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2冊目の本、3回目の読書会(封灯にて、Class Actを読む)

もっと表面だけを見て

こんばんは、今日も職場の本棚の前で記事を書いています。
本日も、蔵前にある封灯というお店で読書会に参加しました。

1週間前にも参加をしたのですが、雰囲気が独特の店内で、読書体験をより深く、印象に残るものにすることができたので、今日もここで本を読みたいなと思い、参加しました。

裏側に真意はないわ
すべてを知りたいのならばもっと表面だけを見て

唐突に見出しに書いたのですが、これは東京事変の『ハンサム過ぎて』と言う曲の歌詞の和訳です。
時折、「やっぱりなんだかんだ言っても、外見(そとみ)が重要だな。」と思うことがあります。
それは決して、「人はやっぱり見た目だよな。」と言ったニュアンスだけではなくて、です。(少しはあります。)

どちらかというと、
ご飯を食べる前に盛り付ける器を選ぶようなものです。

ビールを飲むときのグラスにこだわる、とか
日本酒を注ぐお猪口をどれにするか迷う、とか
紅茶を淹れるのにティーポットを吟味する、とか
コーヒーを楽しむためのソーサーを準備する、とか。
そんなイメージです。
飲み物だとイメージが合うのは、中身に形がないからこそ、より「かたどる」感覚が強まるからかもしれません。
読書、という体験も、それ自体が液体のように、形がなく流動性の高いものであるので、「どこで読むか」という器、容器のようなものを必要とするのかもしれません。
それでいて、升で日本酒を飲んだ時に、木の香りがお酒に移るのにも似ていて、
無機質などこにでもある器を介して、体験するのとは違ったエッセンスが追加されるという感覚もあり、改めて読書の楽しみ方の奥深さを思い知ります。

ブックジャーナル2 Class Act 

今日から読み始めた本は、
『Class Act 世界のビジネスエリートが必ず身につける「見た目」の教養』
という本です。

国際ボディランゲージ協会代表理事の方が、
「身だしなみ」「装い」「振る舞い」の3つのテーマに分けて、
ビジネスマンとしての「見た目」の教養について、書かれた本です。

手に取ったきっかけは、
・「見た目」を変えることが一番タイムパフォーマンスが良い、と感じたこと。
・外見は内面の対極ではなく、一部もしくは根源であり、ひいては全部である、と思ったこと。
・印象による評価の差こそ、言語化しづらく、よって言葉では取り返しがつかない、と感じたこと
などです。

そういった理由全てに刺さったのが冒頭の「はじめに」でした。

なりたい姿でいるか? そして、「なりたい」と思われる姿でいるか?

友人から聞いた話です。
友人の部署にとある後輩が部署異動でやってきました。
一つ年次が下の後輩で、社内でも仕事ができ、また人気のある人物でした。実際に一緒に仕事をしている中でも、仕事ぶりは優秀で、また気遣いもできる人だったので、職場にもすぐ馴染んで、新しい仕事もどんどん慣れてできるようになっていました。
そんな彼でしたが、半年経ったところで、会社を辞める決断をしました。

友人は何の気なしに聞いてみました。どうして転職することにしたの?
後輩は答えます。
「職場の上司の姿を見て、将来ああなりたいと思えなかったんですよね。」

そして、後輩が辞めていったあと、友人の上司は言います。
「彼、何で辞めちゃったんだろうね。」
「優秀だったのに、もったいないな。」

ちょっとした、怖い話だな、と僕は聞いていて思いました。

そんな話を聞いたことがあったので、冒頭の「はじめに」を読み、
・成功する人は「準備ができている。」
・海外の人から見て、日本人は「役職と見た目が一致しない」
・「すでに成功した人のように振る舞いなさい」
という見出しを見たときに、「僕が言葉にしたかったのは、これだ」と思いました。

