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なんか嫌~な話。➀

※アタシの子供の頃の話



アタシは嘘つきということは前にも少し書いたのだけど、
得意の嘘もつけずどうしても言わずに

「死んでも言いたくないこと」

がある。

とはいっても犯罪にかかわることじゃないし、
受け手によって「あっそんなことぐらいで?」と
思うことかもしれない。

いつも思っていることだけど
これはアタシの主観なんで、
アタシがそう思ったらそうなんで
ひとは関係ない。


子供の頃から社宅に住んでいて
大人の嫌~な世界をよ~く見てきたので、
変に子供らしくなく大人びた子供だったアタシ。

アタシの記憶力は素晴らしく良いので、
よく覚えているのだけど、
当時両親ともに同じ会社に勤めていて
また会社の最上階に社長の自宅があり、
そして同じフロアに社宅があるという
どこまでが会社、どこまでが社宅、
仕事、プライベートが皆無といった
なかなかのカオスな配置だった。

アタシと社長の長女は同じ歳だったので、
通う小学校も同じ(私立に行ってくれればよかったのに…)
クラスこそ別だったが、根っから陰キャなアタシにとって
嫌でも劣等感を感じずにはいられなかった。

社長と社長の奥さんは
自分の娘と同じ歳のアタシを
まあそれなりに親しく接してくれたように思う。
でも言葉の端々に格差の違いを
含んではいたのだろう。

現在のアタシの性格は
ここぐらいからひねくれ始める。
両親も当然のことながら
家族を守るために社長一家に
媚びを売る。
サラリーマンは本当に切なく大変な仕事だと
思いだした頃。

結果、社長の放漫経営で会社は
倒産を迎える。

中小企業だったため、満足な退職金や
給与手当も最後は受けられず
また当時はコンプライアンスも万全では
なかったため、就業規則等が存在していたのかどうかも
今ではわからない。

アタシたち家族も父親の昔の友人を頼って
東京から地方へ引っ越す。

後でわかるのだが、
父親も社長に誘われて投資を
していたらしく、そのせいもあって
会社が倒産した時、かなりの借金があり、
それも銀行とかではなく
金利の高いちょっとヤバイところから
借金をしてたみたいで取り立てが
会社にも来ていたようだ。

結局、東京から地方へ「夜逃げ」と
いう形で引っ越した。(いや夜逃げだな…)
倒産は割とわかっていたみたいで
少しづつ荷物を送っていたみたいだった。

これは覚えているのだが、
朝方自転車に段ボールをたくさん積んで
両親が宅配所に持っていってた記憶がある。

冬場の早朝だった。
両親が静かに部屋を出ていく様子。
目をあけて声をかけたかったけど、
なんかいけないような気がして
グッと目を更に閉じていた。

それから戻ってきていつも通り
勤務に戻るのだけど、
少しづつ部屋の荷物が減っていったり
食事も簡単なものになり
慌ただしさもあったのだろう。
アタシを不安にさせないように
精一杯だったのだろう。
今になっては両親の気持ちが良くわかる。

借金や今後の心配もあっただろう、
誰にも相談できず、大人と言えどどれだけ心細かったかと
思うとそれを思うと息苦しく気持ちが悪くなる。

旅立ちは突然だった。


普通に出かけるように会社を出た。
電車に乗ってその後「寝台列車」に乗る。
いや、もう演歌じゃん!!
両親とアタシの3人。

もう二度と東京に戻ることはないと
その時思った。
当時12歳。
確か11月末くらいだったと思う。
父親がジャイアンツファンで
ファン感謝デーに連れて行ってもらった
翌日だったと思う。

※とりあえずここまで。
嫌~な話だから一気に書くけど、
ちょっとしんどいので。
でも誰にも話せていないから
吐き出したくてしょうがなかったのかも知れない。





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