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最後のインタビュー
伝えていないこと
2年前に父は亡くなった。
昭和8年生まれ、テレビに出てくる昭和一桁生まれそのもの、頑固で、亭主関白、その上9人兄弟の長男
朝の連ドラにでもありそうな、昭和のおやじだ
そう、昭和のドラマ、寺内貫太郎一家のような感じだ、小林亞聖みたいに太ってはないがw 知ってる人は知っている
最後の2年ぐらいは、歩くことも出来なくなり、介護が必要なため病院を転々とした。ちょうど新型コロナウイルスが蔓延し見舞いにも行けない。
見舞いは、病院の窓から手を振るおやじと、車から手を振るお母ん
何とも言えない光景だ
ありがとうが言えない
おやじはめちゃくちゃ働く人だった
漁業と少しの農業を生業として、朝は夜明け前から海へ行き、昼間は畑かひたすら網の修理をしていた
人生の半分以上は、網小屋で暮らしていたのではと思うほどだ
ただ、働き者だから稼げるわけではない、まじめでも、人にやさしくても、動物にやさしくても、お金を稼ぐこととは全く関連性がないのだ、まったくの別物だ
野良犬はおやじにすぐなつく、猫も、鳥までもw
でも、金はない、借金だらけだ
私は、3人兄弟の真ん中、姉と弟の間の長男である
お金が足らなくなると、姉か私にお母んから電話がくる、おやじからはないw
貸したお金が返ってきたことは1度もなかった
同時に晩年、おやじからそのことについて何か言われたこともなかった
たまに姉と、結局お母んからはいつも言われるが、おやじからは
あの時は、ありがとう、そう
ありがとう
と言われた記憶がないのだ!
入院中の病院から、もう明日明後日が山ですと連絡があったと姉から連絡が来た。コロナ禍真っ只中、24時間以内のPCR検査結果で陰性でないと病院には入れない。私は大阪から四国へ行くのだが、大阪ナンバーの車を止めているだけで石を投げらるような事態になっている時だ。
これはリモートしかない、そうだLINEの動画通話でしゃべろう!
次の日の午前中、姉が病室に入ってつないでくれた。
呼吸は荒く、かなりしんどそうだ
「おやじわかるか、こうじやで!」
「はあ、はあ、おーこうじか、、、はあ、はあ」
画面越しに、おやじが私を認識した
「とうちゃん、こうじやで、大阪におるから明日になったら病院来てくれるって」
姉が伝えている
「そうか、はあ、はあ、、、、、」
「よう頑張ったな!もうちょっと頑張れるか?」
少し目を閉じてから、言った
「今までありがとうな、はあ、はあ、お前と姉ちゃんにはずっとお金で迷惑かけたな、、、、、、、あ、り、が、と、う、、、」
私も、姉も、人生最後に初めておやじの
「ありがとう」
をもらった
涙が自然とあふれるのと同時に、すべてが許せた瞬間だった。
これを言わずに逝くのと、言って逝くのとでは雲泥の差がある
翌日の早朝、おやじは他界した。
今、後悔があるとすれば、もっとおやじの話を聞いてやればよかった
そして、本当は言いたかったことをもっと引き出してやればよかった
人生最後のインタビュー、聞いてやればよかった
「いい人生だったか?どんな人生だった?楽しかったか?」