死生観と死
私は小さい頃から死ぬのが怖かった
死んだらどうなるか分からない。痛いのか、苦しいのか?
なんだかものすごく悲しくて、別れるのが嫌で、もう会えなくなるのが嫌で、この世から無くなるのが嫌で。
でもいつかはみんな順番に死んでいく。
そうとも思ってた。
みんな死に向かって生きている。
中1の時、こんなお姉さんになりたいなと憧れてたいとこが17歳で交通事故で死んだ。
祖父からからの留守電に「◯◯ちゃんが即死だって」
今でも覚えている。
初めてみた人の遺体はいとこだった。
きれいな顔をしていて、眠っているようだけど柔らかさのない、冷たい人形のようで。
中1の私には衝撃的な記憶だ。
きっと、それから「死」と言うものはなんなのか考えるようになった。
死んだらどうなるのか、体はなくなる、でもこの心はこの考えている意識はどうなるのか。
色々考えながら、当時私が納得した答えは「無」だった。
死んだら、無くなる。
東日本大震災で、信じられないほどの死者をニュースで見た。
明日は我が身なんだ。
誰もが死ぬし、仕方ないこと。
しかもそれは突然かもしれない。
生きてる時に後悔なく生きよう。
そう言う結論に至った。
その考えはよかったと思う。
やりたいことは後回しにせずやったし、家族は一緒がいいとも思ったから、出来るだけ一緒にいた。
朝見送ったら最後かもしれないから見送りは大事にしたし、ケンカをしても翌日仲直りは心がけていた。
ふと2人でいる時に、心の底から幸せを感じて、この世がキラキラしていた。
こんなに幸せでいいのかと、怖くなった。
ほんとは失いたくないし、いつまで続くといいな。そんなエゴも持っていた。
そして、そう実感してすぐに旦那が突然不慮の事故で死んだ。
人は儚くて脆い。死は本当に隣り合わせ。
なぜ旦那が、なぜ私が。
みんななんでこんなに必死に死なないように心配してるんだろう。
心配したって、こうやって呆気なく死ぬんだ。
そう感じた。
事故の前日、嫉妬心からのくだらないケンカをしてしまった。
いつもならすぐに仲直りするのに、なんとなく怒りが冷めず、旦那も同じだったのかいつもとは違う雰囲気で過ごしてしまった。
子どもたちがいるのもお構いなくいっつも一緒に入っていたお風呂も1人で入り、いっつも2人で一緒にくっついて寝ていたのに、そっぽを向いて離れて寝ていた。
それが最後の夜。
翌日は話し合い、少しわだかまりがあったけど、本当に事故直前にようやくいつものように仲良くなれた気はする。
そして事故は突然起こった。
絶望的な開頭手術だったけど、奇跡的に意識が少し戻ってきた時に、私と子どものことだけはわかってくれた。
話すことはできなかったけど、うなづき、私の手を力強く手を握ってくれた。
翌日、突然病状が悪化して、再手術の甲斐もなく、2日後静かに息を引き取った。
当たり前の存在がなくなった。
彼は生前、人生に後悔はないと言っていた。
もし死んだら楽しく生きて欲しいと言っていた。
分かってはいた。
覚悟もしていた。
でも実際、自分の大事な人が目の前から消えてしまうって、自分も死んだ気になるんだと思った。
生き地獄とはこういう事だ。奈落の底とはこういう事だ。
鮮やかな彩りの輝く世界の景色が一瞬にして、全てがグレーになった。
当たり前に一緒にいて、当たり前に生活をして、当たり前に話をして、今まで当たり前に過ごしてきた当たり前がなくなる。
当たり前の空気がなくなり、苦しみもがく。
まるで窒息だ。
当たり前がどれだけ幸せだったんだろう。
もうこんな幸せを私は感じることができないと、その時感じた。
でも私たちには一つ強く言える事がある。
後悔しないように、生きた事。
思い返すと、色々後悔になるかもしれない。
でも、後悔をしないように生きたという意識は、生きてきたことに自信が持てて、マイナス面も全て肯定ができて死をすんなり受け入れられる気がした。
彼は精一杯の自分の人生を歩んだのだ。
どんなに苦しんでも、悲しんでも、どうにもならない現実。
その人との関係性は唯一であるように、その人を失う苦しみもその人の関係性によって違うと思う。
私が嘆き悲しみ、周りに話したところで返ってくる言葉や態度は同情と哀れみ。
それは求めていない。
話すことは心の浄化に必要かもしれないけど…
私は、周りに私の苦しみを吐くことをやめた。
悲しいと思う時、苦しいと思う時、それは私と旦那が向き合う時。
結局は自分自身の心の持ちようだと分かった。
だから、この上ない笑顔で全力で生きる。
この死別には必ず意味がある。
底知れぬ莫大なエネルギーが私の心に生まれた。
そのエネルギーの放熱する場はまだ分からない。
今まで「無」だと思っていた死後も、そうではない気がした。
そうであって欲しくないと信じた。の方がしっくりくるかも知れない。
そこから、死への恐怖は一切なくなり、恐れや不安もなくなった。
かと言って、死ねと言われたら死ねるわけではない。それは私にはまだまだやるべきことがあるから、その時が来るまで大事に生きる。
そして私は旦那と共に生きる。
私の内に生まれたエネルギーを少しずつ放熱しながら、放熱する場所を探し、共に生きる。
最近、私はあなたであり、あなたは私である。
そうも思えるようになり、私が好きになった。
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