トップの人間は、組織の広告塔であることが仕事。
上に立つ人は、あんな風になりたい、と思わせることが仕事。
できる社会人、あの人から一つでも盗みたい、丸パクリでもいいから真似るところから始めたい、と感じさせることが仕事。
その仕事を無視して、自分ができる業務を突き詰めて、優秀な人材が離れていくことに自分に原因があると思うことができない、そういった状態にあることが、怖い、と僕は思ったのです。

「振る舞い」について

そんな経緯から少し恐怖に駆り立てられるように読み進めた本でしたが、
一つ一つの章に学びがあり、「そういうことだったのか(もしれない)!」と思うことの連続でした。
今日の時間で集中して読むと決めたのは、「振る舞い」について。少し僕の解釈と想像も混ぜながら、紹介をしていきます。

日本人の姿勢や歩き方は和装の時のまま

そんなことがあるの?と最初は思ったのですが、
最近大した重労働もしていないのに腰や膝、足を痛める人がいて、しかも年も20代から30代ばかり。確かに彼らの運動不足もあるけれど、そもそも数千年間引き継がれてきた我々の姿勢に、生活が合っていないのでは?と想像を膨らませます。
また、西洋の家庭では、バレエや乗馬、フェンシングを習い事として子供に習わせることで良い姿勢を身につけさせているのだとか。日本で空手や柔道などを縄わせるのと近いものがあるのかもしれません。

オープンな動作・クローズドな動作

自分のお腹や胸などを相手に対して開く動作をオープンな動作といい、相手に好意的な印象を与えるといいます。
その逆がクローズドな動作で、こちらは逆にネガティブな印象を抱かせるようです。

自分が相手に対して行うのはもちろん、相手にその動作をしてもらうことで、相手が無意識にこちらに好意的な動作をするように、促すことができるといいます。

例えば、
・相手に資料を渡して、何かを書いてもらう。
・コーヒーを出して、飲んでもらう。
などです。

確かに、胸の前で腕を組んでいたら、文字は書けないし、コーヒーは飲めない。
まずはオープンな姿勢を取らせることが大事なのだとか。

また、物を持ちながら人と話す、これは相手との間に壁をつくる動作。
僕も、無意識にやっていました。なんだか何かを持っているだけで落ち着くのです。
 意識してやってみようと思い、物を手放して、胸を開いて人の話を聴いてみることにしました。これが意外と辛い。なんだか丹田のあたりになんとも言えない違和感があり、落ち着きません。ソワソワする感じです。気づいたら腕を組みそうになっているので、慌てて手を解いて、オープンな動作を続けます。
 居心地が悪い感じがするのですが、不快ではありません。背筋を伸ばされているような、清々しく適度な緊張感です。

普段どれだけ安心毛布に頼って、人との間に壁をつくっていたのか、思い知ります。

相手の目の特徴を3つ見つける

 この本を読んで決めたことは書いてあるトレーニング法は全部試そう、ということ。日課にできるもの、定期的にチェックすることなど、リストに落とし込もうと思いました。
 そんな中で、面白かったのが「情熱的なアイコンタクトは「見る」より「観察する」という章。
 ニューヨーカーは家庭でその技術を身につけているというのですが、「相手の目の特徴を3つ見つける」こと。本当かなあ、と思いつつ。
 でも、ドラマや小説などで瞳を褒めるシーン、何度かみたことがあるのですが、あれはこれだったのか、と妙に納得をしてみたり。

見た目、器の話から

 というわけで、奇しくも、見た目・外見というテーマでまとまりながら、本日の読書の時間が終わっていきます。
 ですが、読書会の中で紹介いただいた本やそれにまつわる対話が、考えさせられるものだったので、これはまた引き続き別の記事で書いていきます。

僕は、果たして成功する準備ができているのでしょうか。
僕の振る舞いは、自分の目指す姿にふさわしいものになっているのでしょうか。
そして、みなさんはどうでしょうか?


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