕方がなかったんだ。とか
色々あっただろうけど、ここで色々言ってもかえって事態を
混乱させてしまって、とあきらめる。
これ、日常生活でもある。
多分保育園に通うキッズからあるだろう。
本当は違うのに、そうじゃないのに、
そうゆう時こそ言い訳か?と更に批判が広がり
孤立してしまう。
アタシもある。
前職場でいらぬ誤解を受け、言いがかりをつけられ
小さな会社だったので、社長がすべてだったから
社長が無視したり社長に叱責を受けると
アタシに対する同僚の態度も一変する。
冗談みたいな画がそこにある。
そんなとき、退勤の車の中で
泣きながら(恥ずかしい…オトナなのに…)運転して
帰ったことが何度もある。
「本当のことなんて、知らないくせに」
そういつも言ってた。
横道に話がそれたけど、
真実も正義も自分の中にあると思っている。
確かにみんなに理解してもらうことは大切だし、
そうあるべきと思う。
まわりはそこまで柔軟で寛容ではない。
それはアタシ同様自分が生きていくことだけで
精一杯なのだ。
結局、自分だけが知っていればそれでいい。
悔しいし言いたいことはあっても仕方ない。
「本当のことなんて自分だけが知っていればいいのだ!!」
自分が苦労したこと、切ない思いをしたこと、頑張ってたこと、etc.
全部本当のことは自分だけが知って褒めたたえ、慰め、猛省し、
励ませばいいのだと…。
歳を重ねるに連れて更にそう思うようになってきた。
中山美穂さん、54歳。
特別なファンでもないアタシが当然ながら故人の
ことを語るのはおこがましいし、失礼な話しだ。
でもひとりで亡くなって美しいまま亡くなった。
故人。きっと色々もっとパフォーマンスをして世界を広げたかっただろう。
と思うとなんだか切なくなった。
故人ご本人しか「本当のことはわからない。」
どうぞご自分のためにゆっくり好きなことをしてお休みください。
合掌